Bhikkhugatika
私とレオナルドとアレクサンドリアのキュリロス
レオナルドはモデルの人物を見る。
レオナルドは認め知る。「これはこのような自然の形である。特にこの辺が美しいが、ところでこれは何だろう」
レオナルドは「このような自然の形」を描く。
私はレオナルドの絵画を見る。
私は認め知る。「これはこのような自然の形である。特にこの辺が美しいが、ところでこれは何だろう」
私とレオナルドは議論する。
「レオナルド、特にこの辺が美しいが、ところでこれは何だろう」
「さてそれだ。特にこの辺が美しいが、ところでこれは何だろう」
そこで私はレオナルドの絵画に見たものと似ているものを見つけた。
「レオナルド、あれを見たまえ。花々が咲いている。ちょっとあれと比べてみないか」
「よかろう、それではっきりするかもしれない」
私とレオナルドは連れ立って花々を観察し、レオナルドの絵画と見比べた。しばらくそうしてから、我々は一合意を形成した。
「どうやら、このふたつは同じ種類の同じくらいの美しさだ。だからおそらくもとは同じものだ」と。
アレクサンドリアのキュリロスはモデルの人物を見る。
アレクサンドリアのキュリロスは認め知る。「これはどんな形であれ神の作ったものである。これは罪人である」
アレクサンドリアのキュリロスは「どんな形であれ神の作ったもの、罪人」を描く。
私はアレクサンドリアのキュリロスの絵画を見る。
私は認め知る。「これはそもそも何だろう、ぼんやりしていてよく見えない」
私とアレクサンドリアのキュリロスは議論する。
「アレクサンドリアのキュリロス、これはそもそも何ですか?私にはぼんやりしていてよく見えないのですが」
「これは神の作った罪人である」
「私にはそうは見えません」
「君は罪深いというだけでなく愚劣な男だ」
「私が言ったのはそういう問題ではないんです」
アレクサンドリアのキュリロスは私を殴りつけた。私は驚いて逃げ出したのだが、彼は追いかけてくる。どうやら彼においては、私が彼の見解を承認しないかぎり、我々が合意を形成することはできないらしい。
Leonardo da Vinci "The Virgin and Child with St Anneand St John the Baptist"1499-1500?
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c8/Leonardo_da_Vinci_-_Virgin_and_Child_with_Ss_Anne_and_John_the_Baptist.jpg/762px-Leonardo_da_Vinci_-_Virgin_and_Child_with_Ss_Anne_and_John_the_Baptist.jpg
作品名:Bhikkhugatika 作家名:RamaneyyaAsu