Ramaneyya Vagga
批判精神ノート
パーティシーンは、端的に学識のない人々の集まりであるから、良識ある人が、凡俗な超自然主義や、俗物的醜聞に直面して困惑ないし幻滅しても当然である。
彼ら、他人に聞いたことを自ら見て知ったと言い張る凡俗の徒は、掃いて捨てるほどいるので、いちいち数えるにも及ばぬが、それにしても滑稽なものだ。
彼らは、原子力が危険であり悪であると聞いて、聞いたままを言い、また逃げたりする。市場主義や環境破壊が危険な悪であると聞いて、自分はその下手人たちを告発するのだと言う。
しかし彼らは、遠くのパーティに車で何時間もかけて出かけて、危険とは思わない。わざわざガソリンを消費しておいて、パーティのためなのだから環境破壊ではないと思っている。
スマートフォンでインターネットの情報を日々消費しているが、自分はパーティ人なのだから市場主義に加担などしていないと思っている。市場主義の申し子と言うべき今日的世俗的心霊主義に汚染されながら。
彼らは、他人の噂話ばかりしている。伝統的学問についても人格的修養についても怠けているので、自らについて語るべきと確信できることがないからである。
彼らは、予祝を繰り返しているだけである。予祝によって得た精力なり知見なりは、とくに彼や彼の周囲の人々に何か生かされるわけではなく、彼は、次の予祝の日程を楽しみに考えるだけである。予祝はいつになっても本祝となることがない。
彼らは、自分たちがこの資源を浪費し環境を破壊する予祝を繰り返して他人に聞いたことを言い、他人の話を続けていれば、世界を変えられると思っている。
そしてもちろん、自分は自然を超越した霊魂であるから不変不滅であると思っている。そこで彼らは、批判精神に触れると自分の霊魂を批判されたと怒るので、批判精神を忌避し、安直さを尊ぶ。
驚いた高慢な潮流があったものである。
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu