足軽物語
徳川家槍足軽 鈴木又兵衛(生年不詳~1575)
鉄砲っつーもんは、音がでかい。
そして撃ってる連中ってのも奇妙なもんだ。あんな馬鹿でかい音がする筒を、右耳のすぐ側で構えて、よりによって音が出るすぐそばに右のほっぺをしっかりくっつけて、そしてバァンッと撃つ。どでかい音と一緒にきれぇな火花が顔のすぐ横で咲く。その火花の一粒一粒が重なっていったのか知らんが、撃つ連中の右頬ってのは一粒の火傷と一粒の火花の焦げがいくつ重なって、本当に奇妙なもんだ。
そいつらがバァンッバァンッバァンッバァンッと合間もなく撃ちまくるもんだから、俺の耳もすっかり馬鹿になっちまってる。それだけだったら俺はこんなところさっさと退散して耳を労わってやりたいもんだが、そうもいかねぇ。
鉄砲の連中がバァンッと撃ったら、武者が転ぶんだ。
背丈ほどもある竹柵越しに見ていても、それがよく分かる。丘の上を均して平らにして、その端に竹の柵を作ってあるからだ。俺達の部隊は竹の柵に守られながら、鉄砲で武者を撃ち落としているわけだ。
騎馬武者も馬ごと転ぶ。
周りにいる足軽共もバタバタ転ぶ。
そして立ち上がれねぇ。立ち上がろうとする奴はいるが、立った奴はついぞいねぇ。
這って進んでくる連中はいる。鉄砲の連中に気づかれず、うまく進んでくる奴だ。そういう奴には俺の出番だ。
「ちょっくら失礼」
どうせ聞こえてないだろうが、前にいる鉄砲の奴の肩を叩いてから、連中に間にぐっと体を割り込ませて、命がけで這ってきた奴の背中を槍でぶっ刺す。そいつは動かなくなる。その間も鉄砲の連中は遠慮なしにバァンッバァンッバァンッバァンッバァンッたくちょっとは遠慮しやがれってんだ。
ひと仕事した俺が引っ込むのを待っていたわけねぇだろうが、鉄砲頭が采配を高く上げた。すると鉄砲の連中は一斉に、撃つのを止めた。他の場所にいる織田の連中や、他の鉄砲の連中も撃つのを止めている。
これが静けさって奴だ。耳に残る静けさだ。
かすかに音が聞こえる。敵のうめき声だ。
撃たれた武者が見動きする音。痛みを訴える声。気が付いたように倒れ伏す音。槍に縋って立とうとしている奴の出す物音。
これが、武田の連中の有様ってやつだと思うと身震いがしてくる。織田の連中と同盟を組んでこの方、俺達は武田の連中相手に、死に物狂いで戦ってきた。臓腑がキリキリと痛む緊張の中で奴らの来襲に備えていたし、いざ攻め来るとなれば果敢に打ち出て、ある時はなんとか追い返したり、ある時は逃げまどったりしていた。同じ釜の飯を食ってた仲間がどうしても見当たらないことなんてざらだった。そして負けた時ってのは、いつも城がいくつかとられていた。一つずつとかちゃちなもんじゃない。二つ三つは分捕っていく。俺は何度負けてもその度に生き残ってきちまったが、逃げている俺達を追いかけて首を掻き切っていく連中は、爺婆の言う鬼のようにしか見えなかった。
その連中が倒れ伏している。
まさか、とも思うが、そりゃそうだとも思う。
まさかあの鬼どもがこんなあっさりと……。
いや、飛んでく玉には飛べない鬼でも死んじまうだろ、そりゃ。
ごちゃごちゃしている。
あんなに恐かった連中がこんなあっさりと死ぬ。
ようやく合点がいく。
そうだ。あいつらは鬼じゃなかった。ただ俺達よりちょっと強いだけの人間だった。小さな弾をぶちこまれたくらいで血を流して死んじまう。人間だったらしょうがねぇ。
息を吸って、吐く。玉薬のにおいが鼻につくが、連中がバンバン撃っている最中にとっくに慣れた。
「構え!!」
鉄砲頭が采配を掲げた。金切り声に近い。その理由はすぐに分かった。
武田の連中の死体の先、丘の間。
敵が……武田の連中の新手が姿を見せた。
「赤いぞ……」
「赤備え」
「赤備えだ……」
「静まれぇ!!」
鉄砲の連中も浮ついている。
武田の赤備え。山県の部隊。
奴らには、仲間を何度も殺された。
あの一つの部隊がために、全滅しかけたこともある。御館様の首をとられそうになったことさえある。
あいつらは、別格だ。
突撃してくる。
ぬるりと現れて、するりと駆けやがった。
鉄砲頭が遅れて采配を振り下げた。
「撃てぇ! 撃てぇ!」
バァンッバァンッバァンッバァンッ
耳を聞こえなくするほどやかましかった鉄砲の音が、どこかちゃちなもんに聞こえる。鉄砲の連中は撃ちまくっている。でも赤備えの奴らは、誰一人倒れる気配がない。近づいてくる。駆け上ってくる。奴らにかかれば竹柵なんて馬のひと蹴りで吹き飛ばしちまう。
俺が殺らなきゃ、そうなる。
「槍ぃ!」
鉄砲頭が叫んでいる。鉄砲の連中は引き戸のように両脇に下がって道を空け、整然と素早く後ろにさがっていく。俺達、槍足軽が赤備えを食い止めている間に後ろの陣地にたどり着いて、また鉄砲を撃ちまくるつもりだ。
玉を毛ほども気にせず突っ込んできた赤備えに、どれほど役に立つか分からねぇが、そういう策だと決まったんだから、しょうがない。やってやる。
槍の穂先を地面に向け、俺達はいつでも走りだせるように構える。駆け上ってきた騎馬武者の勢いが、柵にたどりついた時に立ち止まる一瞬を狙って、一息に槍を突っ込む手はずになっている。
鉄砲頭に代わって槍頭が柵の真後ろまで近づいていき、柵越しに駆け上ってくる赤備えの連中をじっと見ている。上がっていた采配が……下がった。
「三河武士見せたれぃ!」
「赤備えを殺せ!」
「突っ込めぇええ!」
俺の槍が柵を越えるか超えないかのところで、ぬっと赤備えの連中が馬ごと飛び出してくる。俺の槍は馬の首を通り過ぎて、躍りあがった馬に合わせて体をねじっていた赤備えの腹を下から突き上げるようになった。血と臓物がこぼれ、赤備えが馬上から転げ落ちようとする。
殺せた!
俺が赤備えを殺した!
生き残った馬が柵を蹴り破った。蹴破られたそれががつんとぶつかって、俺はもう何がなんだか分からなくなった。気が付くと地面に倒れていた。怒号と馬のいななきがすぐ側で聞こえる。気を失ったのは一瞬だけだ。隣には俺が殺した赤備えも転がっていた。這って近づいて見ると、腹には見事に刺さった俺の槍、そして胸には、親指くらいのまん丸の穴が空いていた。
当たってたんじゃねぇか……。
赤備えも人間だったってぇことか。
頭上でひときわ大きく馬の声が聞こえて、背中にどすんと何か落ちてきた。芯と言う芯が折れた感触だ。
馬に踏まれたのかもな。
ざまぁねぇ。