逃げた男
後藤は独り身だった。水木や浅尾と違い後藤は三十代後半になってから仕事が嫌になってこの地へきて農業を始めたらしい。当初は村からの反発があったようだが村へ多く貢献したおかげで今はさほど風当たりは悪くないと西に話していた。
「お前さんも今の仕事辞めて農業すっといいぞ、俺んとこで雇ってやってもいい」
そんなことを後藤は笑いながら西に話した。その笑みの裏には何か事情があるのだろうと西は察してしまったが、それは彼の逃亡生活には関係のないことだと流していた。その後も水木と浅尾と共にどうでもいいような話題で盛り上がってはとうとう酒まで入れて酔った状態で家へと帰っていった。
水木宅へ全員が酔っぱらいながら戻ると母はやはり呆れながら三人を出迎えた。その晩も兄が帰るとまた西が持ってきた日本酒と共に酒盛りをした。夕食が終わり、全員が満腹になってゆっくりしていると兄が西を一服にと縁側へ誘った。縁側で二人タバコを吹きながら夜空を眺めた。
「東京ってのはあれか、やっぱ人が多いのか」
兄は西に聞いた。西はええまあと答え、また煙を吹き上げた。西は少ししてから、「いいとこですね、ここは」というと、兄はにっこりと大きく笑って、だろう、と自信満々に答えた。西はそれを見て何か和やかな気分になり、部屋へ戻ってその日を終えた。
それから一週間、西は毎朝水木と浅尾と共に畑へ出かけ仕事をこなした。朝食を食べ、畑へ出かけ、後藤の家で昼食を食べて夜もまた兄を交えて酒盛りをするのが日課になっていた。たまに後藤が晩御飯にきたりして、西は少しずつこの環境にあこがれのようなものを感じるようになった。しかし同時に、水木宅に長居することに対する申し訳なさも募りようになっていった。
西は初めて中央駅の方へ訪れた。一週間前村に着いた無人駅とは比べ物にならないほど差があり、駅はしっかりしていて周囲も賑わっていた。大きなデパートも何件があり、映画館やゲームセンターなど村にないものが大量にあった。東京では普通であっても、あの村に長いこと居るとここが天国のように思えてくるであろう。
西は久々の都会を味わった。食べ歩きをしたり映画館に行ったり、電気屋で電化製品を眺めたりするのは楽しかった。水木や浅尾も同じようにいろいろ回って、やっぱ都会はいいなあ、なんて言っていた。西はこれを都会と呼ぶのを鼻で笑ったが、水木は西をどついて浅尾がそれを笑った。西はこの時初めて、街が楽しいのではなくこの二人と居るのが楽しいということに気が付いた。
最後に三人は小腹がすいたということで駅へ向かった。駅の中にはファーストフード店が立ち並び、三人はハンバーガー屋に入ることとなった。いつも質素な食べ物ばかり食べているだけあって三人は高級料理のようにむしゃむしゃとハンバーガーを頬張った。満腹になって帰ろうという時――西は自分の目を疑ったが――そこには西の部下が三人ほど居た。私服だったのでやはり違うのではないかと西は疑ってみたが、どう見てもそれは西の部下だった。とうとうここが見つかってしまったか、と焦った西はとりあえず水木と浅尾を急かして村に戻った。
家へ戻るととりあえず西は部屋自分の部屋へ戻った。日が暮れてそろそろご飯時だということで水木と浅尾は台所で母の手伝いをしていた。玉ねぎを切る母は水木に対して西に対する愚痴をこぼすのがここ数日習慣化されていた。夕暮れ縁側で西がタバコが吸うことや部屋の片づけが大ざっぱなこと、食器を片付けないことなどいろいろ水木に言っては水木がまあまあと西を庇護する。そんな話はこの日とうとう西を追い出すような話になってしまった。
「もうね、そもそも一週間の約束はすぎてるんだから、出ていってもらうしかないと思うんだよ」
「そんなこと言ったってね、自分から言ってもらわないと。こっちも一週間じゃなくてある程度は居ていいなんて言っちゃってるし」
「そんなの建前に決まってんじゃないのさ。一週間も居られてしかも飯代も払わないで、居候置いておく余裕なんてうちには無いんだよ」
「まあそう言わずにさ、きっとすぐ東京に戻るかなんとかするって」
「はあ、そうだと良いんだけどね」
「そんなに言うんだったら食べてる時にそれとなく言えばいいじゃないか。なんなら俺が言うよ」
「じゃあ頼むよ? ほんと、毎晩タバコを吸っては煙が鬱陶しいったら……」
「じゃ、そろそろできそうだから俺西呼んでくるわ」
水木と母の話を聞いていて虫の居所が悪くなった浅尾は母を遮って西を呼びに行った。部屋を開けると、浅尾は西が鞄を開けて股の間で何かを確かめていることに気が付いた。あれの最中かと少しびっくりして、浅尾はさっとふすまを閉じた。
「すまん、そろそろ飯だから……」
「見たのか」
「いや……別に」
「気にすんなよ、な。それより、食べ終わったらお前と水木と、話がある」
「……おう」
そう言って浅尾は一階へ戻っていった。西は手元の拳銃を確認しながら、仕方がないことだと自分に言い聞かせ、決心を固めた。きっと浅尾は勘違いをしているのだろうが、飯の後にはすべて片付く。西は深呼吸をして一階へ降りていった。
一階に降りるとちょうど兄が帰ってきたところであった。いつもながら元気な兄は疲れた疲れたと大声で言ってから風呂へ向かった。母も一緒に風呂の温度を調整する為に風呂場へ一緒に行った。妻は台所に居たので居間には水木と浅尾、そして西が残った。
「夏美ちゃん、どっか行ったのかな」
西がぽつりと呟いた。それに対して誰も答えることは無かった。
この日の晩御飯はいつもより暗かった。皆もくもくと箸を進めていて、夏美ちゃんもあまり話さず足をばたばたさせながらご飯を口の中に放り込んでいた。事情を知らない兄は不穏な空気に耐えきれ得ず、とうとう口を開けた。
「な、そういえば西が来てからもう一週間だよな」
その時、場が凍った。兄もいけないことを言ったことに感づき、自ら黙ってしまった。少ししてから西が話し出した。
「いえ、大丈夫ですよ。明日の暮れには出ますから、ええ……」
そう言って西は箸をおき、ではこれでと言って自分の部屋へ戻った。他の皆はばつの悪そうな顔をしながら食事を終えた。
食べ終わってから浅尾が水木を連れて西の部屋へと言った。そこには鞄を横に正面を向いて座った西が居た。改まって座っている西に対して水木と浅尾は身構えてしまったが、西がまあ座って、というと二人は静かに西の前に正座した。そして西は鞄の中から拳銃を取り出し、目の前に置いた。浅尾と水木はぞっとして少し後退さった。
「これ、ほ、ほ、本物か?」浅尾が恐る恐る尋ねる。
「そうだ、俺はまあ、その、堅気じゃないんだ」
場が静まりかえる。数分してから、西は拳銃を鞄に戻した。また西が話し出す。
「まあその、なんだ、今日で一週間だし、一週間ってのが条件だったしな。これ以上居る気は無いんだが、訳あって今追われてる身なんだ。できれば今後、東京から離れたとこに行きたいんだが、場所があれば教えて欲しいんだ」