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食べ物による小話 #5「チョコレート」

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 だがこの女。僕の心に自由に出入しているくせに、僕の願いを叶えてはくれない。それどころか、残酷な事に今日約束したことすら忘れてやがった。
 ……一応、かまかけ。
「あれ? 今日って何日だっけ?」
「そんなことも忘れちゃったの? あなたユスリカ?」
 揺蚊。幼虫が体を揺するように動かすことに由来。川、池などほとんどあらゆる淡水域に棲んでいる。釣り餌に使われるアカムシはこれらの幼虫。成虫は蚊によく似ているが刺すことはない。しばしば川や池の近くで蚊柱をつくる。
「もう慣れてきたぞ。むしろ調べてきてるだろ」
「不快害虫って、ニューサンスって言うらしいわよ。生活を脅かす存在、という意味ね」
「……続けようか」
「でも広義的言えば、不法妨害,財産享有妨害,生活妨害などがあげられるわ」
「具体的にいってみようか」
「小さなモノ音でもケチつけてくる隣人とか、こちらの生活を何かと見てる近所のおばあさんとかもそうかもね」
「ほうほう。んで?」
「近代の生活の中では、必ずといっていいほど、このニューサンスは姿を表すであろう。モンスタークレーマーしかり、無能な上司しかり」
「世間は多様化してゆくからな。んで?」
「その時、どんな対処をとるべきなのか。どうすれば問題なく自己を保護出来るのか。防御? 攻撃? 回避?」
「選択肢はいくつかあるが、いくつかしかないよな。んで?」
「その中で正しい方法を取れるよう。それを教えてあげているのよ」
 頭の中に脳が二個入って、知能指数が二百二十もある別人格みたいに、僕を指差す彼女。
 僕は深い溜息をつき、確認した。
「バカにしてるんだろ?」
 彼女は指す指もそのままに続ける。
「ぶっちゃけ」
「お前は茶髪の検事か!」

   ――――――――――◇――――――――――

「して、おぜうさん」
「ふむ、おぼっちゃん」
 なんじゃそら。
「本日は何か、ワタクシメにあるのではないでせうか?」
 僕たちは画面の中をゆらぐクラゲを観ながら話を進めた。ゆらゆらとゆらぐクラゲは、僕と彼女の間を、行ったり来たりしている。
 すでに僕は、戦うことを放棄していた。
 もう体裁など知ったことだろうか。結果よければ全てよしである。目的を見誤ってはいけない。落ち着け。僕はチョコが欲しいだけなんだ、というヤツである。
 孤独にグルメを楽しみたい男を偲びつつ、僕は頭を垂れた。
「ほほう。何かをご所望で?」
「ええ、甘く甘く、まさに王様と呼ばれるスウィーツを」
「キング・オブ・スウィーツ……ねぇ?」
 にやにや、と彼女は笑う。
 まさかこいつ……気付いてたのか……?
「左様で、左様でございます。特に、本日頂ける王様は、オトコノコにとっては格別なのでございます」
 とにもかくにも、本日中にこの女からあれをもらわねばならない。
 ならないのだ!
 そんな心中の僕をあざ笑うように、彼女は一つの袋をバッグから取り出した。
 二月十四日に、女子から渡される、アイテム。
 男子よ。分かるだろう?
 まるで光り輝くかのように、まぶしく彼女の手に鎮座するそれは、まさに宝。本日限り有効な、最強の栄光なのである。
 僕はうやうやしく跪き、その袋を両手で頂戴する。ずしり。
「……ずし、り?」
 その重さは、余りにもチョコレートとは言えなかった。どれだけ大きかろうと、多かろうと、ずしりとくるほどのチョコなど聞いたことがない。
 口を半開きのまま、僕は彼女を見る。
「バレンタインにチョコなんていまどき……。最近はプレゼントってのもあるのよ?」
 がさり、がさり。と袋を開け、中を見る。
 そこにはブルーのショルダーバックが鎮座していた。
 出なきゃいいのに。口から出る。ため息。
「文句が?」
「ありま……すん」
「どっちよ」
 まじかよ……。
 めちゃくちゃ期待してたのに……。
 あーあ……。

   ――――――――――◇――――――――――

 あーあ……。
 とでも思っているのだろう。あからさまに肩を落として。普通プレゼントされた娘の前でそういうことするか。
 送った鞄の中に、六つのフォンダンショコラ。
 四苦八苦して完成品を見た時は良かったケド、渡し方が分からなかった。
 だから、ちょっと小細工。
 情けない? なんとでも言いなさい。これが私のバレンタインよ。
 家に帰って、鞄を開けて、大喜びしろ。
 そして、私にそれを伝えろ。
 ホワイトデーだって大切だけど、それがなにより。
「一番嬉しいんだから……」
「ん?」
 いつだって人の言葉を拾う男だ。
「何か言ったか?」
 言ってないわよ。
 だから言ってよ。
 待ってるんだから。