Endless Run
「……早く……大きく……なりたい……」
「もうすぐだよ」
ガラス越し。父に額を弾かれ、ボクは笑顔を返した。 ―――
「おはよう」
目を開けると“彼女”と呼ばれていた白衣がいた。
「あなたの専属になりました。“イチノセ ハルカ”です。よろしく」
ガラス越しに彼女が微笑む。その顔がなんだか懐かしくて、ボクはガラスに近寄った。
「“ハルカ”って呼んでね。……マモルくん」
ボクの頭に電流が走る。
ここではみんなボクの事を“ゼロ号”と呼ぶ。“マモル”と呼んでくれたのは父だけだ。
彼女の手元のレポートを見ると、“ゼロ号”と表記されていた。
「……ど、して……ボクの……名前……」
彼女はボクに微笑みだけを返した。
その口元が、声無く動く。
「オ・モ・イ・ダ・シ・テ」
ボクは静かに目を閉じた。
――― 父が何か書いている。沢山の数字と文字。ボクは……。
「色彩を判別する組織……」
片手で頭を掻きながら、父がブツブツと呟く。
「……お……父さ、ん……」
何か手伝える事がある気がして声をかけてみる。が、
「お前はそこで笑っていておくれ」
父にそう言われて、ボクは頷いた。 ―――
「優秀な兵士。優秀なパイロット。優秀な学者。それぞれの細胞をこの養液に浸す。後は、その細胞の分裂具合によって液の成分を調節……」
厚いファイルをバンバンと叩いて、“博士”と呼ばれる白衣が吼えている。
「全く同じ人物が何人も誕生する。戦闘力・学力、全てにおいて最も優れた人物だけが……」
まるでその“優れた”中に自分も入っているかのごとく、博士が吼え続ける。
「なのに、何故、形にすらならずに全てが消滅するんだ!」
大きな音を立てて、机に打ちつけられたファイルからレポートが飛び散った。
見覚えのある数値。
記憶の中で父の声がする。
――― ガラスの前で父の肩が震えていた。メガネの奥で何かが光る。
「……涙……?」
声に出しそうになって、慌てて両手を口に当てた。
「私は、殺人兵器を造るつもりなどない!」
感情のないただ人を殺すだけの物。もしくは、一瞬にして国を壊滅させる兵器を作れる頭脳を持った物。
「私は、子供が欲しかったんだ。あいつとの子供が……」
それは、あの写真の人?
ボクは、何?
頭が混乱して、ボクは無意識に手を動かした。
「教えてもいないのに……」
涙目の父がクスリと笑う。
「頭を掻くのは私。爪を噛むのはあいつの癖だ」
そして、ガラス越しにボクの額を人差し指で叩く。
「お前は私達の子だよ、マモル」
ボクは“人”でいいの? “物”ではないの? ―――
化学式が並ぶホワイトボード。机の上には乱雑に置かれたレポート。
それが何を意味するものか、ボクには分かる。
“不要”と書かれている最初の部分。
【ひとつの細胞とひとつのDNAとの融合について】
それが発端だった。
今、博士達が行っているのは、その次の部分。
【細胞組織からの再生】
“優秀な人材”を際限なく、必要なだけ。
それを豪語する博士にとって、大事なことなのだろう。
……ぼんやりと理解しながら、ボクは今日も目を閉じた。
――― 父が何か書いている。
どんな数字の羅列もアルファベットでの記録も、全て理解できる。
「お前は、私だからな」
だから、分かって当たり前なのだと笑う。
「……それは……何?」
いつもと違う“言葉”の羅列にボクが戸惑う。その姿が幼子みたいだと笑う父。
分からない事があるのは、当たり前の事なのだ、と。 ―――
少しずつ発達していく感覚。それは、知識と記憶を伴い、日に日に鮮明になっていく。
「これは?」
ガラス越しに色のついたボードが示される。
「……緑色……」
その色を答えるボク。見えていただけの視覚が色彩の判別が出来るようになった。
「これは?」
「……青……」
「これは?」
ただ淡々と答えていたボクの身体が、その色を見た途端に震えだす。
「これだよ。分からないかい?」
身体の震えを止めようと首を横に振ってみるけれど、何かを思い出しそうで、震えが止まらない。
「ゼロ号?」
「……あ……か……」
答えると同時に、ボクは悲鳴を上げて気を失った。
――― 父の白衣が真っ赤に染まっていく。
“燃えるような赤”
でも、白衣は燃えてなんかいない。
これは、血の色。
父が指し示す方へと走るボク。手には、父から託された手紙があった。 ―――
「記憶が、戻る? どういう事だ?」
「それが……」
繰り返される質問。虚ろな意識のまま、ボクは答える。
刻一刻、時をきざむと同時にどこからか知識が湧いてくる。
「身体と同時に脳も再生されていくわけですが、それと共に記憶も再生……」
「“知識”ではないのか?」
頷く人と眉をひそめる人。
「身体的に前回生きていた時まで再生されるわけですが、それと同時に脳も再生されます。“脳”イコール“知識”ですが、“知識”の中に“記憶”も含まれているようです」
ボクは蘇った記憶の中で震える事しか出来なかった。
――― 真っ赤な炎が天高く伸びている。
ボクの背を強く押したのは、どこか父に似た老婆。老婆の手には父からの手紙。
「お逃げなさい」
そう微笑んで、ボクを炎から放り出した。
炎の中、その口元がボクの名を呼ぶ。
「……マモル……」
「……お……ばあ……ちゃ、ん……」
呟いたボクの身体が大勢の白衣の手で動きを奪われた。 ―――
蘇り始めた記憶は時の経過と共に、より鮮明に脳裏に焼きつく。
ボクは目を閉じ、飛んでいる部分を思い出そうと耳を塞いだ。
――― 「遺伝子、の……再生……」
ガラスの前に置かれたレポート用紙に父が書きなぐった文字。ペンを握り締めたまま眠っている父。
「……これ……は……」
見える部分だけで、推測するには十分だった。
「……ボ、ク……?」
ボクの右手が頭を掻き、口が左手の爪を噛む。
見えるのは遺伝子を表す式とボクのガラスの中の液体の式とボクの名前。
「……お父……さん……」
ガラスを内側からコツコツと叩いて父を呼んだ。
「……それは……ボクの……式……?」
父の顔が弾かれたようにボクを見上げる。
父と同じ頭脳のボクには、書かれたものが全て理解できた。 ―――
ボクは試験管の中で生まれた。父の細胞に母のDNAを組み合わせて。
繰り返される細胞の再生。試験管は少しずつ大きくなり、やがて、ガラスケースになった。
再生と共に聴覚・視覚が発達し、色彩の判別も可能となる。
使われたのは生前の母の遺伝子と現在の父の細胞。
わずかな母の遺伝子はボクに癖をもたらし、父の遺伝子は、ボクにその頭脳と容姿を与えてくれた。
「……クローン……」
ひとつの遺伝子が姿かたちを変えることなく再生しているもの。
“バンッ!”
ガラスを叩く音で、ボクは我に返った。
「……思い出した、の……?」
ハルカさんが大きな瞳を更に大きく見開いてボクに問う。
「……うん……」
作品名:Endless Run 作家名:竹本 緒