あの頃、こんなふうに
『あの頃、こんなふうに』
「なあ、沢辺さんて何が好きかな」
朝練前の時間、いきなりそう尋ねられた。
「はっ?」
「沢辺さんだよ、4組の。幼なじみなんだろおまえ」
勢い込んで尋ねてきたのは同じバスケ部の、同学年の湯浅。もっとも部室にいるのが二人だけでなかったら、自分に向けた質問とは思わなかっただろう。それぐらい、普段こいつと会話する時なんてないから。今年も去年もクラスが違うし、入部以降に作られた練習グループも違う。湯浅は1年からレギュラー候補で、自分はずっと補欠要員組。
先月には校外試合のスタメンに選ばれた、今や自信満々で怖いものなしといった態度の湯浅が、柊はどちらかといえば苦手だった。だから話しかけられて正直困ったのだが、今聞かれたことに答えない理由もないから、しかたなく言葉を出す。
「……、そうだけど。それがなんか関係あんの」
「なんかって、関係あるに決まってるから聞いてんだよ。ガキん時から知ってんだったらさ、彼女の好みぐらいわかるだろ。アイドルとか食いもんとか」
妙に熱っぽく説明されても、やはりよくわからなかった。奈央子と幼なじみであるのと、奈央子の好きな芸能人やら食べ物やらを知っているのと、どう関係があるのか。
確かに子供の頃はよく一緒にいた。家が近いし、3歳上の姉が奈央子を妹のように可愛がっていたから、弟イコール自分の子守を口実にしょっちゅう家に奈央子を招き、あるいは沢辺家を訪ねていた。
だが自分が小学2年か3年ぐらい、男友達と遊び回るのが主になる頃にはそういう習慣もなくなり、以後は女同士の付き合いが続いているらしい。
本当の姉妹よりも姉妹らしいあの二人なら、お互いの好みもよく知っているだろう。だが自分を同じ対象に数えられても困る。
「別に、知らねーし」
「んだよ、頼りねえな」
ぼそりと口にした答えに、返ってきたのは吐き捨てるような物言いだった。自分の返答も愛想があるとは言いがたかったにせよ、ムッとした。
これが他の奴ら、それなりに仲の良い連中なら、当人に聞いてやろうとか提案したかもしれないが、相手がこいつでは話は別だ。そうでなくとも勝手に頼ろうとしておきながらこんな言い方をするような奴には、協力してやろうかという気もそがれる。
「んなこと言われたって、あいつは姉貴とは仲いいけどおれは別に。だいたい、んなことなんで聞きたいんだよ」
そう、まず問題はそこだ。当然の疑問に、めずらしく湯浅は即答しなかった。どういうわけか、視線が全然違う方向を向いている。
「……頼んない上に鈍いな羽村。女子の好きなもん知りたいっつったらわかんだろ」
機嫌取りたいからに決まってんじゃねえか、と続けた表情は、無表情を保とうとしながらも引きつっている。
奈央子の機嫌取り? どういうことだろうか。
「あいつ怒らせたわけ? 何したんだよ」
「まだ何もしてねえよ、これからなんだよ」
とことん鈍いな、と言った顔はなぜか若干赤い。
本当に訳がわからない。そう思ったのとほぼ同時に、あさっての方を向いていた湯浅の顔がいきなり振り向いた。なにか開き直ったように、というよりも普段に近い、必要以上の自信を浮かべて。
「ほら、あれだけレベル高い女子だったらやっぱ、相応の相手が必要だろ。いまだに付き合ってる奴がいないってことは彼女もそう思ってんだろうし。だから俺が立候補してやろうとか思うわけ。なかなか俺レベルの男なんていねえじゃん、な」
言い切って得意げな笑みを向けた湯浅を、柊は未知の生物かエイリアンを目の前にしている気持ちで見つめた。
1年の後半頃から、彼女がほしいだの彼女ができただの、そういう話題をちょくちょく耳にはする。女子と1対1で付き合うことがひとつのステップアップ、いやステータスだったかとにかくそんな感じで、2年になってますますそういう空気が強まってきているのは感じていた。
ただし柊個人にしてみれば、付き合ってみたいと思う女子がいるわけじゃないし、そもそも女子は不思議な生き物だと思う。嫌いではないが、何を考えているのか謎な時が多々ある。ことに身近な女子たちは。
