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木曜日の夜

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メールや携帯が溢れる現代と違い、連絡を取り合うのは自宅か職場への電話か手紙だった。当然そうなれば異性からの声が第三者に聞こえることになり、交際がばれるというのは当たり前の時代だった。
「職場に女性から・・・電話ですか」
「そう、たまたま私が電話に出ると「私○○と申します、だれだれさんいらっしゃいますか」と聞きなれた声がした、何度も聞いたことある声なのですぐに分かったな。その相手の男は誰彼見境無く女に声を掛けては遊ぶやつでね、彼女の時も同時に何人も掛け持ち状態だった。だから彼女に忠告しようかとも思った」
「思った!?」
「ああ、けど止めた、余計なお節介だと思ってね。その後どうなったかは知らない。ただそれだけのこと。」
しかしこの紬姿で現れた彼女が実に印象深く、遠い昔のことなのに、銀杏が黄色く色づくこの季節になると、ふと濃茶色の着物を着た彼女がにこっと笑みを浮かべながら喫茶店のドアを開けて入ってくる、そのシーンがなぜか先日のことのように思い出される。
私はグラスに残っていた解けた氷で薄まったウィスキーをクイッと煽るとタンとコースターにおいた。山田や周りのことは気にならず、どこか遠い思い出だけが私の頭を巡り遠ざかる。
「その彼女も今ではもう60前の立派なおばさんさ」
再びぼそっとひとりごとのように言葉が漏れた。
「会ってみたいと思います?」山田は興味深げに私に聞いた。
「いや、ぜんぜん思わない。ただの青春の思い出で結構だよ」
ふと吾に返ると短く答える。
「でも面白いだろ、肌を合わせたわけでもない女性だけど、それだけ何十年も記憶として残っている。たった数回木曜の夜に着物姿で現れる、そんな女性が強烈な印象としてメモリーにはっきりと焼き付けられた。そんな女性が何人かいるから、ある意味いい青春だったといってもいいのかもしれないな。君もいい相手見つけることだな、そしていつまでも記憶に残る出会いをすることだね」
腕時計に目をやると時刻の針はもう22時少し前を差していた。
「もうこんな時刻か、さて帰ろうとするか」
そういって勘定を済ますと別の男女の客が入れ替わるように入ってきた。
「今夜はありがとうございました、先生の一面を見れて楽しかったです」
山田はそういってぺこっと頭を下げる、コートを羽織ると店を後にする。
「じゃあまた明日な」
去っていく山田の後姿を追うと、ビルの明かりに照らされた歩道には黄色くなった銀杏の葉がカサカサと乾いた音を立てて折からの風に吹かれ一枚私の足元へ舞って来た。
今夜は一人で20代の思い出に浸ってみよう。
先ほどの会話で何か昔のことを思い出してみたくなった私は、その枯葉を踏みつけると誰にも教えていない店へと歩みだした。
「私にどうしろっていうの」
最後に聞いたその言葉、今なら「簡単さ、俺と付き合おう」と笑っていえるだろう。
「クシャッ」と乾いた音だけが残り、数枚に割れた葉は再び風に舞いどこかへ流れていった。



作品名:木曜日の夜 作家名:のすひろ