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ラストメモリー

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 誰かと関わりあいになるとどうしても感情が伴い、結局は喪失感だけが膨らんでいく。相手がいなくなった後も、彼は存在し続けるのだから。
 彼は長い間独りきりで生きてきた。奪い去られることがわかっているものを、一時自分のものにするよりも、彼は孤独を好んだ。
 だが今、彼は何百年かぶりに人間と関わりを持とうとしていた。
 クリスチャンには自分がわからなかった。
 暗い夜道を永遠と並んで歩きながら、先ほどの彼女との取引を思い返していた。
 ―あなたの時間をちょうだい。三ヶ月だけでいい。三ヶ月だけ私と一緒にいてくれたら、あなたの欲しいものは何でもあげるわ。私の血を全て飲み干してもいいし、殺したってかまわない。
 そう言う彼女の瞳に自分と同じものを見た。
 ―孤独。
 彼にとっては、自分の一部といってもいいほど馴染み深いものだったからすぐにわかった。彼女は慎重に隠しているつもりだったのだろうが。
 永遠はとても儚げで、彼女に近づいたのもそんな様子に惹かれたからだった。
 きっと孤独が長すぎたのだ。心のどこかで、人とのふれあいを求めていたのだろう。
 三ヶ月。永遠を生きる彼にとっては無きに等しい。
 たった三ヶ月のことだ。彼女に心を許さなければいい。
 そうすればまた、孤独と二人きりになったとしても空虚さを抱えて眠らずにすむ。
 「ここよ」
 彼女の声に我に返り足を止めると、こぢんまりとした家の前だった。


 家の中は片付いていた。というよりはあまり物がなかった。きっと彼女も彼と同じようにモノに執着しないのだろう。
 モノはいずれなくなるから。
 部屋には必要最低限の家具があるくらいで、彩りを添えているのは、所々に飾られた写真とソファの上に置かれたカラフルなクッションくらいだった。
 クリスチャンの視線を追って、彼女が聞かれもしないのに言った。
 「それ、叔母さんの手作りなの」
 だからわかるでしょというように彼女は肩をすくめた。
 同意の印として頷いた。 
彼女の趣味とは異なるが、叔母さんの気持ちを無下にしたくないのだ。
 いったいいつから相手を優先して生きてきたのだろう?
 いったいいつから自分を殺して生きてきたのだろう?
 きっと険しい表情になっていたのだろう、彼女がおずおずと言った。
「お茶でも淹れましょうか? それかコーヒーでも」
 「君の血は頂けないのかな」
わざわざ明るい口調で言ったのに、彼女の顔から血の気が引いた。
 「取引したじゃない。三ヶ月一緒にいてくれると」
 彼女の瞳に隠し切れないもろさが滲んだ。
 「ああ、取引した。だがあれは三ヵ月後には君の血を飲み干してもいい、もしくは殺してもかまわないというものだったはずだ」
 彼女は何も言わなかった。下を向き、髪で顔を隠して体を小さく震わせた。
 クリスチャンは彼女に心を許すまいとわざと冷たく言い放ったが、本当にしたいのは腕に抱きしめ、彼女を傷つける何者からも守ってやることだった。
 最初から彼女には保護欲をかき立てられ、それに抗うのは不可能だっだ。だから夜道をさして注意もせず歩いている彼女を見守っていたのだ。
 自分で傷つけておきながら、その結果をこれ以上見ていられず、あやすような口調に切り替えた。
 「お嬢さん、君はヴァンパイアについて学ぶ必要がある。ヴァンパイアは一度に多量の血を摂らない。君たち人間が献血と称して行っている行為の方が、よほど多くの血液を失うぞ。わたしは一度貧血を起こした」
 じっと彼女を見つめて反応をうかがう。
 顔を上げた彼女が目を見開き囁いた。心なしか目が潤んでいるような気がする。
 「ヴァンパイアが献血?」
 「ああ、そうだ。こっちへおいで」
 クリスチャンはソファに座ると先ほどの望みを叶えた。彼女を膝に乗せて自分の腕でしっかりと包みこんだのだ。
 本当はいけないことだとわかっているのに、こうすることがとても正しく感じられる。
 「このクッションもそんなに悪くはないな」
 けばけばしいクッションにもたれ囁くと、彼女はくすくす笑った。
 クリスチャンは彼女の顔を見下ろし、最初の質問を繰り返した。
 「君の血は頂けないのかな」
 彼女はクリスチャンの顔を見上げ、ためらうことなくそっと微笑んだ。
 「あなたを信じるわ」
 クリスチャンは目を見つめ返し、ゆっくりと顔を下ろしていった。
 彼女に逃がれる猶予を与えるために。


 目を覚ますと自分の部屋のベッドの中だった。抜け目ない太陽がカーテンの隙間から入り込み、部屋を薄く染めている。
 ハッとベッドを飛びだした。
 彼はどこ?
 部屋という部屋を駆け回るたび彼が出て行ったか、さらに悪くすれば灰になってしまったのかもしれないという不安に、胸が締めつけられていく。
だが彼はそこにいた。
 狭いバスタブの中で、大きな体を丸めて眠っていた。
 永遠はリビングに戻りながら、昨夜のことを思い返した。
 彼が首筋に牙を埋めたとき、思わずびくっとすると慰めるようにそっと髪を撫で、抱きしめてくれた。だけど痛かったわけではなく、感じたことのない感情の揺さぶりが体に伝わっただけだった。
 彼に守られ、彼が血をすするやわらかい音を聞いているうちに温もりに包まれ眠ってしまった。
 一度、まだ暗い時間に目を開くと、金の瞳が見つめていた。
 「もう一度お眠り」
 彼の声にあやされ目を閉じながら、ずっと私を抱いたまま眠っている様子を見ていたのだろうかと思った。
 永遠は温かいココアを淹れると、マグカップを手にカーテンを開け、外を眺めた。もうすぐ十月だ。木々が色づき世界に彩りを添える。普通の人生を送っている人にとっては、これから何度も繰り返される色の変化に、目を留める暇もないかもしれない。だが私にとってはこれが最後だ。
 今まで、一度も生きたいと思わなかった。ただ起きて、食べて、眠る。その繰り返しに身を置くしかないから、そうしていただけのこと。
 彼に出逢うまでは。
 ふつうに考えれば出会ったばかりの、それも人間ではない相手に心を許すなんて正気の沙汰だ。死を覚悟した者は無謀なことをすると読んだことがある。それは死ぬよりも悪いことはないと思っているからだと常々思っていたが、私も意図せず同じことをしているのかもしれない。そうだとしたらそれはすばらしいことなのでは?
 首筋の、見た目には少し赤くなっているだけの彼の名残に手を触れ、ゆっくりとココアをすすった。喉を通り過ぎてゆくと、ほろ苦く、甘い温かさだけが口内に残った。
 両親が死んでから初めて、胸の奥にかすかな温もりを感じた。


 クリスチャンは温かい香りに招かれてバスタブをあとにした。
 狭いバスタブで眠ったせいで全身が凝り固まっている。腕を上げて伸びをすると天井に手が届いた。
 リビングに入っていくと、愛らしい黄色のワンピースを着た彼女がそこにいた。
「すまない。バスルームを占領してしまったな」
 彼女はテーブルに料理を並べているところだったが、クリスチャンの声に小さな悲鳴を漏らした。
 「ひゃっ」
 ビクッとした彼女の手からグラスが滑り落ちる。
 グラスの破片が繊細な肌を傷つける様子が頭に浮かんだ。
作品名:ラストメモリー 作家名:Lucia