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上海の夜

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上海の夜

否定された人種の血と、輝かしい日本人の血が両方混ざったものの、これは、たった一つの、何も値打ちのない悲しい自伝です。

 私は横浜の本牧で中国人の父と日本人の母の間に生まれました。長女でした。華子と名づけられました。中国人の父は、中華街で料理人をし、もの心のついた頃から私は父と母の働く中華街の店の火鍋などを作る片隅で一人時間を潰していました。紹興酒の香りがする厨房の裏は陰気な少なくとも5歳の子供が遊ぶ場所としては、不健全な所であったことは覚えています。
私はそこで日本語の絵本を読んでいました。同じ本を何度も何度も、何らかの理由で、幼少の頃から歪んでいた私は、その絵本の読み方も歪んでいたのです。
絵本の中でクリスマスも365日働く事しかしらない主人公が最後は愛や友達の大切さを知るのですが、私はその結末の俗っぽさに、興醒めし、結末の部分だけを読まずに本を楽しむ方法を覚えたのです。
主人公がイヴの日も働き、多くの人を罵倒し、私はその何か彼のつっぱった生き様にうっとりし、その悲劇的な世界に酔いしれていました。

家はとても裕福な家庭とは言えませんでした。父は中国人学校に入れたいと願っていましたが幸い、収入が安定しなくて、私は日本の公立の小学校に入る事が許されたのです。
日本の教育を受けれた事が私の唯一の誇りでしたが、当然いじめや差別の様なものも受けました。
中学の時の思春期に父に、
「普通に生まれたかった」
 そう言った事があります。
 その後父は私にバイオリンを買ってくれました。そしてバイオリンを習わせてもらいました。
「普通の家庭でもバイオリンは弾けない。華子は恵まれている方だ」
 父はそう言いました。
 どれだけ頑張っても自分の血が変えられない抗えない事実に対して、バイオリンの世界は自由でした。努力した分だけ上手くなる。私はこれで日本人のみんなから賞賛されている人達を追い抜く事ができると知った時、夢中になりました。
 私は本牧のスタジオや山下公園や港の見える丘公園でバイオリンを病的に練習したのです。
 高校の時、太宰治の小説を読み、“選ばれてる事の不安と恍惚の中に我あり”という言葉を聞いて自分の事だと思いました。
 高校の時から店の手伝いをする事がありましたがそんな私も高校卒業後の進路の事を父と話すことになりました。
「大学に行きたい。大学で心理学を学びたい」
 私が父にそう言うと、
「心理学?本を読みながら心が学べるか?世間知らずの大学の教授の下で、社会勉強ができるか?心の事を学びたかったら働けばいい。うちの店で社会勉強をする事がお前に一番の心理の勉強だ」
 そんな都合のいい事を言って私は大学進学を断念する事になりました。

 中国から来る裕福な中国人の留学生が日本に進出し、中国人の存在も確立していく時代になっていきました。新たな風を受けると共に、大陸から来た3世である私の様などっちつかずの存在は、もう日本から、いやこの世から滅びゆく類の人間だと悟りました。

 自分のルーツを知れば知るほど中国が根強く関わっている事を知り、私はそれを嫌いました。中国も中国人である父も嫌いでした。私は着るものも、しゃべり方も皆、日本人らしく生きていました。そうして、無理のあるアイディンティティを作り上げていきました。

 その間もバイオリンは練習し続けたのです。必死に。病的に。
 私は日中のコンテストでグランプリを取り、日本のコンテストでもグランプリをとることができました。
 そんな私に父がある時提案をしてきました。
「華子。お前にとっていいニュースだぞ。上海の友達が日本とも関連のあるアパレル会社の社長をしているんだ。そこの息子とお前を会わせたいと言っている。向こうは真剣な付き合いを考えているそうだ。結婚なんてことも」
 
 私は父に言われるがまま、上海に行くことになりました。そして、親の紹介でリー・ヤーツァンという二十二歳の中国人の彼と会う事になったのです。そして彼に会い、
「初めまして。ヤー・ツァンです。華子さんですよね。びっくりしました。こんなに美人でしたとは。父から聞いていましたが」
「初めまして。ありがとう。あなたもイケメンね。日本語上手ね。どこで勉強したの?」
「日本に3か月間留学してました。そのあとも日本語たくさん勉強しました」
 
 彼は私に上海株の上昇や世界の不景気の話をし、それによって多くの金(きん)を買い込んだ話をしてました。また中国の最後の皇帝溥儀の話などもし、私達は溥儀の話をしながらエスカレーターで60階の展望台に向けて上がっていきました。
「上海ではこれ位のビル当たり前ですよ。東京みたいですよね?」
「東京とはまた違うわ」
「そうか、やっぱり日本はアジアの中心だね」
 彼はそう言いました。
「バイオリン弾くんですってねえ。華子さん」
「うん。まあね」
「今夜、父の会社のパーティーで弾いてくれますか?私も弾くことになってますから、その後に華子さんが弾く。いいでしょう?」
「そちらがいいんなら、それでいいわ。弾くとしたらみんなが分かるクラシックの方がいいわね」
「そうですね。お気遣いありがとうございます」
 上海の人は皆私より快活でした。私の方が声も小さかったでしょう。ヤー・ツァンを見ていると、私とは違う健全なものを感じ取らざるを得ませんでした。その晩私はヤー・ツァンの父のパーティーで演奏することになりました。まずヤー・ツァンがバイオリンを弾きました。まあまあのレベルでしたがとてもコンテストで通用する様なレベルではありません。次にヤー・ツァンが、
「ターシューファーズ、ターツァイヅュルーベン、シェンツァイターライシャンハイ」
 そうヤー・ツァンが紹介し、私は舞台に上がりました。そしてバイオリンの中でも最も難関なハンガリー舞曲の第5番を弾きました。弾き終わった後「リーハイ、リーハイ」と歓声が上がり、ヤー・ツァンが私の方に近づいて来ました。
「華子さん。すごいですよ。やっぱり日本人は、素晴らしい」
 そして二人で展望台に上がり彼は私にこう言ったのです。
「華子さん。僕はあなたに一目ぼれしました。僕と結婚してください。日本語ももっと勉強する」
 上海の夜景がグリーンやピンクの灯りを照らしている。私はコーヒーのカップを置き、彼に、
「もう少し考えさせて。日本に帰ってからゆっくり考えたい」
「そうか、分かった。上海に来るときはまた連絡して」
 私は日本に帰りまた日本の生活に戻りました。上海の彼の事をずっと想ったのです。彼はある種の健全な、私とは相いれない存在だと何度考えても、その結論に達するのです。
 日本の中華街で奇妙な生い立ちをした私は自分が持てない人間、そう言う類の人間だと知らざるを得ませんでした。
 
中華街も旧正月が来て爆竹があちこちで鳴らされました。小さい頃から私にはその爆竹が悲鳴にしか聞こえませんでした。
 
 あれから一年が経ち、私はまた上海に行くことになりました。
 ヤー・ツァンとまた会い私達は昼、新天地でお茶をし、夜は豫園で食事をしたのです。

「あの事考えてくれたかな?」
「うん。私真剣に考えたわ。真剣に考えたという事はとにかく信じて」
「じゃあ…」
作品名:上海の夜 作家名:松橋健一