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きんもくせい

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 どうしてだか、私はいつも学校に早く来てしまう癖がある。おかげで通学路では朝練中であろう陸上部によく遭遇する。運動部は大変そうだ。文芸部所属の私にはまったくわからない苦労を、しみじみと感じながら、角をゆっくりと曲がる。金木犀の香りが、ほのかにただよった。
「おはよう」
 風のようにふう、と私の隣にやってきた朱音が言う。私は一瞥して、朱音の黒髪のつやつやしたのを見る。いつもと変わらずきれいだ。
「ねえ、ねえ柑奈ちゃん」
 黒髪をなびかせながら、朱音は私に聞く。いつもの……紺のセーラー服がよく似合っている。指定された白い靴下が、大人っぽい朱音の幼さを表している気がした。
「柑奈ちゃん、わたしのこと、好きなの?」
 無邪気に、朱音はそんなことを私に聞く。曖昧に笑うと、朱音は私の手をいつものように自分のとからめる。今日は寒い。とても冷たかった。
「うん、好きだったよ」
「どこが好きなの?」
 朱音は私の好意に気付いていたのかもしれない。思えば当たり前な気はする。きっと朱音を見ている目が、友人のそれとは違っていただろうし、人の仕草に敏感だった朱音ならその違いに気付いていてもおかしくはない。
「金木犀みたいなところ、かな」
「えー、何それ」
 ふふふ、と朱音は笑って、それから金木犀みたいかぁとこぼした。私と朱音をへだてる金木犀の香り。あのときは金木犀が憎くて、でも今は朱音を思い出させて好きだ。金木犀の花言葉を、朱音は知っているんだろうか。からめられた手に力を込めた。自分の爪が手のひらに食い込む。朱音は昔と変わらずきれいで、昔の私はその美しさに憧れ、陶酔していた。朱音みたいになりたいとも思ったことがあった。だけど今は、朱音がとても幼く見えてしまう。どうしてだろう。
 金木犀の花言葉は、「謙遜」「真実」「思い出の輝き」。そして、もう一つの花言葉は。
「初恋だったの」
 笑っていた朱音は、ゆっくりと、ゆっくりと目をまんまるく開かせた。驚いているみたいだ。そんな風にわかりやすい表情をしてくれる、朱音も好きだった。
「私の初めての友人で、初めての恋だった」
 心のなかに何かつまったようなものが、あることに気付いた。これがあるから苦しくてたまらない。もう一年が過ぎたんだ。あれから、一年。
「……そっか、聞けてよかったよ」
 朱音は寂しそうな顔をしていた。角を曲がるときも、そんな顔してくれてたら良かったのに。そしたら、心中でも駆け落ちでも何でもできたのに、なんて。

「おはよう」
 教室に入ると、めずらしく声をかけられた。いつも一番か二番なのに。時計を見ると、意外に時間は進んでいた。
「はい、これ」
 そう言って差し出された本は、私が昨日貸したものだ。一日で読み終わられると、もう貸す本がなくなるなあ、なんて心で苦笑する。今度は何を貸そうかとわくわくしている自分もいるのに。
「金井さんの本っていつも金木犀の香りがするね」
「え?」
「そのしおりからだよね。このしおりって誰かがつくったの?」
 なんだろうこの既視感は。ぐるぐると気持ち悪いほどのデジャビュ。
「そのしおりにA.Sってイニシャルがあるけど、その友だちの?」
 私も金木犀好きだから頼んだら作ってもらえるかなあ、と言って笑うのを見て、返された本を持つ手に、自然と力がこもる。
「無理かな」
「え?」
 そう、あれからもう一年が経つのだ。
「その子、死んじゃったから」
 朱音は、私と別れたあの日に、事故で亡くなった。私が知らない、朱音だけの道で、朱音は一人事故に遭った。どうしてあのとき、朱音の手をつかんで逃げなかったんだろうと毎日悔やんでいた。そしたら朱音は少なくとも私の見ていないところで死ぬことなんてなかったのに。
「ごめんなさい、嫌なこと聞いちゃったね」
 目の前で申し訳なさそうにする彼女、桂さんは、ゆるりとしたブレザーの端を手でくしゃりとつかんで、うつむいてしまった。彼女とは似ても似つかない。どちらかといえば、私に似て、彼女は臆病だ。
「ううん、気にしないで。褒めてくれてありがとう」
 彼女も、きっと喜んでるよ。私はそう言って笑うと、彼女も少し気が晴れたようで、そうだったらいいね、と言った。うん、きっと喜んでる。私はそう思いたい。
『ありがと、柑奈ちゃん』
 彼女はそう言って、微笑んでくれた、ような気がした。窓を見やれば、どこかに彼女がまだいるような気がして、けれどそこには寒そうにふるえる、空だけが広がっている。
 心中のようにあの世で一緒だなんて言わないけれど、いつかまた逢えたらいいと思う。
「私がフリッツで、朱音がアンナかな」
 私の知らない汽車に飛び乗ってしまった朱音と、逃げ出してしまった私。あきれてしまうほど、そっくりな気がした。
「え、何?」
 私の声に、桂さんは不思議そうな声を出した。私はなんでもないよと首を振った後、彼女と昼休憩にでも図書室に行こうかと思っていた。
「読んでもらいたい本があるの」
 駆け落ちと心中、どっちが幸せか。私はいつかどちらか選ぶときがくるんだろうか。それともまっとうする愛を知らないで、まっとうな愛をするときがくるのか。どちらにせよ、多分まだまだ遠いんだろう。私はフリッツとアンナのように子どもだから。

 ねえ、朱音。
 私がずっと好きでい続けられたら、この人生、おもちゃにしてもいいかな? ……なんて。



作品名:きんもくせい 作家名:べす