葉
いつの間にか草が生え木が根を下ろし
何千年もの間新陳代謝する林となった
僕の一生は人間であったのかそれとも林であったのか
ただ土壌として林が移り変わるのを感じていた時期が最も幸せだったので
多分人間の幸せは死んでから訪れるものだ
*
天の火が増えて川の火もまた輝きを増した
圧倒的な火の季節がやって来たので
僕も感覚を静かに燃やし始めた
痛みはより痛くなったけれども
何もない感覚はいよいよ冴え切って
例えば目に映るあなたも実は空っぽで
今食べた食事の味も空っぽで
全ての空っぽの内側に
世にも美しい炎が幾筋も
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心の中に沢山実った果実を落とし
失語的な朝を迎える
なるほど話の種はあるし
会いたい人もいる
だが表現と倫理の回路がどこかで切れてしまって
失語的な目で近いものだけを見る
事故でもなんでもなくとても自然に砂漠はおとずれ
失語的な体で手に届くものや匂いの嗅げるものだけを求めている
*
遠くを走る車の音や遥か上空を飛ぶ飛行機
いつもは隠されている離れたものが
途端に肌に熱く触れるような時がある
問いを発するのでも答えを返すのでもなく
単純に変化していくことへの感嘆のような
遠い物音に捕えられると
僕の生きていく物音が反射する体も
どこまでも遠く広がっていくようだ
*
古い人種はいつでもどこか寂しそう。自分の信じていた原理で全力投球してももはや満足した応答が返ってこなくなってしまった人種。それでも自分を時代にうまく添わせるにはそれまでの蓄積が足枷となってしまう人種。いわれもなく敵視され乗り越えるべき対象とされてしまう人種。古い人種は私でもある。
*
冬の冷たい光が薬品のように流れていくとき
土にスコップを差し込んで樹を植える
過去がこんな風に遺失されましたよ
忘却の証のように樹を植える
樹は真夏の澄んだ太陽のもと
この光のようにつめたい葉を茂らせ
つめたい実を生らせるのだ
斜めの大気を浴びながら
どこまでもまっすぐ伸びていけ
*
労働など土に比べたら動きに過ぎない
土など大気に比べたら固体に過ぎない
大気など未来に比べたら現在に過ぎない
そのような現在の中で労働は時間の痕跡を作り
同一であるために費やされる非同一的なものの為に
人間の肉体は限りなく分泌されていき
いつの間にか土の中に染み込んでしまうだろう
*
僕らの人生の始まりには償いようのない間違いがあった
間違いは傷であったか罪であったか
だがそんな間違いを丁寧に生き続けていると
すべては間違いでも正解でもなかったことを
生きることそれ自体が証明してくれる
間違いは廃墟のようなもの
廃墟に生い茂る草木の目覚ましい生命が僕の命だ
*
誰からも見放され
誰も頼ることができず
人を傷つけ人から傷つけられ
激しい苦悶を通過する中で
その苦悶をろ過したかのように
一滴一滴詩は誕生した
詩はいったい何を浄化するというのか
その生い立ちからして悪魔の申し子ではないのか
詩は原始時代の叫び声
遠く聖なるものへと汚れていく歌
*
証人を立てるんだ
例えば僕が今朝目玉焼きを食べたことについて
しっかり覚えているし難しいことでもないんだけど
でも証人を立てるんだ
そのことが却って事実を不確かなものにするから
証人が必要なほど不確かに
そのようにして自明なことを全て隠していけ
証人は証すことで僕らの秘密を守る
*
生きることは全てが飛躍だから
少し前にあったことも少し後にあるであろうことも
現在と連帯することはできないのだ
いや、生きることは全てが連続だから
何ものとも連帯の円が広く広がっていき
決して孤独になることができないし
新しいものが生じる余地もない
だが飛躍と連続に実は違いはない
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あるとき眼が振り返った
振り返った先には脳があるだけだった
振り返ればよいものではない
そう思って元に戻ろうとした瞬間
今度は脳が振り返った
脳が振り返る瞬間を見ただけで眼は満足した
振り返った脳は神経を介して血液を振り返らせ
血液は裏返って体を流れていった そんな夜が偶にはある
*
「生き残るために瀕死の僕は暴力を振った。怒りを物質化するとても美しい暴力だった「その暴力が美しい被害者を作った。被害者の傷は美しかった「僕は決して消えない罪を背負った。この上なく美しい罪に僕は深く抉られたままだ「どこが美しいのだ?全てが自己弁解の醜さで腐臭がする「その腐臭が美しい
*
この涙はどこからやって来たのだろう
あるいは朝日に照らされた建物の充実から
あるいは夜に訪れる静寂の表面から
あるいは昼間の空の嘘のような明るさから
涙の本当の出自は知らなくていい
そして忘れてしまっていい
ただ薬液のように蜜のように流れては嘘を確かめる
それだけの涙でいい
*
傷ついたという言葉が大嫌いだ
傷ついたと言ってしまえば何もかも免除されてしまう
そんなマジックワードは大嫌いだ
だから俺は傷ついたという人間を軽蔑してやる
お前の存在の煩わしさを決して許さない
傷ついたという度にお前をさらに傷つけてやる
そんな俺こそが深く傷ついているという悲しさ