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せき あゆみ
せき あゆみ
novelistID. 105
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木の上のお客さん

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 坂井さんが、縁側でぼんやりとして過ごすようになってから、まもなく半年になります。
 定年退職してから三年の間、坂井さんは自宅で書道塾を開き、広い庭を、子どもたちに遊び場として開放していました。
 仲のいい奥さんも、明るくてやさしい人なので、坂井さんの家には、いつもたくさんの友だちや子どもたちが訪れて、楽しい時を過ごしていました。
 ところが半年前、奥さんが急病で亡くなってからというもの、坂井さんは、まるでぬけがらのようになってしまったのです。
 みんながなぐさめようとやってきましたが、貝のように心を閉ざした坂井さんは、だれとも会おうとしませんでした。
 
 その日も坂井さんは縁側に座って、うつろな目で庭をながめていました。季節は、もう春も終わろうとしています。
 手入れの行き届いていた庭も、今では草ぼうぼうで見る影もありません。
 子どもたちのために、庭木の枝にかけたブランコもこわれたまま、ときおりそよぐ風にたよりなく揺れています。
 坂井さんの目には、そんな庭のようすはまるで映っていないかのようでした。
 いいえ。坂井さんの目には、ちゃんと映っていたのです。うっそうと茂った木々も、そのとき枝から枝へ飛び移る影の姿も。
 坂井さんが「なんだろう?」と、顔を上げたと同時に、それは葉陰から飛び出して、目の前に迫ってきたのです。
「うわっ」
 びっくりした坂井さんは、思わず目をつぶって、身をよじりました。そのとき、肩に軽い衝撃を感じたのです。
 飛び乗ってきたのは、リスよりも少し大きいくらいの生き物です。振り落とされまいと、顔にしがみついてきました。
「な、なんだ。なんだ」
 なにがなんだかわからないまま、坂井さんは、手探りでそれを捕まえ、顔から引き離しました。
「きききっ」
 坂井さんの手の中でじたばたしているのは、小さなサルでした。かみつこうとしたので、手の力をゆるめると、サルは、また坂井さんの肩に乗ってきたのです。
「きゅる。きききっ」
 サルは、まるで坂井さんに話しかけるように、耳元で鳴いています。
 そのとき坂井さんは、なんだか、なつかしいあたたかさに触れたような気がしました。
 だれかとふれあうことが、この半年というもの、まるでなかったのですから。
 サルは今度は縁側に飛び移り、座敷にまであがりこんでいきました。
 坂井さんが黙ってみていると、サルは、仏壇にあがって、そなえてあるバナナをもぎ取ろうとしています。
 でも、体が小さいので、大きな房から一本もぎ取ることができません。
「よしよし」
 坂井さんは座敷にあがると、一本もいで皮をむき、半分に切ってやりました。
 サルは、坂井さんから両手でバナナを受け取ると、「よいしょ」とばかり、片方の手と腰でバナナをおさえ、一目散にタンスの上に駆け上がりました。
 やがて、おなかがいっぱいになったサルは、そのまま体を丸めて、寝てしまったのです。
「やれやれ。とんだお客さんだ」
 坂井さんは、そういいながらも、久しぶりに心がなごむのを感じました。
 坂井さんは、動物図鑑でサルのことを調べました。頭が黒く、身体は茶色で、尻尾が長い小型のサルで、鼻と口の周りが丸く黒くなっているのが特徴です。
「ああ、これだ」
 ページを繰っていくうちに、見つけました。南米産のリスザルです。
 腰に細くて赤いベルトがついているので、誰かがかっているのでしょう。坂井さんは、家の門の脇に張り紙をしました。
『迷子のリスザル。あずかっています。』
 けれど、一週間たっても、飼い主は現れません。
「とりあえず名前をつけなくちゃな。モンキーだから、もんちゃんとでもしよう」

 もんちゃんは庭に出ると、一日中、木の上を飛び回って、虫を食べながら遊びます。
 坂井さんは縁側に座って、そんなもんちゃんの姿をながめるのが日課になりました。
 もんちゃんは、おやつがほしくなると坂井さんの肩に乗ってきます。
 ときには一緒にお風呂にも入ったりして、すっかり坂井さんとの生活に慣れました。
 でも、ちょっと困ったこともありました。
 庭に花が咲くと、片っぱしからみんなむしり取ってしまうのです。
 いたずらをしたと思って叱ろうとしましたが、みつを吸っていたのです。
「人間は花を見て楽しむが、おまえはおいしいみつしか興味がないんだな」
と、坂井さんは苦笑いしました。
 
 もんちゃんと暮らすうちに、坂井さんはだんだんと心が軽くなるのがわかりました。意欲も出てきて、
「ぼんやり見ているだけじゃ、なにもならないからな」
と、庭の手入れをすることにしました。手始めに草取りです。
 久しぶりに汗を流して、気持ちよく疲れた坂井さんは、一休みしようとお茶を入れました。お茶菓子はようかんです。もんちゃんには果物を切ってやりました。
 もんちゃんは、座卓の隅にちょこんと乗って待っていましたが、坂井さんが出してやった果物には、目もくれません。
「おまえの好物だろう?」
 坂井さんが言っても、もんちゃんの目はお皿の上のようかんにくぎづけです。
 坂井さんがようかんを口まで運んだ時です。もんちゃんはものすごい早さで、ぱっとようかんをひったくりました。
 坂井さんがかみしめたときには、なにもありません。歯ががちっとぶつかりました。
「あいたたた」
 もんちゃんはようかんをかかえて、必死で柱を登っています。タンスの上に行くと、安心したのか、
「きゅるる、きゅるる」
と、うれしそうにようかんを食べ始めました。
 その様子を見て、坂井さんは大笑いです。「そうか。あまいものがそんなに好きなのか」
 坂井さんは、このとき、久しぶりでおなかのそこから笑ったのでした。

 しばらくすると、坂井さんの家には、しだいに人が集まるようになりました。
 最初に訪ねてきたのは、以前塾に来ていた小学生たちで、通学途中に木の上にいたもんちゃんを見かけて遊びにきたのです。
 近所の人たちも、坂井さんが立ち直ったと喜んで、差し入れをもって遊びにくるようになりました。
 ブランコも直し、塾の看板もかけ直して、坂井さんの家は、だんだんもとのように、活気にあふれた場所にもどっていきました。

 そんなある日のこと、女の人が訪ねてきました。坂井さんよりもちょっと若いくらいでしょうか。隣の町に住んでいる、サルの飼い主だといいます。
「ありがとうございました。ずっと探していたんです」
 飼い主に連れられて帰って行くもんちゃんを笑顔で見送ったものの、坂井さんは心の中に、ぽっかりと大きな穴が開いたような気がしてたまりませんでした。
 秋も深まったある日のことです。
 坂井さんが、庭の落ち葉を掃いていると、木の上から鳴き声が聞こえました。
「きゅるる。きゅるる」
「え?」
 坂井さんは手を止めて梢を見上げました。すると、木陰からぽーんと飛び出してきたものがありました。
「あ! もんちゃん」
 坂井さんはびっくりしました。もんちゃんが来たのです。
 もんちゃんはまた、坂井さんの頭の上にのって、飛びはねています。

 その日の夕方、いつかの女の人がやってきました。
「すみません。急にいなくなったので、もしかしたらここじゃないかと……」
作品名:木の上のお客さん 作家名:せき あゆみ