Bhikkhugatika
枝葉主義者との対話
「偽善者と偽善者とは慈善を行い合って親善を深めるのが最善である」
驚いた男である。何を言っているのか全くわからぬ。さらに驚くべきは、この男がすべてわかっているとでも言いたげな顔をしていることであった。私は是非もなく彼と対話を始めた。
「ちょっと待ってください。あなたは善と言って、何のことを言っているんです?」
「私は善なんて言っていませんよ」
「5回くらい言ったじゃありませんか!」
「ああ、まあ…それはほら、みんなが言っている善です」
「なるほど。それで、あなたにおいてみんなは何を善と言っているのです?」
「それはあんただって知っているでしょう。誰だって知ってることです」
「それはあなたの見解です。少なくとも私は知りません」
「とにかく、一般に言う善だよ。一般に善いことと言われることのことだ」
「一般ですって? それは誰と誰ですか? それはあなたが作った泥人形のようなものなのでは?それに、他の人がこれは善いと言うだけで、どうしてあなたにそれが善いとわかるんです?どうやって確かめたんです?」
「あんたこだわる人だなあ。どうだっていいじゃないか、そんな理屈」
「なんですって? してみると、どれが善くてどれが善くないのか、あなたにはどうでもいいということですか? それはおっつけ、あなたは自らの行為の引き起こす影響に、つまり生きるという行為の結果に関心がないという帰結をもたらしますが、いったいそうなのですか?」
「おまえ、ちょっと表出ろ」
彼は私を睨みつけ、胸倉をつかんだ。私は訴えた。
「ちょっと待ってください、あなたは枝葉を見て幹を、根を、本質を見ないために暴力にとり憑かれたのです。ねもとをよく見てください。いったい私があなたを滅ぼしますか?」
「ねもとなんかどうでもいいから早く出ろ、ほれ」
私は投げ飛ばされた。恐るべきは枝葉主義者である!
作品名:Bhikkhugatika 作家名:RamaneyyaAsu