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望遠鏡なんて要らない

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 観測当日、午後六時。とっくに夕日は沈み、金星が瞬きだす時刻である。
 おれは、レジャーシートやらお菓子やらを色々と詰め込んで膨れ上がったリュックサックを背負い、部室へ向かった。既に室内には柚木がいて、持ってきたらしい双眼鏡などを椅子の上に並べている。
「あ、先輩。おはようございます」
「こんばんは、だろ。しかし毎回、鍵の管理を任せちゃって悪いな。おれより早く来なきゃいけないし、大変じゃないか」
 重いリュックサックを床に置き、窓枠に腰かけながら、おれは聞いた。同好会発足当時から、部室の管理はなぜだか柚木に任せきりになってしまっており、実はいつも気になっていたのだ。しかし柚木は首を横に振った。
「いいえ。たいしたことじゃありません。それに、先輩に任せるより安心だって、先生にも言われましたし」
「さすが先生、良いこと言うな」
 眼鏡をかけた小柄なおじさん顧問の姿を思い出し、おれは苦笑いした。
「そういえば先輩、先生には……」
「もちろん許可は取ってあるさ。許可もなしに休日の学校に泊まれるわけないだろ」
「それを聞いて安心しました」
 背後の窓に目を向けると、暗闇がますます深くなっていくのが分かった。窓から見ることの出来る範囲では、どうやら晴れているようだ。
 観測開始は七時と定めてあったので、暫くは持ってきた食料品を空けることに専念して時間を潰した。木曜に渡された雑誌の、流星群観測に関する記事のおさらいをしていたら、時が経つのはあっという間だった。
「……さて、そろそろ七時だ。よし、出陣するか」
 時計の針は六時五十五分を指している。おれは立ち上がり、さっきまで腰かけていたのとは反対の壁際の窓を開けた。途端に、外の冷気が吹き込んでくる。この窓は、人一人は簡単に出入りできるほど大きく、屋上に直接繋がっている。そう、ここが屋上への入り口というわけだ。廊下にも屋上への入り口はあるが、何年か前に用務員さんが鍵を紛失したとかで、部室から出入りするほか無いのである。
「よっこらせっと」
 外靴に履き替える、なんて手間なことはしない。屋上の清掃は一週間に一度、おれたち二人が交代で行っている。特に今週は柚木が当番だから、おれが当番の週よりもきれいなはずだ。窓枠に足をかけ、そのまま屋上に着地する。そう大した高さがあるわけではない。教室で使っている机の上から床に着地したようなものだ。
「先輩、避けててくださいよ」
「おう」
 おれの後ろに続いて柚木も屋上へ降り立ち、小さなくしゃみをした。
「……やっぱり寒いですね」
「うん。そりゃあ十二月だからな」
「なんか偉そうですね」
 部室の電気はつけっぱなしだから、自分が吐き出す息の白さがよく分かる。おれは窓の遮光カーテンを閉じる前に、柚木に指示して、窓の近くに置いておいた防寒具と観測道具一式を持ち出させた。見たところ雨や雪は降る気配がない。新月だからよくは見えないが、雲は無さそうだ。
 二人で防寒着を着込んで、レジャーシートを敷く。持ってきた双眼鏡とスマートフォン、それから星座早見表を傍らに置いて、いよいよ準備万端である。教室三つ分ほど敷地がある屋上の、ど真ん中を陣取ったため、学校を囲んでいる住宅の光は届かない。おれたちの視界には、およそ星の光以外の光は映らないのである。
 おれと柚木は二人そろって、レジャーシートの上に仰向けに寝転がった。流星群観測を立って行うのは苦行でしかない。こうして寝てしまえば楽だし、視界が広がるから観測にはうってつけなのだ。
「七時ですね。時間ぴったりです」
「だな」
 どこか遠くで、車の走る音が聞こえる。でもそれ以外に聞こえるものは、おれたちの呼吸音だけだ。おれも柚木も黙って、ただ夜空を見つめる。そうしているうちに、徐々に目が暗闇に慣れてくる。やがて、視界いっぱいに、星空が満ちていく。
 丁度天頂の辺りにはカシオペアがW字型に輝き、西の方には白鳥座のデネブが見える。北斗七星は、おれたちの頭の遥かにあるらしく、見えそうにない。以前、柚木が教えてくれた知識を記憶の底から掘り出しながら、おれは星座を目で追った。
「やっぱり星って、きれいですね」
 隣で柚木が呟く。おれは無言で肯き、同意する。
 学校自体は街中にあるのだが、この街全体が田舎と言っても良い場所なので、都会のような光害は少ない。そのため、澄み渡った冬の空気の中、星の光は鮮明に見え、本当に、息を呑むほどに美しかった。
 柚木が、また一つ呟く。
「ぼく、星を見ていると、先輩と初めて出逢った時のことを思い出すんです」
「……そうか」
 柚木と初めて出会った時のこと。おれだって、よく覚えている。
「一年前にあの丘で、一緒に星を見たんだよな」
「はい」
作品名:望遠鏡なんて要らない 作家名:tei