冥帝の万華鏡
「ぼくはしょうらいひーろーになって、かいぶつたちからまちをまもりたいです。」
俺、藤崎亮の幼稚園年長の頃に書いた将来の夢作文。これが今日、気まぐれに部屋の清掃をしていた時に発掘された、己の恥ずべき黒歴史だった。
本来なら、このような幼少期の遺品は両親、特に母親が後生大事に押入れの奥底にでも大切に保管しておくはずのものなのだが、我が家の母親はいつの間にかアパートで独り暮らしをすることが決定した息子の荷物の中へこれを忍び込ませていたようだ。
もしかしたら俺が将来彼女を部屋に招きいれたときに彼女の手によって発掘され、俺の恥ずかしい過去が彼女に晒されるように画策したのかもしれない。もし、それが事実ならば、俺の母親は相当な策士だ。
最も、全くと言って良いほどそういった色恋沙汰とは無縁の生活を送っているこの身にとっては、そういった事態になりようも無い。まあ、友人を家に誘った時にでも露見しても目も当てられないような惨状になること請け合いなので、これは即刻処分することにしよう。とりあえずゴミ箱へ放り込んでおけばいい。
しかし、ふと考えてみると、一体俺はいつごろから特撮的ヒーローに対しての興味や憧れを失って行ったのだろうか。巨大化したり、一瞬で変身を遂げ瞬く間に悪の敵を蹴散らして行く彼らの存在が偽りのものであると言うことは子供心ながらうすうす感付いてはいたし、彼らの前に立ちふさがる怪獣や怪人も作り物であると理解していた。それでも俺が特撮ヒーローものが好きだったのは、テレビ画面の向こう側で日夜世界を守る為に戦い続けている彼らに憧れを抱いていたからに他ならなかったはずだ。それがいつの間にか興味を失い、今では新聞のテレビ欄の視聴候補からも除外されてしまっている。
そこまで思い返して、ああ、それはきっと俺が精神的に成長して現実って奴を受け入れ始めたからだろうなと思い至った。大人になると言うことはそういうことだろう。俺はそれを成長の証として嬉しく思う反面、同時に少しづついろんなことから興味を失って行ってしまう事は寂しいことだなと、少しだけ憂いた。
まあ、こんなものさ―――
こんなことで憂鬱になるなんて自分らしくないなと嘆息し、明日からまた学校だと、手短に風呂に入り、そそくさと布団に入って目を閉じた。
朝、目を覚ました時に瞳に映る天候は、一日を生活するうえで大いに重要なように思う。それが雨であれば、自分が濡れる姿を想像して憂鬱になり、進んで外出しようとは思わなくなる。曇りであれば、その薄暗さに気分が翳って嘆息し、いつ降り出すとも知れない雨を警戒し、傘を持って外出しなければならなくなる。晴は晴で、明るく澄んだ空気に気分は良くなるものの、その暑さの中を出てゆかねばならないと思うと一抹の気だるさが沸き起こる。つまり、なにが言いたいのかというと、どうと言うことはない、どんな天候であれ気の進まない午前中の外出は億劫であるというこの一言に尽きる。
しかしながら、幾ら当人が拒絶しようとも高校生と言う身分である以上、一週間に五日は学校へ出向かなければならないと定められており、それを無視できるほどの権限も立場も俺は持ち合わせていない訳で、結局いつものように焼いた食パンにマーガリンを適当に塗り込んだものを胃の中へ押し込みおずおずと身支度を整え恋しい我が家、もとい布団を後にした。
家から学校までの距離は徒歩で約二十分と自転車で行けば近いと言えるが徒歩だとやや遠く感じる微妙な長さだ。そんな道をほぼ毎日、行きと帰りの一往復を飽きるほど通い続けている。こんな時、親しい友人と話しながらゆっくり登校すれば多少その退屈もまぎれるのだろうが、生憎俺の友人達はあんな学校に早くから行くのがお好きなようで、この高校に通い始めて約一年と一ヶ月一度たりとも登校中に友人達を見かけたためしがない。
いつものことだと割り切りながらその退屈な道を踏破し、いつも通り特に趣向の凝らしようも無い無機質な下駄箱に下駄履きを叩き込んで上履きに履き替える。そのままいつも通り教室へ向かうと、これまたいつも通り俺が教室のドアを開けた瞬間にホームルーム開始のチャイムが校舎中に響き渡った。
「藤崎くん、もしかして狙ってるのかしら。」
教卓に立ちいつも通りにこやかにため息をつく担任の宮辺教諭がほとんど恒例となった文句を口にする。
「狙った覚えは無いんですけど。」
そしてこれまた恒例の決まり文句を俺が口にした。
その後ホームルームは滞りなく進行し、もともとホームルームが簡潔と人気の宮辺教諭のホームルームは瞬く間に終了した。
「や〜、亮ちゃん、連続チャイムと同時入室記録、記念すべき第百回おめでとさ〜ん。」
と、俺の後ろの席から楽しげな声が響く。その友人平沢賢治は、元々狐の目のように細いその眼をさらに細めて楽しげに笑っていた。
「げ、もうそんなになってたのか。」
確かに前年から恒例の如くチャイムと同時に教室に滑り込んできていたが、よもやそれが百回に達しているとは予想もしていなかった。
「そうだよ〜、俺、ちゃんと毎日カウントしてたから間違ってないよ〜」
「この暇人が。」
そう皮肉ると賢治はなおも楽しそうに笑い続けていた。
笑いっぱなしの賢治を放ったまま、俺は前に向き直り、一時限目の準備をする。どうせ他にやることも無い。賢治とした様なやり取りを他の友人三人と繰り替えしながら、俺はのんびりとホームルーム後の自由時間を満喫していた。
学校と言うものは、来るまでが辛いだけで一度授業が始まってしまえば後はのんびりしていればそのまま終業時間まで惰性で流れて行く。
俺はいつものように根を詰めすぎないように適度に手を抜きつつ、落ちこぼれないように要点はしっかり押さえながらその日も授業を過ごして行った。
「亮ちゃん、いっしょ帰ろうか〜」
鞄に荷物を押し込んでいる俺に賢治はいつものように話しかけてきた。賢治の家は割りと俺の家の近くなので、こいつと一緒に下校するのが恒例となっているからだ。
「ああ、賢治悪い、今日ちょっと買い足さなきゃならんものがあるから、遠慮しとくわ。」
「ん〜、つれないな〜」
それなら仕方が無いなと相変わらずの軽い調子で賢治は応え、そのまま特に詮索もせずさっさと帰路についていった。
「さて、と」
鞄を肩に掛けながらそう呟き、同時にポケットから一枚の紙切れを取り出す。昨日の気まぐれ掃除の時にまとめた足らないもののリストだ。その中でももう直ぐ寿命の切れそうな我が家の蛍光灯だけは今日中に買っておかないと、今日の夜当たり暗闇の中で過ごすことになりかねない。
このあたりには電化製品専門店などは無いので、蛍光灯などを買うには、学校を挟んで俺の家とは対極、学校からさらに三十分歩いた先にあるデパートとは言いがたいがかといってスーパーでもない中途半間なデパートに買いに行かねばならなかった。
俺の住むアパートのある住宅街とは違い、学校の西側は発展途上中ではあるもののある程度のビル群が立ち並び、近いうちにその中途半端なデパートから少し行った先に大型のショッピングモールが建設途中である。どちらかと言えば活発な発展域だ。