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歩く墓の許嫁-ジャコモ・レオパルディのエラトー

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 このような思想を抱え、およそ人間らしい、いや、生物らしい生気を滅多に見せなかった人物が、生きる意欲に溢れた幼い許嫁が弾く竪琴に勇気づけられて、生き方や、思想を変えるなどということがあるのだろうか。例えば彼がまだ若く情熱の炎が多少なりともあったころの、あの英雄的な『イタリアに』。彼がまだ野を駆けることができたころの、『球技の勝者に』。またあのういういしい『初恋』。ジャコモがあんな作風に立ち返り、今朝咲いたばかりのひまわりのような、生命そのもののような顔をして、俺たちの前に現われる日が、もうすぐ来るのだろうか? やはりどうも、信じられなかった。

 ジャコモの作風が変わったようには思えなかった。だが、精力的になったようには感じた。まずこれまで発表してきた詩をまとめて、『カンティ』という題名でピアッツィ社から刊行した。そこには若いころに作られた『イタリアに』や『初恋』なども含まれていた。それから、アントロジーア誌に寄稿してきた数々の散文。『暦売りと通行人の対話』、『トリスターノとその友人との対話』などなど。新しく書かれたその散文はと言えば、その古典に通暁した者のみが発揮しうる品格ある、しかし悲劇的な文体、相変わらずの厭世主義、悲観主義……なんら変わらぬいつものジャコモだった。アントロジーア誌の主宰者ヴィウッスー氏は、いいかげんジャコモの反進歩主義に苛立っており、掲載を渋ったが、俺はどうにか氏を説得して掲載させた。
 そうこうしているうちに、ジャコモたちはフィレンツェを離れることになった。それはかのエラトーの母親が、歩く墓が娘をたぶらかしたとお上に訴えたからではなく--母親とはどうにか和解したとアントニオから聞いていた--あの旧世界の遺物、オーストリアの圧力のせいだ。アントロジーア誌は廃刊処分となったし、ヴィウッスー氏は大公国政府に拘束されたし、ジーノやニッコロは田舎に逃げ去った。人づてに聞いたところでは、ジャコモとその許嫁は、かねて計画していた通り、アントニオとともにナポリへ行ったということだった。俺はと言えば、ボローニャにあるニッコロの叔父の家に厄介になることになった。

 フィレンツェでの騒動もひと段落したころ、アントニオから手紙が来た。ジャコモが今までアントロジーア誌に寄稿したものを追加して、『オペレッテ・モラーリ』の第二版を出したいので、俺の手元にあるアントロジーア誌を送って欲しい、それからできたら序文を書いてくれないかというものだった。手紙を読んで、俺は無性にジャコモに会いたくなった。奴はあれから許嫁とどうしているのだろう、あの歩く墓は、少しは生気を取り戻し、あの生きているのか死んでいるのか判然としないような生き方を、変えたのだろうか、と。アントニオにナポリへ行くと返事を出して、すぐに出立した。

 ナポリの郊外の小さなカフェで、アントニオは俺にジャコモの伝言を伝えた。
 「トスカーナの友よ、ありがとう、ってさ」
 友だって? ただの社交辞令のようにも聞こえたし、なにか心に響くようなものを感じもした。ジャコモの病状はいよいよ悪く、惨めな姿を見せたくないということだった。いまさらなにを、と言いたいものだ。奴のあの惨めな、屍かと思うような歩き方を、何度見たことか。
 「それで、例のエラトーは、どうなんだい」
 俺は尋ねた。
 「甲斐甲斐しく看病してるよ」
 「ジャコモは、なにか変わったかい?」
 「変わった? そうだね……いや、とくに」
 快活だった我らの愛すべきお人よし、アントニオはどこかわびしげだった。どうやらジャコモはもう長くないと見ているようだ。
 「せっかく来たんだ、姿を見ていくかい」
 「ああ」
 俺はアントニオに連れられて、ふたりが住んでいるという、ラニエーリ家の別荘まで歩いていった。広い庭を連れ立って散歩するふたりを遠目に見た。いとけない少女が、可憐に笑って、老人のような男の腰に手を回し、赤ん坊でも扱うように歩かせては、きゃっきゃと笑っていた。老人--ジャコモはと言えば、ますます薄暗い顔色で、足の浮腫の痛みに耐えているように見えた。
 そのとき俺は、ようやくことの次第を了解して、初めてふたりを祝福したい気持ちが生まれた。なんということはない。ジャコモがいつも、最も陳腐で最も月並みで、最も汚染されているという理由で忌み嫌っていた、しかし一度も手にしたことがなかったものを、彼はついに手にしたというだけのことなのだ。俺は心のうちでおめでとう、と言い、ナポリを後にした。ジャコモが激しい喘息を起こし、心不全で死んだのは、その二ヵ月後のことだった。