正しいフォークボールの投げ方
第五球 投げるコースはど真ん中 -3-
無死満塁を無失点で抑えたイナオを、大府内高校の部員一同は称え迎い入れた。その中でも、特にカワサキは喜びを爆発させて、興奮しまくりだった。
しかし歓喜も束の間、球場内に響くアナンスコールが聴こえると全員の動きが止まった。
「選手の交代をお知らせします。サード、ハラ君に代わりまして。サード、ナガシマ君。サード、ナガシマ君」
球場全体から怒号に似た大歓声が響き渡り、名前を呼ばれた選手がグランドに姿を現すと、さらに歓声が響き渡った。
「待っていたぞー!」
「今日は、あんたを観にきたんだー!」
「きゃーーー! ミスターーーー! こっち向いてーーー!」
「チョーーさーーん、チョ、チョーっ、チョアアーッ! チョーーアーッ!」
大府内高校の応援席からも声援が送られている。異様な騒ぎに、ヒロはイマミヤに訊ねた。
「イマミー。あのナガシマって人、なんでこんなに人気があるの?」
「ああ。あのナガシマさんは、ミスターベースボールと呼ばれるほどの人だからね。プレーの一つ一つに華があって、その度に注目を浴びるんだよ。それに大正義高校は元から強かったけど、ナガシマさんが入学してから最強と呼ばれるほどに強くなったから、今の大正義高校はナガシマさんのチームと言っても過言じゃないんだ」
「へー」
ヒロが傾聴している余所で、イナオとワダもナガシマについて話し合っていた。
「出てきたな、サイちゃん」
「ああ。回ってきたとしても、あと二度ほどか……」
イナオは細い目でスコアボードの残りイニングを確認し、グランドで軽快に動きまわる選手を注視した。
「さぁ、行くぞ!」
ナガシマがチームを鼓舞するように大声で叫び、他の選手も呼応して声を出しあう。ハラが退場してしまった重い雰囲気は何処へやら。ナガシマが出場したことによって、観客も大正義高校を応援する熱が帯びていた。
五回裏、大府内高校の攻撃が始まる。
六番オカザキの打球が遊撃方面に転がっていく。遊撃手カワイは待ち構え万全の捕球体勢に入っていたが、ナガシマが勢い良く走ってくると横取って捕球してしまい、軽快に一塁へと投げた。
判定はギリギリながらもアウト。
ナガシマのプレーに観客が歓声を上げお祭りのように盛り上がっている。だが、カワイは唖然としてナガシマを見ていた。
続いて、次打者ワダの打球はゴロとなり、三塁……ナガシマの真正面に転がっていく。誰もが簡単に捕球できると思ったら、球はナガシマが構えたグラブの下を転がり、股を通り抜けていってしまった。
ナガシマは自分の股の下から覗き込み、球の行方を追いかけていると、左翼手がカバーしてくれたのを見て安心した。
見事までのトンネルに大正義高校の選手はもちろん、打ったワダもあっけに取られてしまった。
「どんまい、どんまい!」
自分がエラーしたにも関わらず、ナガシマはあまり悪そうな素振りを見せず、味方に声をかける。
本来エラーなどしようものなら、周りから責める発言が有るものだが、観客席からは拍手や歓声、チームメイトからも「ナガシマだから、しょうがない」と許容される雰囲気が有った。
次の打者、アナンが打席に入る。
アナンは直球を引っ張り打ち、三塁線へ強烈な打球を飛ばした。アナンにとって、久しぶりの会心の当たり。
しかしそれを、ナガシマは豪快なダイビングキャッチで捕球し、すぐさま起き上がると二塁のシノヅカへ送球し、ワダをフォースアウト。そしてシノヅカは止まることはなく一塁へと送球した。アナンが一塁に到着する前に一塁手が捕球して、二重殺(ゲッツー)に仕留めたのである。
このイニングでは全てにナガシマが絡み、元気ハツラツなプレーの一つ一つが強い印象を与えた。観客や初めて見たヒロは、ナガシマに思わず魅せられてしまっていた。
「あれが、ナガシマ茂雄……」
イマミヤが言っていた「ミスターベースボール」という呼称の意味を、何となく理解するヒロ。自分も魅了されてしまっており、人気がある理由がよく解った。
試合は進行していく。大府内高校……イナオも負けてはいなかった。次のイニングでも三者凡退に打ち取っていき無失点に抑えていくが、打線の方も途中から代わったサイトウに抑えられてしまう。
「クワタといい、サイトウといい。大正義高校は本当に良い投手を揃えているな」
相手の好投にイナオは嫉妬めいたボヤキを呟いてしまう。ワダはイナオにグラブを渡しながら話しに乗る。
「その上には、悪太郎とかフジタ、そしてサワムラさんがいるからね」
「投手陣も最強か……」
「怖気づいた?」
イナオは首を横に振った。
「どれだけ凄い投手を増やそうが、マウンドに上がるのはたった一人だ。オレが零点に抑えていけば負けはないさ。それに……ウチにも良い投手は揃っている」
イナオとワダはブルペン席に座っているヒロの方に視線を向ける。
「だな」
ワダは同意したように頷き、イナオと共にグランドへと向かって行った。
大正義高校の攻撃回。
ネクストバッターズサークルでは、ナガシマがブンブンと勢い良くバットを振り回していた。
大府内高校が勝つ為には、ナガシマの前に走者(ランナー)を塁に出さないこと。出来る限り走者無しでナガシマと対戦するにこしたことは無いが、
――カッキィーーン!
三番タカハシにストライクを取りに行った初球を打たれ、右中間を破る二塁打(ツーベースヒット)を許してしまった。ナガシマを気にするあまり、今対戦していたタカハシに甘い投球をしてしまったのだ。
得点圏に走者を置いて、次の打者は――
「四番、サード、ナガシマくん」
そうアナンスコールされると、球場が揺れるほどの歓声が上がった。
「おいおい、どっちのホームなんだよ……」
声の振動が身体に伝わり、中翼(センター)を守っていたウチカワが呟く。
歓声に押されて、打席に入るナガシマ。
背中を少し丸めて構えを取り、鋭い目つきでイナオを睨む。イナオもまた細い目でナガシマを睨む。イナオの場合はただ睨んでいるだけではない。ナガシマの表情や身体を観察していた。
イナオは相手の身体の動きや表情を見て、狙い球を見極めることが出来た。しかし、
(相変わらず、チョーさんだけは何を狙っているか解からんな)
ナガシマは野生の勘の如く感性で反応して、来た球を打つタイプであり、その頂点に位置している。
イナオが得意とする洞察力は、ナガシマの前では無効化されてしまう。だからこその“逆算のピッチング”。
読めないのであれば、自分の思い通りになるように仕向ければ良いのだ。
(よし、三振を取る。その為にはチョーさんのバットにボールを当てさせないこと……。四球目、スライダーで空振りを取る)
逆算案を決めたイナオは視線をナガシマからワダに向けると、それだけで全て理解したらしく、ワダはミットを構えた。二人の間にサインの交換は必要としない。イナオとワダだからこその投法であった。
ナガシマに対して、イナオの第一球。
作品名:正しいフォークボールの投げ方 作家名:和本明子