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読者の君

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読者の君、しばし立ち止まりたまえ、とりあえず二ページでいいから読んでくれたまえ。呼び込みで、懇願したり、逆にでかい態度に出たりするのは、貧困なものしか書けない作者が弄する陳腐な悪あがきだとせせら笑わないでくれたまえ。内容はまず私の姪の美しさ、気立てのよさ、私への愛と信頼の深さ、二人のあいだのめでたいことども、が来る。そしてその後の、ちゃぶ台のひっくり返しだ。そのまた後の、今までの種明かしだ。全編を、真の法螺話とはいかなるものかを見せんでか、という私の情熱が支えている。さらにそれを私の悪意と邪念が支えている。おや、内容をちらりと漏らしてしまったせいで、なんだ、見当がついちゃった、これ見よがしのいちゃいちゃばなしや、思わせぶりのサスペンス仕立ての惚気ばなしなんぞ読む気はしないと、君が腹を立てたのなら、私のあいさつの仕方が間違いだった。しかし、ディテールを楽しむ余裕が全くないとは言わせない。君はあくせくと筋だけ追う、ゲーセンで人格形成してきたガキじゃないだろう? そこんとこ、見込んで、期待をかけてるんだ。がっかりはさせないよ。そのうちに君は語り手の私の本来の企みを知ることになるだろう。そこが読みどころだ。意味深長きわまるところだ。君がのけぞるところだ。あっ、跳ばしてそこだけ読まないでくれたまえ。順序というものがあるじゃないか。情報検索をやってるんじゃないんだから。たった一人だけ立ち止まってくれた君、じゃあ始めるよ。うれしいなあ。
実は君が読んでくれるのを私はすでに知っていたんだ。だからこそ冒頭でもう読者の君と決め付けたんだよ。ああ、反感はごもっともだが、抑えて抑えて。今にいいことがあるから。
さて、姪の名前は慶子だ。ありきたりだなあ、慶香、にするか。
その慶香を私は、三歳の時から自分の娘として育ててきた。私の妹は、夫が死んだので、デザイナーとして自立するのに必死となり、髪振り乱した後家のふんばりを試みたが、フントードリョクのかいもなく、二人の子供の面倒が見られなくなって、独身の私に預けっぱなしにした。結局妹は世間のクソにまみれたクソオンナになった。性懲りもなくにダメ男にひっかかり続けて私に何度も泣きついた挙句、ここいらにも東京にも日本にもいられなくなってアメリカに逃げた。
慶香には、二つ違いの兄がいる。名前は孝雄だ。私はこの二人をふざけ半分に育てた。子供なんぞ、真面目に相手にできようか! 子供が大人を真面目に相手にできるわけがない。相手が不真面目なのにこちらが真面目に対応せねばならないという論理的根拠はない。私は啓蒙的人道的倫理的教育的見地からではなく独断的刹那的快楽的無責任的態度そのままに子育てをした。私のありのままを手本として見せただけだ。長丁場なのに特別な態度をとり続けるのはしんどいからなぁ。その結果ふざけた人間がふたり出来上がった。もとからの私を含めると三人だ。
慶香が、普通よりちとかわいらしくはないかと気づいたのは慶香がまだ両親の庇護の下にあった二歳の時だった。相当にかわいらしいと確信を持ったのが、彼女が四歳の時だった。無類の美女であるとはっきりわかったのが、七歳の時だった。
十歳にもなればもう将来の姿かたちがはっきり見てとれた。駕籠を覆って飼っていたすずめを兄の孝雄が逃がしてしまったことがあった。孝雄お兄様、憎たらしいったらありゃしない、あのすずめの子はどこに行ったのかしら、と肘をあげて垂れた半袖から脇の下を覗かせながら、汚れたその手で目の下をぬぐうと、煤や泥が涙にこねられてやや赤らみを帯びた頬に跡をひいた。眉のほどうち煙り、秀でた額に十数本の前髪が稲妻のように屈曲したまま汗で張り付いていたぞ。
身体が女らしくなってくるや、とたんに恥ずかしがり出して、自分のからだに不備や手落ちがないかと気になってしょうがない風である。どれほどその点検を私は請け負いたかったことか。思春期のからだの変化に関して薀蓄を披露すると、耳を両手でふさぎながらも、目下の最大の関心ごとなので聴いてしまう惑い心を、ブランデーをなめながらからかった楽しさよ。伯父様なんて大嫌い、となじられたあの快楽よ。なにせ私を指さしながらなじるとき、いつも体を蛇のようにくねらせたのだから。それを見たいがために何度からかったことか。
高校までは伊東のありきたりの学校に通っていた。地元の子供たちは、山の上からやってきて山の上に帰っていく元子爵家のお嬢様だと認識していた。自家発電にはまる時期の少年たちは雲の上の皇女をおかずに密室での孤独な行為に励んだことだろう。実際、慶香は雲や霞をついて帰ってくることもあったのだ。私は、その少年の一人になったつもりで一人書斎で興奮したものだった。少年に戻った私が、一人でなにをしたかは、わかるだろう? 今でも、なんて言っちゃあいないよ。
十七八になると、慶香はその美の絶頂に達し、このまま瞬間冷凍して永久保存したくなるほどだった。私は、自分の手を離れて東京の大学なんぞの野蛮な大衆施設に入れるのがいやでたまらなかった。深窓の令嬢を育てるには、野卑なガキたちを近寄らせないことが第一の条件だからだ。日本語と外国語の古典を教える教師をそれぞれ雇い入れて、家庭で教養を積ませた。ただし、空疎な教養であるようにと心がけた。批判精神が皆無であることが令嬢であるための第二の条件だ。高名で凡庸な教師を選ぶために手を尽くした。幸い慶香はこの二つの条件にあっけなく条件づけられた。家庭教師として雇った老国文学者と老英文学者に姪の出来を聞いたところでは、慶香は勉強はあまり好きではなく、自分の身のうちから沸いてくる何ものかを日本語なり英語なりにするのが好きなようだった。つまり、読解力に劣り作文力に優れていた。そういえば、姪の癖である夢見るような茫然自失は、身体の奥底から聞こえてくる音楽に耳を済ませている最中のかたちだったのだろう。
慶香は都会に魅力は感じなかったようで、子供のころから親しんできたこの地の自然の中で暮らした。テレビやウェブには悪魔達が跳梁していると物心ついたころから私が教え込んでおいたので、慶香の情報量はきわめて少ない。だから怪しげな誘惑に乗るきっかけはなかった。
慶香は芳紀十九歳となる。自分の完成した肉体にはもう関心がなくなっていた。富士やピラミッドが自分自身を愛でるだろうか。一方、見る側にとっても、いかに見事な芸術品でも頂点でとどまっているかぎりは四六時中愛でてはいられない。富士山の麓、ピラミッドのそばに暮らす住民と同じだ。例外が私である。愛でるのは私だけでよい。思いを遂げるまで愛で続けずにおられようか!
この地はどんなところか。さてさて、どこにしようか。九州や北海道は、私があまり知らないのでそこに設定することはできないな。せいぜい伊豆あたりか。伊東にしようか下田にしようか。まあそこいらだと思いなさい。風光は明媚だ。東京に近いわりには人心もさほど荒んでいない。大規模な土地買占め業者や成り上がりの偽真珠業者も入り込んでいない。
海が近いのは、いいこともあるし悪いこともある。悪いことから先に言おう。
作品名:読者の君 作家名:安西光彦