憎きアショーカ王
「ババジー(63)、私はなんとなくここに来たのではないのです。私はひとつの目的を持ってここへやって来ました。私はどうしてもアショーカ王の遺物を見つけなくてはならないのです。中夏の玄奘の西域記に書かれたストゥーパと仏足石を求めているのです。町の人に仏足石がここにあると聞き、伺った次第です」
「ほう、すると、あなたは考古学をやられておるということですな。結構なことですな。確かに、ここには仏足石がありますし、ここにはその昔中夏の求法僧が逗留したとも伝わっております。あなたの求めておられるものは、ほれ」
老人は西のかた、ビアス川を望む境内の丘になっている方を指差した。
「あれでしょう」
見れば、丘の上に一メートル四方ばかりの黒い石が置かれている。
「しかしですな」
老人は言葉を継ごうとしていたが、俺はリュックを降ろすと駆け出してその石に近づいた。近づいてみると、それがなんであるかがすぐに了解できた。磨き上げられた石の上面、右側にリンガがある。そして左側に、ふたつの足あと。これはシヴァ(64)とバガヴァンへの信仰が合一したものなのだ(65)。タクシャシラー、スリナガル(66)あたりでもよく見られる種類のものだ。ん、待てよ…仏足石ってのは…アショーカ王の頃にあったのだっけ?
俺は石の周囲を巡ってみた。しかし碑文らしきものはどこにもない。石は太陽の光を受けて黒く輝くばかりだ。
「さよう、これはアショーカ王が作らせたものではないでしょうな。おそらく、カニシカ王(67)の頃に作られたのでしょう。仏足石が盛んに作られたのは、その頃であったと聞いておりますでな。根本分裂(68)以前には、こうしたものはなかった(69)のですから」
傍らに立った老人の言葉に、俺は情けない思いがした。なんとうっかりしたものである、そのとおりだ。それにしても、この老人は何者なのか。田舎の一バラモン(70)というものはこのようなことは知らぬものだ。
「ずいぶん仏教にお詳しいのですね? 私は異邦人だから言いますが(71)、あなたはヒンドゥー教徒でしょう?」
老人は大いに笑って、
「では、あなたは異邦人であるのだから言いましょう。私はゴータマ(72)の、サーリプッタ(73)の教えを受け継いでいます。この寺はガズニーのマムルーク(74)がやってきたときから、隠れて伝承を行ってきたのです。日本に隠れクリスチャンという人たちが今もいる(75)と聞きますが、まあ、そんなものですよ」
なんてこった。これだけでも学術上の大発見じゃないか。俺が本当に単なる考古学者なら、故郷に錦を飾れたものを。だが今はそれどころではない。このアショーカ王に始まって世界にはびこる暴力をなんとかしなくてはならぬ。
法顕(76)がコーサラ(77)で、玄奘がガンジス河口域で出会ったというデーヴァダッタ派(78)が、19世紀末にも存続していたという(79)のだし、このようなこともあろう。俺にとって重要なのは、そういうことならば、彼がアショーカ王のストゥーパのことを伝え聞いているに違いないということだけだ。
「ではアショーカ王のストゥーパについては、何か伝えられていませんか」
「はい、師より聞いております。この寺にはかつてアショーカ王が作らせたストゥーパと、碑文を刻した獅子頭の石柱(80)とが建っていたのです。マムルークが壊してしまったのですがね…この塔はもとはアショーカ王のストゥーパだったのだろうと思うのです」
老人は背後の楼閣を指して言う。日本の仏塔に親しんでいる俺には自然な発想だと思えた。
「石柱のほうはですな、ビアスが下るのを望むように建っていたと聞きましたから、そう…きっとあの辺りだったのでしょうね」
老人はそう言って仏足石から程近い、丘の最も高くなっている辺りを指差した。こうした種類の口承ほど信頼できるものはない。それにここに石柱を建てるとすればどのように考えてもあの辺り以外に選択の余地はないように思えた。谷を渡る風が芝を揺らし、ビアスの流れる音が駆け抜けていく。太陽は無限とも思える力を注いでいた。ここに違いない(81)。
「ババジー、私にあそこを掘らせてください。私はどうしても石柱を、アショーカ王の碑文を見つけなくてはならないのです」
老人はまた快活に笑う。
「一向に構いませんよ。これまで石柱を見つけようと掘った人などいませんし、もし見つかれば私どもクル人にとっても嬉しいことです。しかし…」
老人は子供が光や時間の不思議を思う(82)ような顔をした。
「なにゆえあなたはそれほどまでに、アショーカ王の碑文を求めておられるのですかな? どんな考古学上の謎があるのですか? 後学までに聞かせてはいただけまいか?」
この問いに俺が答える気になったのは、ひとえにこの老人の品格あふれる佇まいと、親しみある声とに、何か敬意の如きものを感じたからだ。
「ではお答えします。端的に言いますと、私の関心は、さきほどババジーがおっしゃった根本分裂にあるのです。思いますに、根本分裂の原因を作ったのはマガダ王アショーカその人なのです。彼がサンガを分かつことを禁じ和合を命じたことはコーサンビー、サールナート、サーンチーの石柱(83)に刻されています。これは一見ダンマ(84)に叶っているように見えますが、実はバガヴァンの、サーリプッタジーの教えの核心をひっくり返してしまうことですよ。要するに、様々な見解を持つ者もともに布薩(85)をするようにと命じたということですからね。大衆部の律(86)において破僧(87)とは同一界(88)における布薩に参加しないことだとされ、見解を持つことについては特に禁じられてはいないことがこのことを示唆します(89)。おわかりですか? アショーカ王はビックが見解を持つことを認めたということですよ。バガヴァンの教えの要点とは、見解こそがあらゆる苦しみの原因なのだということでしょう? ビックは日頃アッタカヴァッガを歌って誰もがそんなことは知っていたはずなのです。アショーカ王はビックガティカになったことがあるだけの、一介のウパーサカ(90)に過ぎぬというのに、サンガに口を出し、あまつさえ、見解こそがすべての問題なのだからビックは見解をよりどころに論争してはならないという、バガヴァンの最も重要な教えを変えてしまったのです。爾来、どのようなことが起こったか、ババジーならご存知でしょう? ババジーはサーリプッタジーの教えを伝承されているとおっしゃいましたが、してみますと、これについてはこれ以上申し上げるまでもないでしょう(91)。ともかくビックが見解を持つことについての碑文が見つかりさえすれば、根本分裂の原因をアショーカ王に求めることができるというわけです。さて実のところ、私は考古学者などではないのです。いわんやビックでもなければ、ウパーサカかと言われますと、そうであると言えなくもないのですが、しかしその隅のまた隅にいる、ひとりの小説家なのです。ですから、私の目的は、実は根本分裂の原因を見いだすことにはなくて、この世界、人間社会という意味ですが、ここにおいての問題の原因を見出すことなんです。見てください」
作品名:憎きアショーカ王 作家名:RamaneyyaAsu