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アインシュタイン・ハイツ 102号室

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Scene.1 西崎一希 1



 先日、いきなり両親が死んだ。
 車で旅行中の山の中。急なカーブを曲がりきれずに突っ込んできたトラックに衝突され、諸共切り立った崖下に転落したのが直接の原因だ。
 あんまりにもあっけなく死んでしまったので、家で警察から電話連絡を受けた時も、最初は何を言われているのだか分からなかった。
 飛んできた親戚に車の中に詰め込まれ、見知らぬ土地の病院に連れて行かれる時も、冷たくて四角い部屋に横たわる両親の姿を見ても、朝になってからやってきた葬儀会社の人たちがわらわらと通夜の用意を始めても、両親が死んだ、という実感はやってこなかった。
 両親の死、という未来は、いつかあることだろう、と思ってはいた。ただ、それはもっと未来の話の筈だった。俺がまだ小さかった頃、父や母が祖父母を見送った時のように、それはたとえば俺が五十歳とか六十歳ぐらいになった未来で、もっと穏やかに訪れるものの筈だった。
 けれど、現実の俺はまだ十八年しか生きておらず、泣くに泣けない、こんな空虚な気持ちがこの世にあるのだということを、俺はその時初めて知った。
 辞書で引くような言葉の意味しか知らなかった「死」が、今はもの凄い身近にあった。死ぬということはつまりこういうことだ。ふとした瞬間胸をよぎる思い出や、写真の中で微笑む人たちには、本当に本気でもう二度と会えないと言うことだ。
 自分は今、タチの悪い夢を見てるだけなのじゃないか。朝起きれば、部屋のドアをあければ、いつもと変わらない人たちがいつもと変わらず笑ってくれるのではないか。
 そんな想像に捕らわれたまま葬式が済んで、三日ぐらいはぼうっとして過ごした。時間の感覚なんてものはその頃とうに無くなっていたが、実際世間の時間の方はきっちり流れていたらしい。その証拠に俺が人事不詳の体たらくとなっていた三日間、葬式の為に集まっていたはずの親戚連中は、両親が死んでいきなり孤児になってしまった俺の為にとせっせと親族会議なんてものを開き、俺には何の了解もないケンケンガクガクの言い争いの上、俺は自分が生まれ育った家を手放し、俺の「養育権」なるものを勝ち取ったという父方の伯母の家に預けられることになっていたのだから、驚きである。
 俺はまだ十八歳で、未成年なのだから、保護者は絶対に必要だ、これは君の為なんだから言う事を聞きなさい、と言うのが親戚連中の建前らしいが、色々なことが飽和状態でよく働いていない俺の頭でも、その魂胆は見え見えだ。
 なんてこたぁない。伯母も含めた親戚一同の目当ては俺の養育権などではなく、俺と言う存在にもれなくついてくる両親の遺産だったのだから。

■■■

 俺の父はそこそこ売れていたミステリ作家で、伯母はそんな父を誇りに思っていたようだが、父の方では実の姉である伯母のことを毛嫌いしていた。
 伯母は流行らない輸入雑貨の店を営んでいたが、常に経営が思わしくなく、首が回らなくなる度に父に借金を頼んでいたのが、その原因だったようだ。
 実際、遺品整理と称して家に乗り込んできた伯母が一番最初にしたことは、亡き弟夫婦の遺影に手を合わせることではなく、母が管理していた我が家の通帳と実印を探すことだった。
 あまり詳しく聞いたことはないが、我が家の銀行口座に様々な出版社から振り込まれる金は、現在まで発表されている父の作品の印税だけでも毎月結構な額になる。そんな予備知識があった上でそんなことをされれば、伯母の思惑ぐらい簡単に読みとれてしまうだろう。しかも「形見分け」と称して、今までつきあいもなかったような親戚に家の中を荒らされる始末では、さほど細くはない俺の神経だって参ってしまうというものだ。
 がむしゃらにどかどかと、乱暴な足音をたてて俺の日常を壊していった現実にすっかり疲れ果ててしまった俺は、それで叔父のところに行くことにしたのだった。
 叔父、と言っても父方の親戚ではない。母方では唯一の親戚で、母の弟にあたるひとだ。
 母とは年が離れていたが仲がよく、葬式の時には父方の親戚がぎゃあぎゃあと俺のことでモメている席でただ一人、放心状態の俺の隣に座って、静かな声で「元気出せよ」と慰めてくれていた。「何かあったら連絡寄越せ」と、喪服のポケットから出したくしゃくしゃなスーパーのレシートの裏に、ちょっと涙に滲んだ文字で住所と電話番号を書いてくれたりもした。
 父に遠慮してあまり家には来なかったが、叔父とは母を通じて電話でのやりとりならそこそこあったし、年賀状やらなにやらの時候の挨拶も欠かしたことはなかった。それに叔父は父方の親戚との折り合いが滅法悪く、そんな叔父の家に俺が転がり込めば、うるさい父方の親戚連中も手を出しにくいだろうとも思われた。
 要は、良い隠れ家に思えたのだ。叔父の家が。その時の俺は、隠れてしまいたいとか、逃げ出したいとか、そう思ってしまうぐらいには弱っていた。そして、叔父ならこんな俺の気持ちを、少しは分かってくれるだろう、とも思っていた。
 事故で俺は両親を亡くしたが、叔父だってたった一人の姉を亡くしたのだ。この世にひとりぼっち同士なのは、お互い様の筈だろう。
 そうして行くべきところが決まれば、後は決行するのみである。元々家出癖がある俺にとっては、必要な荷物をまとめるのも手慣れたもので、行くぞと決めた二時間後には、俺はそりゃもう必死の形相で家捜ししている伯母を後目に、さっさと家から真夜中の町へと抜けだしていた。
 レシートの裏に書かれた涙目の住所を握りしめ、いつも旅行に使う大きなボストンバッグの底に、伯母が必死で探している筈の通帳と実印を詰めるのだって忘れずに。

■■■

 叔父のことについて。俺がまだガキだった頃の話。

 叔父の家に行こうと思ったとき、俺が真っ先に思いだした叔父の記憶は、葬式の時の似合わない喪服姿ではなく、片手で小さな俺の肩を抱き、裸足で真っ暗な家の廊下をひたひたと歩んでいる、今より若い叔父の姿だった。
 父の小説が売れ始めて家を新築した時のことで、叔父は引っ越しを手伝いに来てくれていたのだが、思いの外家具を家に運び入れるのに時間がかかり、母と父が熱烈に勧めたのもあって見事に帰りそびれた叔父は、珍しく家に泊まっていくことになったのだ。
 後にも先にも、叔父が家に泊まったのはこの時だけだった。いつもは用事が済んだらさっさといなくなってしまう叔父の姿が、その日だけは珍しく引っ越し祝いのごちそうが並ぶ夕食のテーブルにあったので、俺はもうすっかりはしゃいでしまった。そうして母が叱るのも聞かずに、「少しだけよ」と言われていたジュースを調子に乗って何杯も飲み、当然の結果として真夜中にトイレに行きたくなってしまった。
 今はトイレごときで人を起こしたりはしない俺も、当時は暗闇に恐怖を覚える程度にはガキだった。しかも引っ越したばかりでまったく馴染みのない家の中で、その上真夜中となれば怖さは尚更だ。
 それでなかなか踏み出す勇気がもてず、俺が布団の中でもぞもぞと身じろぎをしていると、隣に敷かれた客用の布団に寝ていた叔父が、ひっそりと声をかけてくれたのだった。
「トイレか?」