スーパーカミオ患者様
「思いやり」や「配慮」を求める世間様による過激な言葉狩りも、ますますエスカレートしている。不妊治療に悩んでいる人たちへの配慮がないという理由で、「種なしブドウ」という言葉が禁止された。やはり子供が欲しくてもできない人たちを不快にさせるという理由で、いわゆる「子持ちシシャモ」の販売が禁止された。今では、お腹の卵を全部かき出されたものが「加工シシャモ」の名称で売られている。「ニンジン」も、妊娠できない女性を傷つけるという理由から、「ジンジン」に名称変更された。
野菜についてもう少し語ると、「キャベツ」は差別と発音が似すぎていて差別社会を助長するという理由で、「ビョウドウ(平等)」に改名された。「ダイコン」は自分がダイコン足と言われているようで不快な気分になるという女性の投書がきっかけで、英語のラディッシュとダイコンの「コン」を合体させた「ラディコン」に変更された。白菜は「歯臭い」と言われているようで心が傷ついたという入れ歯の老人の訴えで、「ヒャクサイ」になった。高齢者に100歳まで長生きしてもらおうという願いが込められているそうだ。これに対して、最近では「それでは100歳になったら死ねということか」と激怒した高齢者の団体が国会議事堂前で大規模なデモを起こし、いっそのこと「センサイ(千歳)」にしたらどうかという議論が国会で真剣になされているそうだ。農業という言葉すらターゲットにされている。「のう業」は「NO業」とも書けるので、そのようなネガティブな産業のイメージが若者の農業離れを助長しているらしい。もっとナウい名前にすべきだということになり、「ナウ業」に変更する予定だそうだ。私がもし若者だったら、余計に農業をやりたくなくなる気がするのだが・・・。
また、聴覚障がい者は「聴覚スーパーカミオ認知様」に、視覚障がい者は「視覚スーパーカミオ認知様」に、いわゆる認知症は「高次脳機能スーパーカミオ認知様」にそれぞれ変更された。
「モンスター患者」や「モンスターペアレント」という言葉も、当然禁止された。スーパーカミオ患者様やお生徒様のご両親の辛い心情に対する思いやりがなさすぎるというのがその理由だ。
言葉狩りは止まらない。共民党の政策で「戦争」や「差別」という言葉が禁止されただけではなく、市民団体による抗議活動で、戦争映画はもちろんのこと、戦争に関する歴史の報道も一切禁止になった。歴史の教科書からは、源平の合戦も、関ケ原の戦いも、太平洋戦争もすべて削除された。「人間は本来相手を思いやり、愛し合う生き物であり、過去の戦争の歴史を学ぶことは、百害あって一利なしである」というのが、市民運動指導者の理屈だ。だが、国会議事堂前に集まり、歴史の教科書に火を放ち、警察官や報道関係者を突き飛ばしながら絶叫する彼らの姿からは、思いやりや配慮というものは一切感じられない。そう思うのは私だけだろうか。
いずれにせよ、歴史の授業を廃止にすることが、先日の閣議で決定したそうだ。
おっと、ゆっくりしてはいられない。早く食事を済ませて、手術室に行かなければならない。だが、先ほどハイヒールで踏みつぶされた手がずきずきと痛み、箸も満足に使えない。出血も止まらない。それでも手術開始が遅れれば、暴行されても文句は言えない。ましてや手術を延期すれば、相当の損害賠償金を請求されることになる。激痛に耐えながら、大急ぎで食事をする。
ちょうどそのとき、テレビから耳を疑うような衝撃のニュースが流れた。思わず箸を止め、茫然と画面を眺める。「次のニュースです。厚生労働省は、スーパーカミオ患者様に対する敬意を示すことで医療現場における不毛な暴言や暴行を減らすことを目的に、スーパーカミオ患者様に敬称を付けよという緊急の通達を出しました。早速臨時の諮問会議が開催され、『超スーパーカミオ患者様』『デラックススーパーカミオ患者』『スーパーウルトラカミオ患者様』などの案が出され、現在も協議が続けられています」。
ついにこうなったか。予想していたこととはいえ、「じゅげむじゅげむ」が現実のものとなりつつあるようだ。結果はわかりきっている。最終的には全部合体させて「超スーパーウルトラカミオ患者様デラックス」といったところに落ちつくのであろう。そして、超スーパーウルトラカミオ患者様デラックス様の権利意識はさらに高まり、医療現場はさらに荒廃する・・・。
その次のニュースは、患者様不敬罪で初の死刑判決が下ったというものであった。末期がんで長期入院中の高齢者が亡くなった際、30代の主治医が学会で出張していて臨終の席に立ち会わなかったという理由で刑事告発され、裁判員裁判で死刑判決が下ったそうだ。「ひどい」「信じられない」「入院患者がいるのに学会に行くなんてありえない」「死んでお詫びしろ」など、街頭インタビューでの一般市民の非難の声が次々と報道される。これからは受け持ち患者のいる勤務医が学会に行くことはできなくなるわけか・・・。
信越地方では絶滅危惧種となった日本人医師のひとりとして今日まで頑張ってきたが、今度こそ終わりにしよう。実は熱心に誘われている施設がある。軽井沢にある24時間医師常勤を売り物にした高級有料老人ホームだ。超富裕層をターゲットに建設中の施設だが、すでに入居予約が殺到して満床になっているという。そこに医務室を兼ねた居室を設けるので、表向きは常勤の医師として暮らさないかというものだ。ついに私はその誘いを受けることに決めた。妻に電話をかけ、「今日で病院を退職して、この間話した老人ホームで一緒に暮らしたい」と伝えると、妻は電話口で「あーあー」とうめき声をあげた。了承したという意思表示だ。
実は私の妻は3年前から寝たきりになっている。知人の医療事故の裁判で証言台に立った時、その証人尋問調書に記載された私の住所が原告側に知られた。私を逆恨みした被害者の息子が私の自宅を襲撃し、妻はバールで殴られ、硬膜下血腫で重い障害を負ったのだ。職場のみんなが愛妻弁当と呼んでいるのは、実は私の手作り弁当に過ぎない。
軽井沢の施設は非常に高いセキュリティーシステムを誇ると聞いている。これからは、妻とふたりでゆっくりと安心して暮らしたい。ただただ、人間らしく平穏に暮らしていきたい。
横で電話を聞いていたグエンさんが、「寂シクナルネー」と明るく笑いながら席を立ち、どこからかワインを持ってきた。「ミンナデ飲ミマショネ」とジャニスさんとジュリアさんがグラスを持ってきた。「手術はまだかよ、オイコラッ」と騒ぎながら、手術予定だった患者が外来診察室のカギを破壊して乱入してきたが、器物破損の現行犯で逮捕された。やがて外国人医師のみんなも宴会に加わり、私の医師人生最後の日を祝ってくれた。
21世紀の初頭、この国の医療制度に対するWHOの評価が世界第1位だったなんて、日本人は誰も信じられないだろう。超スーパーウルトラカミオ患者様デラックスを満足させることは、誰にもできないのだから。 (完)
作品名:スーパーカミオ患者様 作家名:真田信玄