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牛への愛

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牛への愛


 バープー(1)が国民会議(2)本部の講堂で講演をやると聞いたので、私は聞きに行くことにした。それは私が国民会議の書記員だからではなくて、単に私と同郷のバープーのファンだったからというだけだ。
 講堂の前にはすでに人が溢れていて、入り口にはポスターが貼ってあった。バープーと、その前を歩く牛の写真(3)。その上にデーヴァナーガリー。
 "牛への愛"(4)
 そう書いてある。何の話なのかまったくわからぬ。牛への愛についての話なのだろう。しかしそれはなんの話なのか。謎だったが、ともかく私はなんとか講堂の後ろの方に空いている席を見つけて座った。バープーが登場し、皆が拍手で迎えた。丸眼鏡、鷲鼻、カーディのクルターとドーティ(5)…老いてますます渋い。講演は次のようなものだった。
 
 私は皆さんに申し上げたい。牛の可愛らしさ。それは表現することも不可能だと。
 瞳、まつ毛、鼻、口元。彼らの知性と無垢とは、これらと不可分のものとして宿り、働いている。
 牛こそが、それが結晶して動いているところの、一真理に相違ないと。
 私は夢想する。この一真理-可愛い牛-は、果たして私の恣意的な見解だろうか。人々は、ここにおいて合意できはしないか、と。もしもここ-牛への愛-において合意できるなら、自然が一元であることを承認する私たちが、人間と人間における諸障壁、諸障害においてもまた、どうして取り払い、合意できないだろう、と。
 だから私は皆さんに申し上げたい。人間の可愛らしさ。それは表現することも不可能だと。可愛い人間という一真理、人間への愛において、私たちは合意できるのだ、と。

 ご冗談でしょう、バープー。退場するバープーに拍手しながらも、私はそう思って笑いを吹き出さずにいられなかった。バープーのいつもの強引さ、直情さによって真理とされたところの可愛い牛については、認めないではない。私も田舎にいた頃は、朝には牛たちと一緒に散歩したものだ。確かに牛の可愛らしさはほとんどひとつの真理かもしれない。牛への愛、合意しましょう。しかしですねバープー、人間の可愛らしさ、ですって?可愛いものですか!人間と牛とでは大違いですよ、ええ、同じ自然でしょう。でもそれは本源的にというだけで、現象しているものとしてはまったくの別物ですよ。こじつけです。牛は無垢だから可愛いでしょう、でも人間ときたら…いやバープー、斬新な楽しいアイデアではありましたとも。まさか牛への愛を持ってくるとは、いやはや…
 結局私は、バープーらしい、強引さ、直情さに満ちた、この斬新なアイデアを楽しく思ったことで満足して、バープーが提示した問題自体については深く考えることがなかった。私は席を立ち、講堂を出た。
 出口に見知った男がいるのには、すぐに気づいた。彼も同様だ。目が合ってしまった。私たちはこうなった以上観念して、合掌を交わした。三年前だったか、私と彼とは、分離独立(6)についての見解で対立して、陰湿なうちに会わなくなったのだった。
 「やあ」
 「しばらく」
 挨拶しあったものの、何の話も出てこない。そのとき私たちは、ふたりの間に貼ってあるポスターに気づいた。くだんの、バープーと牛の写真。"牛への愛"。そして喚起される、さっき聞いたばかりの、バープーの講演。私は夢想する。牛への愛において彼もまた合意するだろう、と。ひとつの自然、人間は言わば牛である…牛は可愛らしい、人間は可愛らしい、彼は可愛らしい…可愛い彼…一真理…彼への愛…
 私と彼とは目を合わせ、同時に吹き出した。そしてバープーと牛の写真を見た。次には、私たちは抱擁していた。「すまなかった」「いや私が悪かったんだ」などなど。

 バープーが帰らぬ人となった今(7)、私は考えてみる。あの出来事は、何に拠って起きたのだろう。バープーの言った理論自体も、もちろん無関係ではなかった。それはこの出来事の構造を説明するだろう。しかし原理ではない。しばらく考えて、私は感得した。思えば彼もまた、バープーの大ファンだった。昔私たちはよく、バープーの強引なまでの情熱への驚きについて爆笑しながら語り合ったものだった。結局のところこれは、私と彼とが愛していたところのバープーの、そして私と彼との、バープーがいつも、誰もが内に秘めていると言っていたところのあの驚異、内なる愛が原理となって起きたのだと。牛への愛。それは、そのまま内なる愛に他ならぬ。もしも人が何に対してであれ、可愛いとか、美しいとか、立派だとか感じるなら、それは彼の内なる愛の存在を彼に報せるだろう。
 私は、部屋に貼ってある牛の写真を眺めて考える。いったい来世紀の人間たちは、牛を愛するように人間を愛しているだろうか。私たちがそうだったように、バープーのような、強引にも愛を誇示する稀有な英雄にほだされて、自分というものへのこだわりが馬鹿らしくなって。そんな英雄が大勢いれば、分離独立なんていうような馬鹿騒ぎも、もうなくなっているだろうに。
作品名:牛への愛 作家名:RamaneyyaAsu