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牛への愛

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註解


(1)バープー…[グジャラーティ]Bapu."父さん"の意。ガーンディジーの、特にその出身地グジャラート地方における愛称。

(2)国民会議…インド国民会議。Indian National Congress.ガーンディジーが参加していたインドの政治団体。独立運動に中心的役割を果たした。

(3)バープーと、その前を歩く牛の写真…牛は日の出とともに散歩する習性がある。人間がついていっても牛は気に病むこともなく散歩を続けるので、一緒に散歩するような仕儀となる。この写真はそのようなさまであろう。

(4)牛への愛…インド・パキスタン分離独立の前後ガーンディジーは、相争うヒンドゥ教徒とイスラム教徒の共通項として"牛への愛"を提示し、融和を訴えた。ヒンドゥ教徒においてもイスラム教徒においても牛は今日も畏敬される存在である。私はインドに滞在した折、牛の表現し得ぬ可愛らしさ、沈着でこだわることのない佇まいに触れ、彼らの牛への敬意を多少なりとも了解した。

(5)カーディのクルターとドーティ…カーディとはインドの伝統的手織り綿布のこと。クルターは上衣、ドーティは腰巻ズボン。ガーンディジーは南アフリカでの弁護士時代には英国紳士風の装いをしていたが、インドに帰国してスワデーシ(国産品愛用)運動に参加してからはカーディ製の衣服を着用していた。

(6)分離独立…1947年8月、インド連邦とパキスタンはイギリス領から分離独立した。前後の暴動、虐殺、報復によって約100万人の死者が出たと見られている。この混乱時に生じた憎悪、難民問題は、今日もなお続いている。ガーンディジーは分離独立に最後まで反対していた。このふたりが対立したというのは、分離独立の確定以前の、独立運動中の出来事であったろう。

(7)バープーが帰らぬ人となった今…1948年1月30日、ガーンディジーはヒンドゥ過激派の青年にピストルで殺害された。晩年のガーンディジーの活動はヒンドゥ教徒とイスラム教徒の融和運動に集中しており、両教徒の過激派、ことにヒンドゥ原理主義者からは強く敵対視されていた。
作品名:牛への愛 作家名:RamaneyyaAsu