細い肩
「ごめんなさい。でも、もう私のことは忘れてください。…大学も辞めます。このまま地元にいます」
最後のほうは泣き声に変わっていた。
冗談じゃない!
やっと生涯愛し通すと決めた女とめぐり合ったんだ。
何があっても離すものか。
泣き続けるあいつを抱きしめ、なだめながら
「何があった…」
と、もう一度聞いてみる。
むせび、なかなか言葉を出せないでいるあいつの背中をずっとさすっていた。
息をゆっくり吐き、覚悟した様子であいつは言った…
「…私…レイプされました…。それで…妊娠しちゃって…赤ちゃん、堕ろしたんです…」
顔の血の気が引いた。
「い…いつだ」
ようやく出た声はすごく掠れている。
「誰にやられた…!」
思わず肩を掴んで、あいつの顔を覗き込んだ。
あいつは目をつぶったまま、ただ
「ごめんなさい」
を繰り返すばかりだ。
怒りでぶちきれそうになる感情を大きな深呼吸で押さえ、あいつのか細くなってしまった肩を抱きしめた。
こんなに細かっただろうか…。
ろくにものを食べていないのかもしれなかった。
「私…、もう…先生のお嫁さんになる…資格ない…」
絞り出すような声に、胸が締め付けられそうだった。
「…馬鹿だな」
これ以上抱きしめると折れてしまいそうだが、抱きしめる腕を解くことができない。
「何でそう思うんだ。何があってもお前はお前だ。謝るのは俺のほうだ…お前を守ってやれなかった」
「…先生…!」
今まで我慢していたんだろう、あいつは俺の胸の中で大声で泣き出した。
なき疲れて俺の胸の中で寝てしまうと、起こしてしまわないようにゆっくりとベッドに横たえ、犬のぬいぐるみと一緒に毛布をかけてやった。
あいつの両親から聞いた話では、場所はあいつが夏休みの間バイトをしていた、父親の知り合いが経営する居酒屋でのことだったらしい。
相手は、そこの長男。
あいつとは幼馴染といった間柄だ。
子供のころ、おままごとで「結婚しよう」みたいなことを言っていたのを、いまだに本気にしていて、あいつが婚約したのを知り逆上してしまい、行為に及んだらしい。
「ネックレスにぶら下がっていた指輪を見て、どうしたんだと聞いたらしいんです」
母親が言う。
『好きな人からもらったの。私、来年の春に結婚するの。式、来てくれるよね?』
一瞬のうちだった。
顔を殴り、畳の上に倒れたのをそのまま奥の座敷に引きずって行き、無理やり犯した。
行為が終わったところに、ヤツの父親が仕入れから戻ってきて現場を目にしたらしい。
逃げ出した長男は放っておいて、まずはあいつを助けに入った。
ネックレスは引きちぎられたが、指輪はしっかりと手に握り締めていたという。
長男は、友人宅に隠れているところを見つかった。
父親は、これが公になると商売に支障が出ると、示談を申し込んできたらしい。
「…金で解決したんですか…!」
怒りで膝の上で握っている拳がぶるぶると震える。
「仕方ないだろう…君、彼は昔からの知り合いだし…彼の息子も本来はまじめな子なんだ。うちの娘も…結婚前にこんなことが公になったら、君もやりづらいのじゃないか?」
仕方ないですむか…!俺は殴り殺しても殺したりねぇ!!
一時もこんなところにあいつは置いておけない。
「あいつは、俺のところに住まわせます。あいつがこのまま大学を辞めたいというのなら、それでもいい。そのまま婚姻届を出して、式は後延ばしでもいい。何ならしなくてもいい。あいつがこんなことになったのは俺の責任でもあります。これからは目を離しません」
俺がずっと守ってやる。
俺は一晩中、あいつの部屋で起きて過ごした。
ベッドの傍に椅子を置き、あいつの手を握りながら…。
翌朝目を覚ましたあいつは、俺がずっと傍にいたことを知り、すごくうれしそうな顔をした。
そして、半分毛布に顔を隠し
「…おはようございます」
と、小さい声で言った。
話し合いの結果、大学は最後まで続けるが、住むのは俺のマンションということになった。
結婚は予定通り来年の春。だが、出席者は、俺の姉と兄、そしてあいつの両親のみという小さなものにすることに決めた。
あいつのものを小さな引越し業者のトラックに積んでいるとき、遠くの電信柱からこちらの様子を見ているものがいた。
もしかしたら、あいつをレイプした男なのか…?
一歩踏み出したところ、あいつが俺を止めた。
「先生、早く行きましょう?私たちの住む所に」
満面の笑みをたたえ、腕をしっかり組んできた。
そして俺をタクシーの後部座席に乗せると、自分も隣に乗り込んできた。
本来、こいつはすごく芯の強いやつなのかもしれない。もしかしたら、尻に敷かれてしまうかな…。
なんていうことを思いながら、俺たちは新しい生活に向かって走り出した。