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水晶少女

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 一目見たときから、僕は彼女が気に入ってしまった。

 ムスッとして、森羅万象すべてが納得いかないんだ、って顔。
 決して誰にも寄りかかろうとしないように、まっすぐピンとしている背筋。
 自分以外の手には絶対触れさせず、汚されていないと思えてしまう、黒曜石の如き漆黒の髪。
 その在りようが、心底美しく思えて。僕はただ見惚れる以外に、どうしようもなかった。


「この後なんかあるか? カラオケでもどうよ」
 六限フルタイムで授業を真面目に受け、ぐったりと机に寝そべっていた僕の前に、一人の男子生徒がやって来て、そう訊いてきた。
「ん、ちょっと予定が。ごめん」
「あれ、お前確か部活はねえんだろ? ちょっとメンツがショッパいんだよ。暇ならどうかなって思ったんだが……そうか、まあ無理にとは言えないわな」
 彼はため息をこぼし、少し残念そうにそう言った。
 彼の好意は嬉しいし、予定があると嘘をついたのは心苦しいが、僕はホントに疲れていたのだ。僕の勉強スタイルとして、家で一切勉強しない代わりに、授業を全身全霊込めて集中し受ける。そうすることによって、学年上位は絶対に無理だけど、そこそこの成績を収めることができる。
 そのスタイルは小学生の頃からの伝統で、その方式を背くと、一気に積み上げてきたものがガラガラと瓦解してしまう。ただし、その勉強法の弊害として、授業を終えた後の、とくに六限フルにある日など、指一本動かすのがつらいというくらい疲弊する。この後遊びにいくなど到底できそうもない。 
 あるいは彼女のように、全時限まともに受け、それでも表情一つも変えない強さがあれば、僕もカラオケで大盛り上がりできるかもしれないけれど。
「お前、まだあの女が気になるのか。やめとけっつってんのに」
「……え」
 彼の言葉に、うまく反応できなかった。
「だから、針女だよ。お前今もあの女の方を見たろ」
「そ、そうかな」
 自分にその気は全くなかったけど、無意識に彼女の方を見てしまったのかもしれない。
 ちょっとばかり恥ずかしい。
「相変わらず、あの女に近づくアホはいねえな。まあしょうがねえ。自業自得ってヤツだわ」
 彼は彼女の方を見ながら、侮蔑する表情でそう吐き捨てる。
 僕は彼の言葉にちょっとばかり反感を持ったが、彼がそう言い捨てることも致し方ない、とすぐに思い直す。
 なぜなら、今も彼女は流麗な黒髪をピンと張った背筋に零し、自分の教科書を手際よく鞄に詰めながら、ツンとした表情をして、体全体から私に絶対近づくな、というオーラを隠すこともなく発散させている。
 周りにいる生徒も、彼女の存在なんて最初からなかったというように、総スルーだ。放課後になった解放感溢れる今の時間でさえ、彼女にお別れの挨拶をする人間なんて、どこにもいない。
 僕は今更ながら、寂しくないのかと思ってしまう。彼女にとっては大きなお世話だろうけど。
「お前、ほどほどにしとけよ。外面の良さであの女に近づいていったら、針女ご自慢の鋭い針でぶっ刺されて、体中に大きな穴を空けちまうからよ。んじゃ、またな」
 彼は僕に向かって手を上げて、教室の中央にいる男子グループの方へと歩いていく。新学年初日、男連中で集った親睦カラオケで聴いた、彼の十八番の渋い演歌を拝聴できないのは残念だと思うのだが、一度口に出したことを取りやめるつもりはない。僕も軽く手を上げ、別れに応じた。

 新年度、半月同じ教室で顔を合わせ、知り得ることができた彼のこと。
 彼は色んな人に好かれている、このできて間もないクラスの中心的存在だ。温厚で気安く、尖ったところのない優しい人柄に周囲が集うのも当然の帰結だ。僕のような何の取り柄もない、味気ない人間もちゃんとフォローしてくれる優しさは、本当にありがたいといつも思う。
 ただ、彼女に対しては辛く当たる。理由は……なんでだろうか? 分からない。勝手な想像を拵えるなら、彼は自分で言ったように、昔彼女の『針』に刺されてしまった哀れな被害者の一人なのかもしれない。

 僕もいつまでもここでのんびりしているわけにもいかない。
 予定があると嘘をついたと言ったが、あながち完全な嘘というわけでもないのだ。好きなドラマの再放送が丁度やっている時間帯だ。さっさと家に帰って、熱いコーヒーを啜りながら楽しみたい。ドラマチックな刺激に心を躍らし、コーヒーの苦味で荒れた臓腑を落ち着かせる。しんどい学校生活の疲れを癒すにはうってつけなのだ。僕のささやかな趣味なのである。
 通学鞄に教科書その他諸々を詰め、席を立つ。
 教室の後ろの扉に向かう際、様々なクラスメイトから、バイバイの声を掛けられる。
 僕は笑顔でそれに応じ、途中、彼女の席の前を通る。彼女は通学鞄を机の上に置き、その上に乗せるように文庫本を読んでいた。
 相変わらずムスッとした表情だ。どんな本を読めば、あんな怖い顔ができるのか。
 どっかの孤島に閉じ込められ、登場人物がひとりひとり姿の見えない殺人鬼に密室で殺されて、生き残った人間が疑心暗鬼に陥っているような、おどろおどろしい小説だとか。
 僕はくだらない妄想を追い払うよう顔を振り、彼女に向かって、
「また明日」
 その言葉と、可能な限りの慎ましやかな笑顔を彼女に向けた。
 が、リアクションは、特になかった。彼女は変わらず本を読みふけり、僕の方に視線を向けさえしない。僕の挨拶に応じるより活字を追う方が遥かに有意義だとご判断なさったようだ。
 だけど、僕は落胆しなかった。
 これは恒例行事である。
 僕は彼女に別れの挨拶をし、彼女はそれを徹底的に無視する。
 この様式美は、彼女と僕との唯一の接点だった。僕はひそかにそれを楽しみとさえしていた。
 いつも通りのやりとり(と言っても彼女は何もしていないが)を終え、僕は満足し彼女の前から離れようとした。
「……また、明日」
 僕は慌てて彼女の方に振り返った。彼女は特に変わらない様子で、本を読んでいる。しかし、間違いなく彼女の声が聞こえた。小鳥のさえずりよりも弱々しかったが。
 その言葉がどれほど貴重なものか、この半月彼女と同じ教室で机を並べた僕には、深く理解できる。
 僕はすごく嬉しくなって、もう一回言って。そう彼女に求めたかったが、絶対に彼女は復唱してくれないだろう、という確信があった。
 だからやめた。代わりに、
「うん。じゃあね」
 やはり僕に愛想の一つも投げかけない彼女に笑いかけ、ゆっくりと扉に向かっていった。
 でも、心の中は温かい気持ちでいっぱいで、叫びたい思いさえした。

作品名:水晶少女 作家名:がるざく