正しいフォークボールの投げ方
第三球 無回転を意識して思いっきり投げることを心掛けるべし -3-
小さな舟に乗り、周囲は大海に囲まれている。ましてや船頭は高校生のイナオ。不安がヒロの胸に過っているが、イナオや沙希は慣れた様子で涼しい顔。むしろ、この航海を楽しんでいるようだった。
デートのお決まりで、ボートに乗ったりするという都市伝説はあるが、それは公園とかの湖で優雅に漂うものである。まさか、女子と一緒に乗船した貴重な初めての経験が、大きな波に呑まれてしまえば簡単にひっくり返りそうな小舟に乗るとは、ヒロは思わなかった。
そもそも舟に乗って海を渡るということが初体験だったこともあったり、来波に船体は常時揺れることも初めて。ヒロは軽い船酔いになり、沙希(+イナオ)との楽しい遊覧を満喫できなかった。
喜びと苦しみの船旅は、一時間ほどで目的地近くの港に到着したのであった。
大小様々な舟が停泊している所に接岸させて、上陸する。ヒロは覚束無い足取りで、揺れない大地を踏みしめると一時間ぶりの安堵を感じたが、すぐには船酔いは治らないものである。
「ハァ……ハァ……」
吐きそうになるのを堪えつつ、呻きにも似た息吹をするヒロに、優しく声をかける沙希。
「大丈夫、モトスギくん? こんなことなら酔い止め薬を持ってくれば良かったわ」
「死ぬほどじゃないから、多分……」
舟の上で何度も吐くような格好悪いところを見せたり、今も体調が悪かったものの、こうして沙希が介抱してくれるので気分の方はすこぶる良かった。
「だらしがないな、モトスギは。そんなの歩いている内に治るさぁ。それに早く行かないと。もう試合が始まっているぞ!」
イナオは陽気に投げかけ、どんどんと先へと進んでいく。
二人はイナオに離されないように、自分たちの歩幅を広くする。体調が思わしくないヒロにとっては、ただ歩く動作なのに苦悶ではあったが、沙希が背中を擦ってくれるので、どうにか堪えて歩み続けることが出来た。
十分ほど歩いて、ヒロの船酔いが治った頃に目的地……南海高校のグランドへ辿り着いた。グランドでは既に試合が始まっており、観客もそこそこに入っていた。
ヒロたちはイナオの先導に、試合が見やすい場所……バックネット裏の席に陣取る。そしてイナオは直様にスコアボードの方に目を向けて、本日の出場選手の名前を確認した。
スコアボードには、南海高校と織恩高校とあり、高校名の直下に選手の名前が記載されている。
「あれ? アイツが出ていないのか……」
何気ないイナオの呟きに沙希が反応し、同様にスコアボードの方を見る。
「えっ……。あ、本当ですね。どうしたんでしょうか。ケガとかですかね?」
「そんな話しは、まったく聞いていないが……。ただスターティングメンバーを外れただけなのかな……」
そう言いつつイナオは織恩高校側のベンチの様子を伺うが、選手たちは当然のことながら帽子を被っているので顔を伺うこと難しかった。
アイツとは一体誰の事かと? 話しの輪に入れないでいる一人蚊帳の外のヒロ。野球のルールを覚えたばかりで、他校の部員の名前などはまだ把握していなかった。疎外感を醸し出しているのを感じ取ったのか、沙希が話を振ってくれた。
「織恩高校にイナオ先輩の知り合いの方がいるんです。オチアイさんという方なんですけど……」
ヒロもスコアボードの方を見たが、そこに“オチアイ”という名前を見つけることが出来なかった。
「名前が無いってことは、欠場なさっていることですよね」
「んー。欠場するにしてもレギュラーから外されるにしても、アイツほどの実力が有るヤツが欠場するとしたら、やっぱり怪我とかも知れないな。あとで訊いてみるかな……」
沙希の推測に対して、イナオが答えた。
イナオと沙希が誰のことを言っていたのかは解ったが、オチアイという人に一度も会っていないヒロにとっては、やはり「誰?」という感想だけが残ったのである。
そしてヒロたちは着席し、当初の予定通りに試合を観戦……敵情視察をすることにした。
試合が展開されていくが、沙希はスコアブックを取り出して試合内容を記録していき、イナオは投手や打者を一人一人を細い目をより細くさせて観察していた。しかし、ヒロは何を注意して見れば解らなかった。
ただボールを投げて、打って、捕る。その行為に面白さを感じることが出来ない人間である。だからなのか、
「ふぁ〜〜〜」
ヒロは大きな口を開けて、欠伸が出てしまった。
隣に座っていたイナオが気付かない訳が無い。
「どうした、モトスギ。つまらないのか?」
「あ、いや、その……」
口篭るヒロ。自分たちは敵情視察に来ているのである。申し訳無さそうな表情を浮かべるヒロに、イナオはいつもと同じように優しい表情で返す。
「だったら、モトスギ。あのバッターを良く見とくんだ」
イナオが指差した先には、イナオにも負けず劣らずな太ましい体型をしており、眼鏡をかけている選手が右打席に入ろうとしていた。
『南海高校四番、ノムラ克也くん、背番号、十九』
アナンスコールが響き、今の選手が何者か判明する。
イナオに言われた通り、ノムラと呼ばれた選手を注視するヒロ。
相手投手の第一投――大きく曲がるカーブに打者は不恰好なスイングで空振りしてしまう。それを見て、イナオが呟く。
「次は外角にストレートだな」
ヒロは一瞬イナオの横顔に視線を向けたが、すぐにグランドの方に戻した。
二投目はイナオの言うとおりに外角のストレート。打者はバットを振る仕草を取るだけで見送ってしまい、ストライクを取られてしまった。それを見てイナオは、
「もう一球、外角のストレート……だが、今度は外すな」
またしてもイナオの言うとおりの結果になった。
「なんで解るんですか?」
確信持って言い当てたことに偶然とは思えず、ヒロはイナオの顔を見ながら理由を訊くが、
「なに、こんなの少しでも投手と打者の心理や状況が解れば、解るものさ」
さも簡単に言いのけられてしまい、さらに困惑するヒロ。イナオは目つきは真剣な眼差しのままに微笑みかける。
「詳しいことは後で説明するよ」
カウントは、ワンボール、ツーストライク。
「次に投げる球は、最初に投げたカーブボールだな」
第三投――大きく弧を描くカーブボール。それを打者は打ちに出る。
さっきの不恰好な空振りとは打って変わって、体の軸がしっかりと固定した力強いスウィング。
曲がり際の球を上手くバットの真芯で捉え、高々と飛翔する。打球は放物線を描いて、そのまま外野フェンスを越えていき本塁打(ホームラン)となった。
またまたイナオが的中させたことにヒロは驚いていたが、イナオもイナオで驚いていた。
「おいおい、ムースの奴。ああいったカーブを上手く打てるようになったのか……」
漏洩した言葉から、ヒロとは別の理由だった。
イナオがムースと呼んだ……本塁打を打った選手は、塁を悠々に周っていると観客席にイナオたちが居ることに気付き、普段から膨れっ面している表情を緩ませた。
作品名:正しいフォークボールの投げ方 作家名:和本明子