夜、汽車に乗って
それは、赤いフランネルで覆われたくぼみの中に収まっていた。少し白く曇った銀色をしていた。それを取り出してぐるり眺める。格子状のプラスチックが安物じみた薄青をしていた。何の事はない、ハーモニカだった。
「これ?言ってたハーモニカって」
「そうそう、それ」
顔も向けずに訊くと、少し間を置いて背後から母が応えた。肩越しに振り返る。母はハンガーに掛かった服のしわを直している。箪笥とカーテンレールの間に架かった、部屋干し用の物干し竿。そこに連なってぶら下がる真っ黒なスーツ。ぼくが着ていたスーツは、箪笥の中で今の今まで放置されていたのでしわが特に酷かった。もっとも、自分では全く気付かずに平気で着ていたわけであるが。
「貰ってあげなさいよ。おじいちゃんも喜ぶわよ」
ぼくはその母の言葉に特に応えず、右手の中のハーモニカを再び観察する。クルクルと、裏を見、表を見、矯めつ眇めつ。思っていたより長い。それは新品と言う訳ではなく、特に使い込まれている訳でもなかった。祖父は一体いつ頃このハーモニカを購入したのだろうか。二三年前に金運の打出の小槌だの、由来の良くわからない怪し気な掛軸だの、色々祖父に見せてもらった事が有る。何でも言われるまま勧められるまま物を買って、などと母が笑いながら話していた。このハーモニカもそう言う類いの買い物の一つだったのだろうか。
ぼくはハーモニカをくぼみに戻す。落ち着く場所に落ち着いたと言う風にそれは収まる。その収まり具合を暫く眺め、そしてハーモニカの説明書らしき物をパラパラ捲る。練習用の曲として『ふるさと』だの『夕焼け小焼け』だのと童謡が並んでいた。そういう童謡はハーモニカに似合うのだろうか。どうもそぐわない気がする。ブルースやジャズの方がしっくり来ると思うのだが。
説明書の中を一通り見たのでそれをハーモニカ共々箱に収め、蓋を閉じる。革を模した黒いボール紙の箱。それを棚の、写真立ての横に戻す。写真立ての中で遠い昔の祖父母と、両親が笑って居る。十年以上前の写真なのだろう。あまり日が差し込むでもない場所に飾ってあるのだが、写真は黄が退色して褪せていた。
「母さんらはいつまでこっちに居るの?」
まだ服の世話をしている母に訊く。
「そうね。お父さんは明日には帰るわ。お母さんはまだしばらくこっちに居るつもり。功ちゃんは明日帰るんでしょ?なら後でお父さんと切符買いにいかないと。特急券がないんだったわね」
忙しそうに動きながらそう言う母に、もごもごとした返事とも取れない返事をし、ぼくは部屋を出る。廊下の横長の窓から風が通る。青々とした田んぼと、祖父が随分前に世話をするのを止めた雑草だらけの畑が見下ろせた。アブラゼミのやかましい様な声がひどく懐かしく、少し遠く、響いていた。
「これ?言ってたハーモニカって」
「そうそう、それ」
顔も向けずに訊くと、少し間を置いて背後から母が応えた。肩越しに振り返る。母はハンガーに掛かった服のしわを直している。箪笥とカーテンレールの間に架かった、部屋干し用の物干し竿。そこに連なってぶら下がる真っ黒なスーツ。ぼくが着ていたスーツは、箪笥の中で今の今まで放置されていたのでしわが特に酷かった。もっとも、自分では全く気付かずに平気で着ていたわけであるが。
「貰ってあげなさいよ。おじいちゃんも喜ぶわよ」
ぼくはその母の言葉に特に応えず、右手の中のハーモニカを再び観察する。クルクルと、裏を見、表を見、矯めつ眇めつ。思っていたより長い。それは新品と言う訳ではなく、特に使い込まれている訳でもなかった。祖父は一体いつ頃このハーモニカを購入したのだろうか。二三年前に金運の打出の小槌だの、由来の良くわからない怪し気な掛軸だの、色々祖父に見せてもらった事が有る。何でも言われるまま勧められるまま物を買って、などと母が笑いながら話していた。このハーモニカもそう言う類いの買い物の一つだったのだろうか。
ぼくはハーモニカをくぼみに戻す。落ち着く場所に落ち着いたと言う風にそれは収まる。その収まり具合を暫く眺め、そしてハーモニカの説明書らしき物をパラパラ捲る。練習用の曲として『ふるさと』だの『夕焼け小焼け』だのと童謡が並んでいた。そういう童謡はハーモニカに似合うのだろうか。どうもそぐわない気がする。ブルースやジャズの方がしっくり来ると思うのだが。
説明書の中を一通り見たのでそれをハーモニカ共々箱に収め、蓋を閉じる。革を模した黒いボール紙の箱。それを棚の、写真立ての横に戻す。写真立ての中で遠い昔の祖父母と、両親が笑って居る。十年以上前の写真なのだろう。あまり日が差し込むでもない場所に飾ってあるのだが、写真は黄が退色して褪せていた。
「母さんらはいつまでこっちに居るの?」
まだ服の世話をしている母に訊く。
「そうね。お父さんは明日には帰るわ。お母さんはまだしばらくこっちに居るつもり。功ちゃんは明日帰るんでしょ?なら後でお父さんと切符買いにいかないと。特急券がないんだったわね」
忙しそうに動きながらそう言う母に、もごもごとした返事とも取れない返事をし、ぼくは部屋を出る。廊下の横長の窓から風が通る。青々とした田んぼと、祖父が随分前に世話をするのを止めた雑草だらけの畑が見下ろせた。アブラゼミのやかましい様な声がひどく懐かしく、少し遠く、響いていた。