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Ramaneyya Vagga

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 そこで俺にひとつの考えが浮かんだ。この騒動の一部始終を見に行くのはどうだろう。俺はずいぶん以前から、自分ないし誰かの心の平穏や楽しみのために役に立つことをしようと考えるようになった。これが俺の行為の規範だ。この行為は、いろいろな点で、俺の役にたつのではないか? 俺の文学に充分な素材を提供してくれるだろうし、仏陀釈迦牟尼の故郷というピプラーワーにはいつか行ってみたいと思ってもいた。
 俺は旅の支度を始めた。バックパックに荷物を積めているとき、あのときのさっちゃんの笑顔と声とが、心にこびりついて離れなかったのはなぜか。
 「本当だと思うよ!」
 まったく不可解である。
 "来たれ。そして見よ、修行を続けてきた者を"、か…よござんす。それならぜひ見に行こうじゃないか。

 荷造りの目処が立ち、航空券を手配した。あとは明日ビザを申請して、発給を待つのだ。夕暮れ、自転車に乗って、スーパーマーケットに食べ物を買いに行って、いつもの習慣で新古書屋に寄ると、大学生風の男ふたりの会話が聞こえてきた。
 「ブッダの転生って言ってる奴がいるんだって」
 「まじ? すごくね?」
 「インチキに決まってんだろ」
 「インチキでも面白いじゃん、会いて〜」
 すでに、日本語のWebニュースでも報じられていた。しかし、Hindustan Timesの記事とはだいぶ違ったものになっていて、この男が言うように、ピプラーワーの行者は、「私は転生したブッダです」と言っていることになっていたし、彼は、仏像のそれのように、螺髪を結っていることになっていた。多くのWebニュースにおいては、それが正しいかとかなにを生み出すかではなく、どれだけの回数閲覧されるかが問題であるから、このような形になることは、当然であった。
 Hindustan Timesの記事によれば、この"ゴータマ"という行者は、"出家してから二千五百年余り"になると言うのだから、転生したのではなくて、まだ死んでいないということになるだろう。そして村娘のバクティは、"坊主頭のババジー"を見たのだ。
 仏陀釈迦牟尼が輪廻転生を説いたかどうかについて、論争が絶えない。最も保守的伝統的と自負するスリランカなどの長老部も、輪廻の教義を持っていて、輪廻転生は仏陀釈迦牟尼の悟りの内容であり彼が始めて発見したものだと言う。一方仏陀釈迦牟尼は輪廻を説かなかったとするのは主に文献学者たちだ。思うに彼らの最大の論拠は、Attakavaggaだ。Suttanipataの第四章になっているこの十六個の詩群のうち十五個には、他の経典に含まれる仏陀釈迦牟尼へのくどくどしい賛辞、神々や夜叉といった世界が一切現われない。後世の粉飾がはっきり見られるのは、唯一、第十六詩のみだ。そしてAttakavaggaには、輪廻転生説を思わせるような部分はまったくない。Attakavaggaとは"八詩句"という意味だが、八行詩は、ヴェーダの形式であって、ここからも、Attakavaggaは極めて古い詩とみなされている。
 仏像が結螺髪となったのは、おそらく、インドの伝統的理想的仙人の姿にならったものだろう。それは他の宗門との衝突を避ける意味があったかもしれないし、他の宗門を取り込む意味があったかもしれない。今日のインドにおいても、螺髪を結った遍歴行者は普通に見られる。しかし仏陀釈迦牟尼が剃髪していたことは、例えばSuttanipata3-4に現われているし、だいたい、今日も出家者は仏陀釈迦牟尼に倣って剃髪しているではないか。
 箱本のコーナーに、世界文学全集のカラマーゾフ兄弟があった。上下巻揃っている。中を見ると、昭和四十二年の初版で、帯やしおりもついている。上下とも百円だ。ずいぶん昔、図書館で借りて読んだが、ほとんど、あのくどさ、しつこさしか覚えていない。いったんは棚に戻して他の本も見たが、あのうんざりするほどの執拗さを学ぶのも良かろう、ピプラーワーから帰ってきたら読んでみようと思い、結局二冊とも買って帰った。
 数年前、霊鷲山の石窟のようだと思って入居した、コンクリート張りの部屋で、カラマーゾフ兄弟の上巻をぱらぱらと開いた俺は、一枚の紙切れが挟まっていることに気づく。伝票に使うような薄紙だ。鉛筆で文字が書かれている。

 "私はあなたを認めません。私があなたを認めるまでは、あなたはブッダに会うことはできないでしょう。というのも、私は町田の駅前で、あなたを承認するまで、飲まず食わずで座りつづけるからです。あなたは私を殺しますか?"

 いったいなにごとが起こっているのだ。カラマーゾフ兄弟にもずいぶん尋常ならざる人物たちが登場するが、これを書き、新古書屋で俺を見張り、本に挟んだだろう人物は、その上を行っている。ドストエフスキー氏も真っ青だ。否、そんなことはどうでもいい。とにかく俺の心は恐怖に囚われ、凍てついた。
 しかし、何度も読み返すうちに、このような物言いをする人物に心当たりを見出した。防寒具を身に付け、自転車に乗って漕ぎ出す俺。東京はすでに太陽の裏側に回りこんでいた。
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu