正しいフォークボールの投げ方
第六球 本物のフォークボールは揺れたと思ったら消えるように落ちる -4-
四回は両校とも安打を打たれるもの、無失点に抑えた。
五回表、三度目のオチアイとの対戦は四球で歩かせてしまったものの、後続はしっかり抑えたのである。
しかし、五回裏に大府内高校に激震と動揺が走る。
「ぐあっ!」
ムラタの豪速球がワダの左肘に直撃したのである。
尋常の無い痛みで悶えるワダ。プレー続行が難しい怪我と判断したミハラは、トリゴエを代走に出し、ワダは保健室に連れて行かせた。
大府内高校は正捕手が負傷退場してしまったのに動揺してしまい、後続はあっけなく倒れ、イナオのダブルプレーで攻撃が終わってしまった。
ミハラ監督の表情は沈痛していた。
ワダの代わりとなる捕手が居ないからである。
捕手が出来る人を探していたが、結局は見つからずズルズルとワダ任せにしていたのであった。
こういった事態に備えてイマミヤたちに捕手の練習をさせていたが、本職では無いのと、イナオの逆算ピッチングによるノーサインでの捕球は難しかった。
逆算ピッチングはワダだからこそ出来る芸“投”なのである。
ワダを保健室に連れていった沙希が戻ってくると、ミハラは直ぐ訪ねた。
「どうだった、ワダの怪我の具合は?」
「保険の先生に簡単に診て貰いましたけど、左肘の骨にヒビが入っているんじゃないかと言われました。試合の方は流石に無理だと……」
「そうか……」
怪我の症状どうこう前に、既にワダに代走を出してしまったので結局は交代させなければいけなかった。
では、誰に?
どうするべきかと悶々とミハラが迷っていると、
「監督、私がやります」
イナオが手を上げた。
「中学の時はキャッチャーだったし、この中では一番経験が有りますから、それなりにこなすことができますよ」
捕手経験者であるイナオならば、無難に務められるだろう。だがそれは、ここまで無失点に抑えているエース・イナオの降板も意味していた。
だけど、どちらにしろワダでなければイナオの本来の投球が出来ないのだ。
「解った。捕手はイナオ、頼んだぞ」
「はい!」
イナオは迷いなく返事をした。
今、自分の力が充分に発揮出来る場所が投手では無く、捕手であると自覚していた。
「そして投手は……」
ミハラは一度二年生のヨシタケに視線を向ける。
(まだ回は残っている。ここはヨシタケを……)
ふと試合前のミーティングで、自分の発言を思い返す。
『出し惜しみは無く、全戦力で行く』
(そうだった。それなのにタカハシを先発にしたり……。それにワダの負傷退場でチームの雰囲気も重い。ここは空気をも変えなければ……)
ミハラは周りを見渡し、モトスギに視線を留めた。
「モトスギ、次の回からだ。行ってこい!」
●○●
「大府内高校、守備の変更をお報せいたします。キャッチャー、ワダくんに代わりまして、イナオくん。キャチャー、イナオくん」
響くアナンスコールに、球場がざわつく。
ワダが負傷したために交代は止む得ないが、その交代相手がエースのイナオが捕手を務めることに驚きと動揺をせずにはいられない。
「おいおい、大府内はキャッチャーが居ないのかよ!」
「捕手がイナオで大丈夫なのか?」
しかし、プロテクターを纏ったイナオの姿は本職である投手以上に似合っていた。どよめきと野次が飛ぶ中、アナンスコールは続く。
「ピッチャー、イナオくんに代わりまして、モトスギくん。ピッチャー、モトスギくん」
すると、先ほどの野次が歓声に変わる。
「モトスギー!」
「フォークボールだ! フォークボールのモトスギだ!」
これまでモトスギが残してきた結果に対しての期待の声でもあった。
今では、イナオの次に歓声が大きい選手になっていた。イナオがモトスギに話しかけてくる。
「モトスギ、ワダちゃんの時みたく同じように投げろよ。絶対に後ろには逸らさないからな」
「はい、解ってますよ。それに覚えてますか? 自分がフォークボールを投げられるようになったのは、イナオさんがキャッチャーをしてくれた時ですよ。ワダさんには悪いけど、いつかこうして、試合でイナオさんとバッテリーを組んでみたかったんですよ」
「嬉しいこと言ってくれるね。当然だ、覚えているよ」
イナオはミットをはめた手でヒロの胸を軽く叩く。
「それじゃ、遠慮無く放り込んでこい!」
「はい!」
イナオが守備位置に戻り、ヒロは投球練習を始めた。
それをオチアイは腕を組みながらモトスギを凝視し、一挙一動を観察したのであった。
試合が開始され、織恩高校、六番ヤマモトから始まる。
「スプーンだがフォークだが知らんが、打ってやる!」
ヤマモトのお望み通りにフォークボールを投げるヒロ。
打ち頃の速度でど真ん中に向かってくる球をヤマモトは打ちに出るが、スッと消えるように落ちる球を見事に空振ってしまう。
鋭く落ちた球をイナオはミットで捕球出来なかったが、身体を壁の様にして止めていた。
ヤマモトは直ぐ様振り返り、球の行方を確認した後に呆然した声で、
「これが、フォークボール…!?」
フォークボールの独特の変化を体験した誰しもが同じ様な言葉を漏らし、一打席だけでは対応することは出来なかった。
ヤマモトは呆気無く三振に倒れると、観客席から『K』と書かれたボードが掲げられたのである。
Kボードは三振を多く取る投手への応援の一種であり、奪三振の数だけKボードを掲げられるのだった。
ふとヒロが観客席の方に視線を向ける。そのKボードを見る為では無く、自分のファン第一号の眞花を見つける為である。いつもだったらKボード付近に眞花がいるはずだが、姿は無かった。
(まだ、来ていないのかな……)
探すことに意識を取られていると、
「モトスギ! よそ見をするな、試合に集中しろ!」
イナオに注意される。
「すみません!」
(今は試合に集中だ。もしかしたら眞花ちゃんは、別の所で観ているかも知れないし……)
続くヒロは七番ミズカミ、そして八番ハカマダも空振り三振に仕留めたが、
「あっ!?」
イナオが後逸(パスボール)してしまい、ハカマダは三振振り逃げで一塁に出塁してしまった。
通常であれば三振した打者はアウトになるのだが、一塁に走者が居らず、かつ二死の状況で、スリーストライクにあたる投球を捕手が捕球できなかった場合には、打者は一塁への進塁を試みることが出来る。
この打者をアウトにするためには、一塁到達の前に球を手に持って打者に接触(タッチ)するか、一塁に送球しなければならないのである。
「すまん、モトスギ!」
絶対に後ろへ逸らさないと言った手前、イナオの顔は猛省の色に染まっていた。
しかし、ヒロはそれほど気にしてはいない。
正捕手のワダですら、ヒロのフォークボールを稀に後逸することがあるのだ。本職では無いイナオを責められない。
これまでのフォークボールを、イナオはミットで捕球出来ていなかった。
作品名:正しいフォークボールの投げ方 作家名:和本明子