音が響きわたる場所 【旧版】
一.俺は進む
俺は闇に支配された空間を進む。広がる無明の闇は、太陽光や電灯の力不足ではない。
俺の目が光を感じる様にできていないだけだ。俺は光の反射によって物を見ることができない盲人だが、それでも世界の形を知ることは可能だ。
一歩、また一歩と足を進める度に、熱い空気が首元を撫で、いちいち癇に障って後方へと流れていく。この熱気は、空調によって温度を上げられた物ではない。
足元に広がるのは剥き出しの地面。砂と土。タイルもシートも敷かれてなどいない。
ガソリン、油、火薬、焼けたゴムの匂い。それらすべてが競い合うようにして鼻腔に侵入してくる。いづれも鼻につく不快な匂いだ。
熱気の正体は炎。
燃えているのは車。
炎上させたのは俺。
それ以上の情報は不要だ。
車には誰も乗っていない。勿論、死体もない。
運転席と助手席に、それぞれ一つずつ焼死体があるはずなのだが、それがないということは、爆発する直前に脱出していたということになる。
「手間を掛けさせてくれる」
生きているのならば、見つけ出して始末しなければならない。
俺は炎上する車に背を向けて、自身の車へと歩を進める。
俺の愛車は、フォードGPW。通称・ジープ。屋根はなく、フロントガラスも取り払ったフルオープンカーだ。
運転席に乗り込み、キーを差し込む。それと同時に、後部の荷台に隠れていた何かが襲い掛かってきた。その正体は分かっている。俺が炎上させた車の搭乗者だ。
車を奪いに来ることは分かっていた。なぜなら、この地域で車を失うことは、そのまま死に直結するからだ。
ここは、アメリカ合衆国アリゾナ州に広がるソノラ砂漠。隣のカリフォルニア州と、国境を跨いだ先のメキシコ合衆国ソノラ州に広がる、北アメリカ最大の砂漠だ。
砂漠と言っても、見渡す限りの風紋が広がる砂地ってわけじゃない。随所にサボテンが生え、その周りには低木植物が群生している。
サボテンの花が咲けば昆虫が飛んできて花粉を運び、サボテンの実がなればそれを食べる動物が集まる。
キツツキがサボテンに巣穴を掘り、使われなくなった穴はねずみが再利用する。
ねずみを餌とする食肉類までもがサボテンに集い、食物連鎖を持つ小さな生態系が形成される。
雨期は年に二度、夏と冬に訪れ、それ以外は毎日が晴天となる。
サボテンを始めとする様々な植物が植生し、動物が集まるような大地であっても、人間にとっては非常に厳しい環境であることに変わりはない。
容赦なく照りつける太陽は、熱射病によって人間を死に追いやるのだ。
俺は動じることなくキーを回し、エンジンをかける。
連続した二発の銃声が響く。
俺の首に回され掛けていた二本の腕は、銃声を合図に力を失って重力に引かれた。
腕を掴んで車から落とす。すでに絶命している。何の抵抗もない。
再び二発の銃声が響く。
空から近づいて来ていたヘリのローター音が、撃たれた人物の悲鳴を掻き消した。
「ごくろうさん」
俺は額の傍で二本指を立ててヘリの搭乗者を慰労し、直後にそのままアクセルを踏み込んで、一路、南へと車を走らせた。
俺の名はトープ。名付け親はフランス人で、もぐら、という意味があるらしい。
俺は、密入国の手配と、入国後に就く仕事の斡旋を生業としている。俗にコヨーテと呼ばれる密入国斡旋業者の一人だ。
ソノラ砂漠を横断して走る国境には、不法な入国を防ぐためのフェンスが設置されているのだが、フェンスはそれほど高くはないため、大人が数人集まれば道具がなくても乗り越えることが可能だ。
だからといって、国境巡視員も素通りさせるほど馬鹿じゃない。
フェンスは市街地から数マイル離れたところで途切れるが、途切れたところは砂漠のど真ん中だ。
フェンスが設置される以前は、カリフォルニアのサンディエゴや、テキサス州の南側で比較的容易に国境を越えることができていた。
フェンスが設置されてからはそうも行かず、フェンスがない砂漠や山地を越えるルートでアメリカに密入国を試みる者が増加している。
しかし、そのルートは危険度が高い。国境巡視員に発見されることじゃない。命を落とす危険度だ。
密入国者たちは、危険を回避するために俺のようなコヨーテを利用するってわけだ。
残念なことに、コヨーテには悪質な奴らが多い。俺を含めて、まともな人間など皆無だろう。尤も、密入国させようって輩にまともであることを期待する方が間違っているんじゃあないかとも思ったりするわけなんだが。
手口はこうだ。手数料を取ってアメリカに密入国させ、労働力として働かせる。
そこまでは本人が望んでいた通り。雇う側にしても、安い労働力が手に入るため、諸手を上げて歓迎する。
だが、悪質なのはこのあとだ。
自らが斡旋した就業先を、不法就労者がいるとして通報する。この際、不法就労者が逮捕されるだけで、雇い主はお咎めを受けない仕組みになっている。
その後、逮捕された不法入国者の保釈金を肩代わりするなどして、生涯にわたり上前を撥ね続けるってわけだ。奴隷の出来上がりだ。
警察に訴え出ないのは、メキシコに残してきた家族を人質にされていたり、家族をネタに脅されたりするためだ。酷いときには、警察と雇用主とコヨーテとが結託している場合さえあるのだ。
俺はそういう他人を不幸にして食っている奴らが嫌いだ。
許せないんじゃない。
自身を正義だと勘違いしている奴らが、得意気な顔をして振りかざす、「許せない」という言葉も嫌いだ。
だから、許せないんじゃない。
ただ、嫌いなだけだ。
作品名:音が響きわたる場所 【旧版】 作家名:村崎右近