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人造生命による置換問題の解決

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 文明とは何であると見なそうと、生命とは何であると見なそうと、この実験が大見世物であったことには変わりがない。文学者を代表して実験に立ち会った私としては、報道記者たちがこの実験の顛末に成功だとか失敗だとか諸々の名称をつけて布告するのとは別に、私が見たままを書いてみよう。
 かつて人工知能と呼ばれたこの分野の研究は、出発時にはひどくお粗末なものであった。20世紀から21世紀の人工知能の研究者たちは、生命について何も知らないままに、本気で人工知能なるものを開発しようとしていた。もちろん、20世紀に鏡がなかったわけではない。彼らは知性は生命とは無関係だと考えていただけである。
 この古典的な名称が消滅し、人造生命という今日の名称に切り替わるまでの滑稽な物語については、簡単に記すに留めよう。食料や医薬品としての人造生命が広く実用化されたのは24世紀のことだが、人造牛や人造豚が彼らにおいては意識を持っていると"人工知能学者"たちが気づき、自分たちの研究はとうに終わっていると認めるのは、ようやく25世紀に入ってからのことだった。結局彼らは、生命に拠らない知性なる幻想にとり憑かれていたと言えよう。ともかく、"人工知能学者"たちはおとぎの国から、故郷たる生物学へとようやく帰還した。
 ところでもちろん、物質を結びつけ、維持し、ひたすら不滅へ向けて突進し続けるこの生命の原理は、36世紀の今日もなお充分に解明されていない。そうでなければ、我々が怒りや苦しみを覚えたりするはずもないのだが。しかし生命原理の未解明は、人造生命の研究においては大きな問題ではなかった。生命原理がなんであれ、既存の生命の構造を模倣するなり、代替するなりすれば、とにかく生命原理は働くのであり、生命原理あるところ、彼がおり、彼においては意識もあるのであり、生命原理なきところには、彼はおらず、よって意識もないのである。かの最も素朴な自然哲学の成句は、今日も有効だ。「我は生きている。ゆえに我あり」
 かつては夢物語だった人造意識の問題は、人造生命の成功によって解決したかに見えた。しかし大きな問題がひとつ残っていることは誰もが知っていた。いわんや置換問題である。人間型人造生命というデリケートな問題に立ち入るこの古い命題は、しかし遅かれ早かれ実験される運命にあったと言えよう。個人とは置換可能なのか否かを解明することは、どちらが真実であれ、時代の一区分をもたらすものであることは明らかだからだ。
 人間型人造生命自体が特に難しいものではないことは、早くも26世紀頃から公然の秘密であったし、近年では金星において生殖不能の夫婦に限り認可制で許可されたことが記憶に新しい。問題は置換性であった。ある人間とまったく同じ分子構造にしなければならない。技術的な問題は、逐次解決されていった。分子スキャニング技術と転送技術の向上が決定打となった。ついに昨年末、タイタンのシェム・チューリング博士のチームは、置換問題の解決を目的とした実験の予定を発表した。博士が倫理問題をどうやって踏み越えたのかと、太陽系が騒然となったことが、今では懐かしく思い出される。博士は記者会見において、娘の一年前の事故死を慟哭しながら語った後で、次のように結んだ。
 「娘は、人類の新しい一歩として再生するのです」
 もちろん様々な非難は起こったわけだが、それでも実験がタイタン政府に認可されたのは、置換問題が今世紀の我々にとって最重要の未解決問題のひとつだったからに他ならないだろう。
 実験の構造はこうである。ふたりの男女。女はチューリング博士の依頼に応じた女であり、男は被験者とは知らない。女は実験に応じた時、この男に好意を持っており、いずれ結ばれるだろうと感じていたという。ふたりはすでに交際しているが、将来を誓った仲というわけではない。このふたりが実験室に入る。男は実験室とは知らぬのだが、ふたりの姿は制御室の我々に光学的に丸見えであるばかりか、男の体中の状態が監視されている。そしてふたりは会話をする。もちろん会話の内容も筒抜けである。ここからがチューリング博士のユニークな手法であった。女がもし、「私はあなたのことがわかる」と感じ、それを言おうとしたら、その瞬間、その瞬間の女とまったく同じ分子構造にしつらえた人間型人造生命-すなわちチューリング博士の養女であるが-を転送して女とすり替えるのである。すると人造生命は、
 「私はあなたのことがわかる」
 と言うだろう。そこで男に起こったことを観測するのだ。
 このいささか古代ロマン主義的なチューリング博士のアイデアは、多くの人の失笑を買う一方で、置換問題の研究者たちには絶賛された。彼らによれば、これで置換の可否が解明できるという。私もそう思った。というのは、この句は、個人において最も普遍的な句のひとつだからだ。
 私は実験室にいるふたりを眺め、会話を聞いていた。話はずいぶん込み入ってきていた。どうもこのふたりは古典の素養があるらしく、愛と善の関係などを議論していたのだ。そのときだ。チューリング博士の手元のモニターが高速で点滅し、博士が手早くモニターに触れた。制御室に女が出現した。しかし実験室にも彼女がいる。すり替えに成功したのだ。
 「私はあなたのことがわかる」
 その句が聞こえた。私は男の顔を見た。私は忘れることができない。そのときの男の、彼こそができそこないの人間型人造生命なのではないかというような、腑抜けた表情を。

 『世紀の未解決問題、置換問題ついに決着。個人は代替不能』
 太陽系Todayの一面は、もちろんこの見出しであった。今日唯一の超自然主義団体として知られているSUPERSが、霊魂の実在の証明として騒ぎ立てたのももちろんだ。
 なぜ置換できなかったのかが検証された。すり替え時の分子の位置に相違はなかった。かつて量子力学として知られた位置決定問題は、今日の経路計算によってとうに解決されている。では何が違ったのか。チューリング博士のチームによる解析は続いている。
 私は、置換問題そのものが、果たして問題と呼ぶべきだったのかと疑問に思い始めている。それはあの男のあのときの表情を見たとき、私に了解されたことである。
 そもそも置換問題は、同じ物理状態にあるふたつの物が置換可能かという命題だ。同じであれば、置換可能だろう。しかし女と博士の養女とでは、分子構造と位置が同じというだけである。分子そのものは、ひとつたりとも同じではない。そこへ至る経路も違えば、そこから行く経路も異なる。結局置換問題は、同じ物がふたつとないために、検証することができないのだ。
 博士の養女は、実験のあとで、インタビューにこう答えた。
 「私はそれを言ったあと、なぜ私がそれを言ったのか、わからなくなりました。あの人のことは知っていましたし、好ましくも思っていました。でも…あの人が何をしてきたのかが、急にわからなくなったんです」
 男はといえば、次のように述べた。
 「ええ、何がなんだかわからなくなりました。まず…彼女がどうしてここにいるのかが、わからなかったんです」