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明日は白いソックスをはいて行くよ~登校できるのは幸せなんだよ

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 S子が最近も、学校、つまんなぁーい。行きたくない。

 なんて呟くものですから、心配性の母は

 これは虐めか?

 と尋ねてみたけど、違うという答えが返ってきました。

 別に、特に授業が判らないというわけてもなさそう。

 まあ、ちょっと気をつけて様子見です。
 
 ところで、そのことで、いずれS子に話して聞かせたいことがあります。

 また、ブログでも一度はご紹介したい話でもありました。

 楽しい話ではなく、むしろ、その逆です。

 ウチの娘が小三の時、道徳の時間で参観にいった時、当時の担任の先生から

 聞いた話です。

 K先生がかつて受け持った担任の児童で難病を患っているお子さんが

 いました。男の子でした。

 確か3年生くらいだったそうです。

 残酷な話ですが、もう余命は長くないと既にその時、判っていたということです。

 しかし、その子は毎日、治療を続けながら登校していました。

 一学期も無事に終わり、長い夏休みが明けた二学期の始まりの日、

 その子は欠席でした。

 家庭から、入院したと連絡が入り、先生はすぐに見舞いにいったそうです。

 そして、ひとめお子さんを見た時、

 あ、これはもう。。。と哀しい覚悟をしたそうです。

 しかし、当人のお子さんは治るつもりで、辛い治療にも耐えていました。

 ですが、本当に惨いことですが、

 やがて、それから時を経ずして亡くなられました。

 その男の子の最後の言葉となったのが

 お母さん、ボクは明日の朝、眼が覚めたら、学校に行くからね。

 学校は白いソックスじゃなきゃダメなのに、お母さんはうっかりして

 いつも色柄のソックスを出すでしょ。

 忘れないように、ちゃんと白いソックスを枕元に置いておいてよ。

 その言葉を残して、まもなく意識不明となり、息を引き取ったといいます。

 先生はその話をお母さんから死後に聞いた時、涙が止まらなかったといいます。

 本人は最後の最後まで学校にまた通えるようになると信じていたのです。

 更に、先生はこうも言われました。

 亡くなったときのこともですが、私が最も印象に残っているのは、

 一学期の最後の体育の授業のときです。

 その子は見学していなければならないのに、いつも頑張って参加していました。

 ドッチボールだったと思いますが、そのときは特に変わりなく元気そうに

 皆とやっていました。

 まさか、それが最後の体育になるとは、その時、考えてもみませんでした。

 参観日で大勢のお母さんたちが教室にいましたが、

 先生の話が終わったときは水を打ったように静かでした。

 中には、すすり泣いている人もいました。

 私ももちろん、涙が出ました。

 同じ年頃の子どもを持つ母親にとっては、本当に辛い話でした。

 しかし、私は、その話をただ辛いだけで終わらせるために先生が

 わさ゛わざ哀しい想い出話をしたのだとは思いませんでした。

 こうして皆は元気に学校に毎日かよってきているけど、

 それはけして当たり前のことじゃない。

 学校に行きたくても行けなかったお友達もいるのだと忘れないで

 そういうことが言いたかったのではないかと思います。

 機会があれば、S子にもその話を聞かせようと思います。

 今、高1の娘が小三のときの話です。

 そのときの担任の先生はすぐに他校へ転勤していかれました。

 娘が夏休みの読書感想文で入賞した時

 ご褒美にと大切にしているこども向けの本を下さったりしました。

 教師がモノを買って児童に与えることは問題があるので、

 ご自身が以前、担当しているクラスの子どもたちに読み聞かせるために買った

 本を下さいました。

 それが確か山越村のマリというタイトルで、震災で家族とはぐれた飼い犬が

 苦難の長い旅を経て、無事に飼い主の元に戻ったというドキュメンタリーだったと

 思います。

 今も娘の机の書棚にあります。

 内容やタイトルは私の記憶違いかもしれません。

 今でも忘れられない先生の一人です。