嘆願書 人魚の生態に纏わる仮説と実証
cap.4 観察と捕獲
私は実際の人魚を手に入れることができないまま、島々を巡り、伝説や、噂などから、仮説の補完を続けた。そして、十年が過ぎた時、私は再び、人魚を発見することに成功した。珊瑚の産卵のたびに、現地の若いガイドを雇い、夜の海に漕ぎ出して、性的興奮の為の具を提供しては、寄せ餌をまき続けてきたことが実ったのである。
三人のガイドは、恐ろしい人魚のうねりくねる中で茫然としていた。私は、かつて我々が人魚に襲われた時に、何が起こっていたのかを、知った。
三人は水面に顔を出し、たち泳ぎの姿勢をとる。時折身体が水中に引き込まれたり、高く持ち上がったりする。胸、腕、肩、背中、腹、下腹部、そして両方の足に、びっしりと取りつき、歯を立てる人魚の群れは、ピラニアさながらの獰猛さである。やつらは、手をガイドが抵抗できないように押さえつけるためにのみ使い、食事の補助のためには使わない。人魚の中には、珊瑚や真珠の装飾品をつけているものもいる。何らかの序列があるのかもしれない。声は出さない。時折、キューとか、ギュエとかいう音が聞こえるが、食道に空気が入っている音のようである。身体のどの部分を食うかを争いで決している。
だが、ガイドの下腹部に取りついている人魚は、邪魔されることはないようである。下腹部に取りついた人魚は、ガイドの男性器を咥えている。そのしぐさは人間と同じである。
人魚の生殖について私は考えあぐねていた。雌ばかりの集団となると、子孫はどのようにして残すのだろう。卵子単体でも発生は可能だし、雌から雄への性転換する生物も存在するが、ホモ=サピエンスに近い人魚はまだ、それらの機能を獲得するにはいたらないだろうと考えていた。この集団に男はいない。なぜ、男がいないのか?
ガイドの男性器を咥えていた人魚が顔を離すと、それは十分な硬度をもって屹立していた。人魚は身体を「く」の字に曲げて腰を、そこにあてがった。そして、腰をぶるぶるとふるわえる。ガイドの顔に一瞬恍惚がよぎる。一匹が下腹部を離れると、次の一匹が同じことを繰り返す。その間にガイドの体からは肉が削がれ、骨が露出していく。凄まじい光景だった。血と肉の匂いだけではない。何かが腐ったような強い匂いで、私はその匂いを嗅いでいるだけで、頭がぼんやりとし、性的な高揚を感じていたのである。
人魚たちが、骸となったガイドを中心に円陣を組んだ。ガイドの下腹部には一匹の人魚が取りついている。円は三重になっている。一番内側が、ガイドと人魚。次は、二、三匹の塊だった。私にはこの少数の人魚が一体どんな理由で外周に回らないでいるのか、わからなかった。だが、よく観察すると、どうやら、その人魚たちの腰には、一様に、透明な風船のような何かが付いていることが見て取れた。違いはそれの有無だけだった。
周辺を三角の背びれが切り裂き始めていた。人魚たちは血の匂いに引き寄せられてきた鮫のダンスに気付いたのだろう。今しかない。私はカヌーの上に半身を起こし、麻酔銃を構えた。狙いは、ガイドの上で腰を震わせている人魚だ。狙いを過たず、人魚はギュッっという音を立てた。円陣が一瞬乱れた。そこへ鮫が突入してくる。私はガイドに結びつけてあった鎖を手繰り寄せる。鮫が幾度もガイドをつついた。私は人魚とガイドとをカヌーに引き上げることを断念した。どうか、岸に付くまでもってくれ。それだけを願った。
夜明け間近の重々しい空の下で、私はカヌーを岸へあげた。鎖の先には、下半身だけになったガイドと、そこにくっついている人魚が、かろうじて残っていた。人魚も死んだようだった。研究所に戻り、早速解剖の準備をした。ガイドには気の毒だったが、獰猛な鮫の群れから救いだすことはできなかった。私は彼の犠牲を無駄にはすまいと思った。
夢にまで見たサンプルが手に入ったのである。しかも、貴重な生態を観察することもできた。これで、仮説はより強固なものとなるであろう。
作品名:嘆願書 人魚の生態に纏わる仮説と実証 作家名:みやこたまち