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憎きアショーカ王

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註解


(1) リチャード・P・ファインマン--Richard phillips Feynman(1918-1988). アメリカ人物理学者。1965年ノーベル物理学賞。経路積分、ファインマン・ダイアグラムの考案などで著名。マンハッタン計画にも参加。『困ります、ファインマンさん』などの逸話集での数々の機知に富んだユーモアでも知られる。この言葉は物理学の授業の最中、自分が言い間違えをしたあとで、戸惑っていた生徒たちに言った言葉だという。ロジャー・ペンローズ(Roger Penrose.1931-)の人間の意識と物理学に関する著作、『心の影』に載っている話なのだが、ペンローズにも出典はわからなかったという。ともあれ、数学の正確な記述によって成される物理学の授業におけるこの言葉は初め奇妙に聞こえるけれども、あるいは数学の根本的な特性について言っているのかもしれない。

(2) バーラット--[ヒンディ]Bharat. バーラトとも。しかし私が出合ったインド人はバーラットと発音していた。"バラタ族の地"の意で、インド共和国の正式名称だが、ここでは原義に従って現在の国境線に拠らない汎インド(伝統的にインド的文化を持つ地域)を指しているだろう。対して"インド"を彼はインド共和国を指す場合に用いるようだ。バラタ族については(10)を参照。

(3) タクシャシラー--[サンスクリット]Takshasila [パーリ]Taksasila [漢音]徳叉尸羅。今日タキシラ([ウルドゥー]Taxila.)と呼ばれる古代都市。タクシラとも。パキスタンの首都イスラマバードの北西約40キロに位置する。紀元前六世紀頃より交易により栄え、ガンダーラ諸王朝(5参照)の首都だったが、五世紀頃にエフタル(12参照)によって破壊され廃墟となった。カニンガム(51参照)に始まる数度の発掘によって各時代の遺構が見つかっている。1980年よりユネスコ世界遺産。

(4) 麻の原--大麻はタキシラ周辺が原産地とされているが、パキスタンやインドでは野原という野原に繁栄している。私はインドの農夫が飼い牛を野原に放って草を食べさせているのをしばしば見たが、しかし牛は大麻を食べないように注意しているように見えた。私はこの植物の繁栄の要因の一端を見たように思った。

(5) ガンダーラ--[サンスクリット]Gandhara. [漢音]健陀羅、乾陀羅。今日のアフガニスタン東部からパキスタン北西部の地域、ないしここに発する国の呼称。リグ・ヴェーダにすでにその名が見え、アレクサンドロス(15参照)の東征以降マケドニア人ないしギリシア人が定着し、ヘレニズムの影響が強かった。しかしこの地方のアショーカ王の碑文ではアラム語(102参照)が用いられていることから(ギリシア語との併記も多い)、イラン系の人々が多かったと考えられる。ミリンダ王の問い([パーリ]Milinda Panha)で知られるギリシア人のメナンドロス一世([ギリシア]Menandros.在位:紀元前155頃-130頃)の頃隆盛となった。クシャナ朝のカニシカ王(67参照)以降いわゆるガンダーラ美術が花開いたが、エフタルの侵入により衰えたという。7世紀頃よりイスラム諸王朝の侵入が続き、ガンダーラという名称は消えていった。

(6) マガダ--[サンスクリット]Magadha. [漢音]摩訶陀、摩迦陀、摩掲陀。だいたい今日のインド共和国ビハール州の地域、ないしここに発する国の呼称。叙事詩マハーバーラタ([サンスクリット]Mahabharata)にも現れ、ラージャグリハ([サンスクリット]Rajagriha. [漢意]王舎城。今日のラージギル)を首都としていた。ブッダ・サキャムニ(23参照)と同年代だったというビンビサーラ王(36参照)の頃より勢力を拡大し、アジャータサットゥ王(37参照)の子とされるウダーイン王([サンスクリット]Udayin)のとき、ガンジス南岸のパータリプトラ[サンスクリット]Pataliputra [パーリ]Pataliputta [漢]華氏城(別名Kusumapuraから)。今日のビハール州都パトナ)に遷都した。チャンドラグプタ(18参照)がマウリヤ朝([サンスクリット]Maurya. マウルヤとも。孔雀を指すという)を興すと大いに隆盛となったが、アショーカ王が没して以降は衰え、一世紀になると、デカン高原に興ったドラヴィダ系のアーンドラ朝([サンスクリット]Andhras)に隷属した。

(7) アショーカ--[サンスクリット]Ashoka, Asoka. [漢音]阿育。[漢意]無憂。在位:紀元前268年頃-232年頃。マウリヤ朝第三代の王。不仲だったという父ビンドゥサーラ(20参照)によってタクシャシラーに封じられていたが、父王が没する際、兄スシーマ([サンスクリット]Sushim)が後継者に指名されたことで挙兵し、兄弟たちを破って即位したという。カリンガ(21参照)などを征服し北はヒンドゥークシュ山脈からインド亜大陸の南端を除くほぼ全域を版図としたが、灌頂(114参照)八年頃のカリンガ戦争を契機に仏教に帰依して以降は征服戦争をやめて法(84参照)による統治を行った。転輪聖王伝説はアショーカ王に起源するともいう。碑文(9参照)では灌頂二十七年までしか確認できない(デリー・トープラー、カンダハール石柱碑文)ため晩年はよくわかっていない。

(8) アショーカ王の息子--のちにマウリヤ朝第四代の王となったというクナーラ([サンスクリット]kunala)のこと。

(9) アショーカ王の石柱、摩崖碑文--仏教に帰依して法(81参照)による統治を志したアショーカ王は、自らの理念や、統治を委任した官吏への指示(法勅。110参照)を、石柱や岩石、洞院に刻ませた。これが碑文である。今日それは四十余個、文面およそ七種が知られている。碑文の邦訳は塚本啓祥博士の『アショーカ王碑文』(レグルス文庫)が1976年以来長く一般学士に資している。

(10) バラタ族--[サンスクリット]Bharata. リグ・ヴェーダなどに記される古代インド・アーリヤ人の一部族だが、バラタ族が内部抗争を通じて覇権を確立していく叙事詩マハーバーラタでつとに知られる。古来バラタ族はインド亜大陸を統一したとされており、ここからバーラット(2参照)という概念が生まれた。

(11) タクシャシラーでは石柱碑文がひとつ見つかっている--シルカップ遺跡の双頭鷲の廟で発見された、八角形の白大理石の柱。アラム語(102参照)で銘刻された碑文は読み取れる部分が少ないが、摩崖碑文第四章と分類されるものと同文であるから、灌頂十二年に作られたかもしれない。非暴力と孝を説いている。

(12) エフタル人--[英]Hephtalites. 白フン族とも。五世紀から六世紀に中央アジアで勃興したイラン系とされる遊牧民族で、中国、インド、ローマで様々に呼称された。今日のアフガニスタン東北部がその故郷であるという。中央アジアの大半を征服して北インドにも侵入し、徹底的な仏教弾圧を行った。六世紀後半に突厥との戦いに敗れて衰えた。
作品名:憎きアショーカ王 作家名:RamaneyyaAsu