正しいフォークボールの投げ方
第二球 いつの時もフォークボールばかり投げろ-1-
ヒロが野球部に入部してから早二週間が経過していた。
部活にも、そしてこの世界にもようやく慣れてきており、この世界についてもある程度、解ってきていた。この世界は自分が居た世界と比較的に似ており、それほど生活や言葉、文化などで不自由を感じることはなかった。
最初目覚めた時は気にする余裕は無かったのだが、普通に言葉が通じていた。今思えば、言葉が通じるというのはとても幸運なことだ。
この世界の言語は、日本語や英語と全く同じものであり、文字も平仮名、カタカナ、漢字、ローマ字と日本人が普段使っている文字を使用していた。ここまでなら此処が本当に異世界なのかと疑問に思う所だが、異世界だと証明すれば、世界の大陸が日本列島と酷似している所だ。
たとえば、ユーラシア大陸が本州、アフリカ大陸が九州、オーストラリアが四国、アメリカ大陸が北海道といった感じに見立てることが出来た。つまり、こちらの世界は日本の面積が千倍ぐらい広大で、日本が世界として成り立っている。と、考えても良いだろう。
この世界で暮らす人々は、日本人っぽい人が多数だが、外国人らしい風貌の人もいることはいる。そういったことも影響されているのか、名前が普通の世界と違う所がある。
苗字がカタカナで、名前が漢字だったりする。その逆の例もあるが、大半は前述通りである。
だからヒロ(本杉陽朗)も『モトスギ陽朗』ということなり、苗字の本杉はカタカナで呼ばれている。しかし口に出して呼べば、カタカナでも漢字でもどっちでも良かったので別段問題は無く、不便は無い。
不便を感じるとしたら、テレビが無いということだ。他にも携帯電話やパソコンといったハイテク機器が存在していなかった。その代わりにラジオは在った。むしろ、それがこの世界でのハイテク機器だったのである。
元居た世界と比べて五十年ほど技術進歩が遅れているようだった。沙希が「ねっと?」と不思議そうな顔をした意味を理解する。
何はともあれ、此処は異世界である。着の身着のままに召喚されてしまい、自分の身寄りを保証してくれる人も知り合いも居ない。そんな世界でヒロが、なんとか生活することが出来ているのは、野球の神様のお陰だった。
ヒロが目覚めた場所は、大府内高校という学校の校庭だった。
苦し紛れに発言したヒロの言葉通りに、本当に転校生(学年は一年生)として大府内高校に転入し、学校内にある寮に入寮した。まさしく嘘から出た真となったのだ。
野球の神様の神通力で、その辺りを都合よく調律したらしく、誰からも怪しまれることは無く、屋根がある部屋で暮らせて、寮には食事が付いているので空腹になる心配も無い。衣食住は確保することはできていた。
ヒロが不安視していた様々な要素の大半は解決されていたのだが、
『その代わり、なけなしの力を使ったから、もう、こんな風にヒロ君を助けることは出来ないからね。とにかく、早く元の世界に戻りたかった野球で活躍しなさい!』
野球の神様のお言葉通り、ヒロは野球を頑張るしかないのだ。ただそれが一番の不安要素であった。
その肝心の野球だが、この世界での野球は特別な存在だった。
野球のルールは元の世界の野球と全く同じで、ルールに関しては野球の神様がじっくりと教えてくれたので一応ルールの方は把握できてはいる。
大きく違う点は二つあり、一つは野球の地位である。
この世界での野球は国民的スポーツであり、学生野球の試合でいえど観客が沢山集まるほどに人気があるスポーツなのだ。サッカーやバスケなどの他のスポーツは存在するにはするが、どれもマイナー扱いだった。
だが、これほどまでに野球が活発で人気なのに、プロ野球というものが存在していない。
「野球は神聖なスポーツなので、それでお金儲けするというのはいけないんです。野球は、私たちにとって大切な拠り所みたいなものなんです」
と、大府内高校野球部のマネージャーを勤めるタチバナ沙希が、その理由を教えてくれた。
そして、その学生野球。ヒロの世界で高校野球と言えば、甲子園を目指すために大会はトーナメント戦が主流なのだが、こちらのはプロ野球のように総当たり戦……いわゆるリーグ戦が採用されている。
全国の高校と総当りとなるリーグ戦が行われて、勝率で順位を決めるのであった。リーグ戦が終わった後は、順位によってプレーオフ戦の進出や優勝決定戦(グロリアスシリーズ)といったものが行われる。だから高校生の学生にも関わらず、野球の試合が一週間(主に土日)に二〜三試合も行われ、半年間のリーグ戦が繰り広げられるのである。
ちなみにヒロの入部時期は、リーグ戦が開始されて二ヶ月経過した辺りの頃だった。リーグ戦が始まっているのに、野球部に新規入部することは稀の事らしい。
さて、国民的で人気があるスポーツと説明したが、毎週試合が行われる学生野球は過酷なことでもあり、小学校・中学校・高校と進むにつれて、野球部に入部する人は減っていくのだった。
現にヒロが通うことになった大府内高校でも野球部員の数は一八名程度と、どちらかというと少ない部類である。
ヒロはこの世界のことについて反復しつつ、部活に向かう途中で、両手で球が山盛りに入ったカゴを持った沙希と出会った。
ヒロが「持とうか?」と訊いたものの、「私の仕事だから、大丈夫だよ」とやんわり断られてしまった。
沙希と横に並んで歩いていると何気なしに雑談が始まり、先ほどの「部員が少ない」とヒロが呟いたら沙希が答えてくれた
「野球も大切ですけど、やっぱり学生の本分の勉強ですからね。高校まで野球をするというのは、よほど野球好きとかじゃないとしませんね」
「ということは、自分が入部出来たのは……」
「確かに人手が足りないというのも理由の一つとしてある思うけど……。でも、ちゃんとした戦力として見られたから、合格出来たと思うよ!」
「……そう言ってくれて嬉しいよ」
「それじゃ、はい。今日の練習と試合、頑張ってくださいね」
短い距離分の短い会話だったが、沙希と並んで歩いて、しかも話せた有意義な時間だった。沙希は微笑みながら手にしていたカゴをヒロの近くに置き、すぐさま立ち去っていく。
「それじゃ、頑張りますか……」
沙希に言われたからではないが、いつもよりも自分を奮い立たせるように呟いた。ヒロはカゴの中から球を一つ手に取ると投球態勢に入り、大きく振りかぶった。
この世界の野球で現実世界と違う、もう一つの点――
それは変化球の『フォークボール』が存在しなかったのだ。
作品名:正しいフォークボールの投げ方 作家名:和本明子