縁結び本屋さん
001『縁結び本屋さん』
駅前にある小さな本屋。
漆を塗りたくったような艶のある黒髪に黒縁の眼鏡をかけた背の高いアルバイトと、銀の長い髪の店長がほぼ毎日いるその店は、ほんの少しだけ、普通ではない。
壁に設置されているものを除いて、棚は三つ。
入り口から見て右から順に、ふたつ雑誌、残ったひとつはコミックス。壁一面には文庫と文芸書。
駅前にあるために、帰宅ラッシュの時間にはそこそこ人が入っているものの、基本的に小さい店のそれ以外の時間はそれほど客入りは多くない。
それだけならば普通の駅前の本屋さんなのだが、この店にはほんの少しだけ『特殊なお客さん』が存在している。
ぽふぽふと商品にはたきをかけて埃を払いながら、この店の常勤アルバイトである飴沼一縷(いぬま いちる)は店の奥に視線をめぐらせてはあ、と溜息をついた。
(…またか)
ちらりと横目で見たその先に居たのは、学生らしい男女。
女の子はえらく緊張した様子で、手を後に組んでいる。男の方から見えないようにしているその手には、何かプレゼントらしい小さな包み。
はあ、と溜息をついた一縷は、はたきを持ったままレジへと向かう。
そこに居たのは、日本人離れしていて鼻も高いし、肌も欧米人のような透き通る白さの、二十代後半ほどの男。目はアッシュグレイで、髪の色もそれと同様。白髪という訳ではなくて、元からそんな色らしい。ちなみにつやつやで、光をうければシャンプーのCMのモデルさんのような天使の輪という奴ができる。
そんなどこからどう見ても日本人には見えない彼が、この本屋の店長だ。名前はレンと言うらしい。それ以外は教えてくれない。
「てーんちょー、アレ」
一縷があっちあっちと仕草で示して見せたのは、さきほどの学生男女。なにやら小声で会話しているらしい彼ら、特に彼女は、多分この店の噂をききつけてここに来たのだろう。
「あー…はいはい。うん、まあほっといてもいいんじゃない?」
店の奥をちらりと眺めた店長は、だがふっと艶やかに微笑んでそう答えた。
「…なんだ、ちょっかいかけないのか」
だったら言う必要もなかったなと一縷が呟けば、ふふ、と笑う声がする。
「俺のいたずらなんて必要ないよ。きっとそのままでも十分仲良くなれるだろうね」
いいことだねえ、なんて笑いながら店長は手近にあった雑誌を手に取って眺め「あ、期限切れそう」と呟いてぽいとダンボールに放り投げる。
「…店長、後が面倒くさいからぽいぽい放り投げないでちゃんと入れて」
返品する商品を詰めるダンボールにぽいぽい商品を投げ込んでいく店長に注意しながら、なんで俺が注意してんだよと一縷は愚痴る。
大体この店長はナリからして店長らしくない。行動もらしくない。
一応はそれなりの事をしているのだけれど、まあ見ての通りアルバイトに注意されてしまうような人な訳で。
「ん? 大丈夫だよどうせ後で別のダン箱に詰めるから」
今はとりあえず返品する商品の選別をしているだけだからと店長らしくない店長は笑う。
「だったら最初からそっちの箱に入れりゃいいでしょう。わざわざ手間増やすなよ。はい」
ほい、と投げたのは空のダンボール箱。商品をぽいぽいと投げ入れているそれよりも一回り大きなそれを渡すと、店長はありがとうと華やかに笑った。
(…これがなあ……)
そんな店長の顔を見て、一縷は溜息をつく。
この店にある噂。
さきほどの学生を見てある程度の想像はつくだろうが、まあ恋愛に関するものなのである。
『縁結び本屋さん』などとの二つ名をつけられてしまっているこの店。学生が居たあの場所―――つまりレジから見える場所というだけなのだが、そこで告白をするとかなりの高確率で成功する、というそんな噂。
実際その噂は本当で、さっきまでその場所に居たあの学生たちも、いい返事で終わったらしい。恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにはにかんだ学生たちが店を出て行くのも一縷は見ている。
その、噂の原因がどうにもこの店長であるというのを知ったのは、ここに働きに来るようになってすこし経った時の事だった。
なぜだか告白の場所にされている店の一角。それをいぶかしんだ一縷が問い掛けたら、だって、と店長は言ったのだ。
『縁結びのカミサマだから』
返ってきたのはそんな一言。極上の笑顔つき。
もちろんその答えに納得などできようはずもなく
『は…?』
ぽかんとしながら一縷はそう、口にしていたのだ。
だが信じようが信じまいがこの店での告白がほぼ90パーセント以上の確立で成功する事は、目撃してしまっている以上疑いようもない。
失敗している場合というのが、この店長が見ていない時ばかりだから、カミサマという言葉はまあ置いておいて、彼が成功の原因であるのだという事も信じざるを得なくなってしまった。
「…さっきの」
「んー?」
一縷に渡されたダンボールに、さっきとは違い手馴れた手つきで本を詰めている店長に話しかけると、なに、と問われる。
さっきまで学生の居たその場所に目をやってから、なんで、と一縷は言った。
「何もしなかったんですか」
「んん? さっきの?」
学生の事? と問われて一縷はうなずく。
いつもの事であれば、この店長には何かしらのモーションがあるのだが、今日はそれがなかった。たまにそんな事がある。
どういう違いなんだろうと思いながらの問い掛けに、店長は笑いながらだってと答えた。
「あの子たちはちゃんと繋がってたからね。ちょっかいかけなくても大丈夫だったんだよ」
「…つなが…?」
一体何が、と首をかしげると店長は笑って小指を立てて示して見せた。そこから何かを手繰るような仕草をして、彼は首をかしげる。
「運命の赤い糸って、よく言わない?」
「…はあ」
「それと、似て非なるもの、ってやつかな」
小指じゃないけどねえ、と笑いながら言う店長。たまにというか頻繁に、この人の言う事は一縷の理解を超えている。
わからん、と思いながら仕事を続けようとしたところで、とん、と店長は一縷の左胸の辺りに手を触れた。
「…あの、店長?」
なにすんだ、と言おうとするよりも早くに、店長はここから、と笑って何かを辿るように視線を落とす。彼が何を見ているのか一縷にはわからない。けれど彼は時折そんな視線を見せる事があるから、その表情だけは見慣れていた。
「人はいろいろな『糸』を持ってるんだ。本当に沢山の、糸をね」
「……はあ」
「それが繋がる人を見つけるのはとても難しいけど、あの子たちは繋がった。だから俺がちょっかいかける必要なんて、ないんだよ」
幾億と存在する人間の中から、繋ぎ目などないほどにしっかりと繋がる糸を見つけるのは難しい、と彼は言った。
「だから俺は『結んで』あげる。それがほどけないように努力した人たちは繋がるだろうし、何もしなかった人は、すぐに解ける」
所詮はちょっかいだよと笑った店長は、その手を離して作業に戻った。
一縷はイマイチ何を言われたのかよくわからずに首をかしげて
「……まあよくわからんですけど、つまりあの子らは自然とくっついたって事ですか」
「そうそう。そう言う事」