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Ramaneyya Vagga

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 これを知ってか知らずか甚之助は井出郷の庶人に笑いかけると、力強くに四股を踏み、仕切って源助童と相対す。立行司が「のこった」と合図するや、源助素早く立ち会って張り手を繰り出す。甚之助顔を張られて仰け反ったところ、源助もろ差しに差して寄り出でたる。甚之助腰を割って残さんとするも、甚之助の足は土を抉りながら後退するばかり。さては吉野源助の怪力、甚之助にも劣るまじと庶人息を呑む。甚之助にわかに驚くも、源助の両腕を極めて右に捻ったから、源助片足立ちに足を送って、両童土俵の真中に立ち戻る。ここで甚之助、源助の腕を極めたまま腰を捻って源助を吊り上げ、足を払って源助の股を跳ねたから、あわれ源助首から土俵にひっくり返った。この投げの豪快たることよもや数え十二の童のものとは思えず、氏真卿あっと驚いて杯を落す有様。井出郷の庶人やんやと騒ぎ、山本郷の者ども臍を噛む。富士上下の庶人、これぞ大宮大相撲よと唸るのだった。

(3)駿河国富士郡上方--今日の静岡県富士宮市北部。大宮町の浅間大社を境として、その北方を富士上方、南方の富士宮市南部、富士市北部を富士下方と言った。


 3.法華本門のお守り

 かくて怪童甚之助、大宮司信忠より米二表を賜り、今川氏真卿より直々に「あっぱれよ」との言葉を頂戴し、心も晴れやかに湧玉池の水にて行水しているところ、兄正俊かたわらに来て、「そのほうに相談したき儀あり」とて、ただふたりにてご神林に分け入った。とき八月のことであれば、蝉の歌も盛んにして、聞き耳立てる者とてない。
 「そのほうは数え十二とはいえ膂力優れ足腰絶倫である。ゆえに兄に代わって丈夫の部にも出よ。見事優勝して見せよ。しかるのち、そのほうは井出の家督を継ぐがよい」
 と正俊言えば、甚之助にわかに驚いて、
 「兄上とて相撲の手並み常の人にあらず。ましてそれがしが家督を継ぐなど、寝耳に水にてござ候」
 と答えれば、正俊重ねて言うには、
 「かんがみるに、時は乱世、はばかりながら今川氏真卿の度量はなはだ小さく、駿州を取りまとめ武田、松平、織田と渡り合うこと叶うまい。遠からず兵火、富士上方にも及ぶこと必定なり。かかるとき井出郷のみなみなを守るに足るは兄ではなくそのほうである」
 と言いのける。この人、時勢をよく見、また甚之助の才気尋常ならざるを誰よりも知っていたに相違ない。
 「この儀、父上は承知のことにござるか」
 と甚之助問えば、正俊答えて、
 「丈夫の部にそのほうが出ることは、そもそも父上の言である。父上に家督の儀申し立てるや、父上おっしゃることには、家督はすでに正俊に譲ったれば、正俊が誰に譲ろうとも知らぬことと候らえども、いたずらに長子をさしおいたとあれば大宮の殿ならびに今川の殿に面目立たぬゆえ、この上は大宮大相撲にてご両人に力量示すべしとの仰せであった。それともそのほう、いまだ童にて丈夫の部では勝てぬと言いたいか」
 と言うので、甚之助生来の負けず嫌いなれば、
 「なればこの甚之助、富士上下の大丈夫どもを片端から投げ捨てましょう。とくとご照覧あれ」
 とて大いに笑うので、正俊たいへんに喜んで、懐より取り出したるは小さき冊子、
 「これ法華本門なり。締め込みに包むべし」
 と言う。つまびらかにすれば、法華経の本門部は井出家ならびに井出郷の者たちが代々奉ずる法華富士門流で最も尊崇される経部なれば、これお守りに他ならぬ。ところが甚之助この意解せず、
 「締め込みに包んで、それいかなりや」
 「大なる功徳あり」
 「なにゆえか」
 「本門ゆえなり」
 「さにあらず。なにゆえ本門は功徳ありやと問うたのでござる」
 などと、兄弟しばらく問答したが、甚之助は生来物事を根本から了解せんと欲する性であったから、どうにも腑に落ちぬ。しかしながら甚之助、兄君の意に背いては礼を失すると思い至り、ほどなくして、法華本門の小さな冊子を締め込みに包んで、兄正俊に手習いしたる富士門流の作法よろしく合掌するのであった。
作品名:Ramaneyya Vagga 作家名:RamaneyyaAsu