だから、よくわからないが湯浅が奈央子と付き合いたいと考えているらしい、と気づいて呆然としてしまった。
生まれた時からの幼なじみ、誕生日も近いからある意味双子みたいに育てられてきた、もうひとりの姉みたいな存在。
いや確かにそのへんの女子よりか目立つ見た目だし、時々手厳しいことは言ってくるものの基本いいやつだと思う、けど。
あいつ相手にそんなこと考える奴がいるなんて、というのがまず最初に思ったことだ。男子とか女子とかいちいち意識しない、それこそ女きょうだいに限りなく近い認識のままで13年以上いるから。
けどあいつはおまえみたいな奴はたぶん好きじゃない、と思ったが黙っていた。奈央子の好み、ましてや好きな男のタイプがどんなのだなんて知らないけど、あからさまに自信過剰で自分がうまくいかない可能性なんてかけらも疑っていない、こんな奴は奈央子だって迷惑だと思う。
…… とはいえこいつが女子にそこそこ人気があるのも間違いなかった。バスケ部の中でも背が飛び抜けて高いし見た目は悪くない。レギュラーになってからは特に、手紙やら待ち伏せやらの数が増えたとも聞く。自信過剰な態度も女子から見たら「かっこいい」のかもしれないし奈央子が同じように思わないとも限らない。
そんなことを考えながら、自分の想像で機嫌良さそうににやにやしている湯浅が視界に入ってくるのは実に居心地が悪かった。練習後なら着替えてさっさと出ていくこともできるが今は朝練前で、全員がそろってのミーティングが終わるまではうかつに出ていけない。なんで今日に限っていつもより早く来てしまったのかと心の底から後悔した。
苛立ちで吐き気さえ感じ始めた時、やっと他の部員が来てほっとした。しかも普段よく連れだって行動する奴らだったから、挨拶ついでに話しかけて不愉快な存在は無視することができた。
奈央子に嫌われればいいのに、そうなりゃいい気味だと、頭の片隅では考え続けながら。朝練中も授業中も放課後も、結局1日中そうしていたような気がする。
それほどまでにイライラした本当の理由に気づくのは、ずいぶん後のことだ。
「なあ、沢辺さんて何が好きかな」
朝練前の時間、いきなりそう尋ねられた。
「はっ?」
「沢辺さんだよ、4組の。幼なじみなんだろおまえ」
勢い込んで尋ねてきたのは同じバスケ部の、同学年の湯浅。もっとも部室にいるのが二人だけでなかったら、自分に向けた質問とは思わなかっただろう。それぐらい、普段こいつと会話する時なんてないから。今年も去年もクラスが違うし、入部以降に作られた練習グループも違う。湯浅は1年からレギュラー候補で、自分はずっと補欠要員組。
先月には校外試合のスタメンに選ばれた、今や自信満々で怖いものなしといった態度の湯浅が、柊はどちらかといえば苦手だった。だから話しかけられて正直困ったのだが、今聞かれたことに答えない理由もないから、しかたなく言葉を出す。
「……、そうだけど。それがなんか関係あんの」
「なんかって、関係あるに決まってるから聞いてんだよ。ガキん時から知ってんだったらさ、彼女の好みぐらいわかるだろ。アイドルとか食いもんとか」
妙に熱っぽく説明されても、やはりよくわからなかった。奈央子と幼なじみであるのと、奈央子の好きな芸能人やら食べ物やらを知っているのと、どう関係があるのか。
確かに子供の頃はよく一緒にいた。家が近いし、3歳上の姉が奈央子を妹のように可愛がっていたから、弟イコール自分の子守を口実にしょっちゅう家に奈央子を招き、あるいは沢辺家を訪ねていた。
だが自分が小学2年か3年ぐらい、男友達と遊び回るのが主になる頃にはそういう習慣もなくなり、以後は女同士の付き合いが続いているらしい。
本当の姉妹よりも姉妹らしいあの二人なら、お互いの好みもよく知っているだろう。だが自分を同じ対象に数えられても困る。
「別に、知らねーし」
「んだよ、頼りねえな」
ぼそりと口にした答えに、返ってきたのは吐き捨てるような物言いだった。自分の返答も愛想があるとは言いがたかったにせよ、ムッとした。
これが他の奴ら、それなりに仲の良い連中なら、当人に聞いてやろうとか提案したかもしれないが、相手がこいつでは話は別だ。そうでなくとも勝手に頼ろうとしておきながらこんな言い方をするような奴には、協力してやろうかという気もそがれる。
「んなこと言われたって、あいつは姉貴とは仲いいけどおれは別に。だいたい、んなことなんで聞きたいんだよ」
そう、まず問題はそこだ。当然の疑問に、めずらしく湯浅は即答しなかった。どういうわけか、視線が全然違う方向を向いている。
「……頼んない上に鈍いな羽村。女子の好きなもん知りたいっつったらわかんだろ」
機嫌取りたいからに決まってんじゃねえか、と続けた表情は、無表情を保とうとしながらも引きつっている。
奈央子の機嫌取り? どういうことだろうか。
「あいつ怒らせたわけ? 何したんだよ」
「まだ何もしてねえよ、これからなんだよ」
とことん鈍いな、と言った顔はなぜか若干赤い。
本当に訳がわからない。そう思ったのとほぼ同時に、あさっての方を向いていた湯浅の顔がいきなり振り向いた。なにか開き直ったように、というよりも普段に近い、必要以上の自信を浮かべて。
「ほら、あれだけレベル高い女子だったらやっぱ、相応の相手が必要だろ。いまだに付き合ってる奴がいないってことは彼女もそう思ってんだろうし。だから俺が立候補してやろうとか思うわけ。なかなか俺レベルの男なんていねえじゃん、な」
言い切って得意げな笑みを向けた湯浅を、柊は未知の生物かエイリアンを目の前にしている気持ちで見つめた。
1年の後半頃から、彼女がほしいだの彼女ができただの、そういう話題をちょくちょく耳にはする。女子と1対1で付き合うことがひとつのステップアップ、いやステータスだったかとにかくそんな感じで、2年になってますますそういう空気が強まってきているのは感じていた。
ただし柊個人にしてみれば、付き合ってみたいと思う女子がいるわけじゃないし、そもそも女子は不思議な生き物だと思う。嫌いではないが、何を考えているのか謎な時が多々ある。ことに身近な女子たちは。
だから、よくわからないが湯浅が奈央子と付き合いたいと考えているらしい、と気づいて呆然としてしまった。
生まれた時からの幼なじみ、誕生日も近いからある意味双子みたいに育てられてきた、もうひとりの姉みたいな存在。
いや確かにそのへんの女子よりか目立つ見た目だし、時々手厳しいことは言ってくるものの基本いいやつだと思う、けど。
あいつ相手にそんなこと考える奴がいるなんて、というのがまず最初に思ったことだ。男子とか女子とかいちいち意識しない、それこそ女きょうだいに限りなく近い認識のままで13年以上いるから。
けどあいつはおまえみたいな奴はたぶん好きじゃない、と思ったが黙っていた。奈央子の好み、ましてや好きな男のタイプがどんなのだなんて知らないけど、あからさまに自信過剰で自分がうまくいかない可能性なんてかけらも疑っていない、こんな奴は奈央子だって迷惑だと思う。
…… とはいえこいつが女子にそこそこ人気があるのも間違いなかった。バスケ部の中でも背が飛び抜けて高いし見た目は悪くない。レギュラーになってからは特に、手紙やら待ち伏せやらの数が増えたとも聞く。自信過剰な態度も女子から見たら「かっこいい」のかもしれないし奈央子が同じように思わないとも限らない。
そんなことを考えながら、自分の想像で機嫌良さそうににやにやしている湯浅が視界に入ってくるのは実に居心地が悪かった。練習後なら着替えてさっさと出ていくこともできるが今は朝練前で、全員がそろってのミーティングが終わるまではうかつに出ていけない。なんで今日に限っていつもより早く来てしまったのかと心の底から後悔した。
苛立ちで吐き気さえ感じ始めた時、やっと他の部員が来てほっとした。しかも普段よく連れだって行動する奴らだったから、挨拶ついでに話しかけて不愉快な存在は無視することができた。
奈央子に嫌われればいいのに、そうなりゃいい気味だと、頭の片隅では考え続けながら。朝練中も授業中も放課後も、結局1日中そうしていたような気がする。
それほどまでにイライラした本当の理由に気づくのは、ずいぶん後のことだ。
作品名:あの頃、こんなふうに 作家名:まつやちかこ