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ミルクの化石とチェックの棺

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気づかれないように。

 「へぇ、よかったじゃん。おめでとう」

 そうぶっきらぼうに吐き捨ててコーヒーをすする私と、ありがとう、嬉しそうに笑って、小さく分けたシフォンケーキを口元に運ぶムツ。

 身長が百八十センチもある、身体だけは馬鹿でかいムツみたいな男が、モソモソと口を動かしてケーキを咀嚼する姿はどこか滑稽で愛らしく、私はいつも、子供のころに実家で飼っていたジャンガリアンハムスター、あの子のひまわりの種を齧っていた姿を連想する。

 ハムスターの名前はムーちゃんといって、ずんぐりむっくりとしたおとなしい子だった。ふわふわの毛をフルフルと振わせながら、いつもケージの隅の方で、餌であるひまわりの種を齧っていた。私は、二つ下の妹と一緒に、ムーちゃんを掌に乗せたり、指で突っついたりしてかわいがった。ムーちゃんがケージから姿を消したのは、ペットショップでその子を購入したその年の冬のことだ。空のケージを見るたびに、私は幼心に寂しさと悲しみを覚えた。別れはいつも唐突に、それでいて残酷に訪れる。そして、その原因はいつも私の側にあったりする。

 ムーちゃんがいなくなったあの日のように、窓の外のテラスでは冷たい風が吹き荒んでいる。春になれば、オープンガーデンになって、優しく降り注ぐ木漏れ日の下で紅茶とケーキがいただける白いデッキのテラスも、この季節になると席もまばら、落ちた枯葉が寒々しい。冬、木枯らしの吹く夕刻、こんな日はムツのそばにいると気のせいか少し暖かく思える。
 
 ムツの大きな体の前に置かれた小さなシフォンケーキは、それこそ小さなひまわりの種のように、すぐに彼のおなかの中へ無くなってしまう。一緒にケーキを頼むと、大抵ムツが先に食べ終えてしまうので、食べるスピードが人並みの私は、ニコニコと恵比寿のような顔で笑いながらこちらを見つめるムツの前で、妙にそわそわとしながらフォークを口に運ぶことになる。それは不快なわけではないのだが、どうも私は落ち着かない。どうせなら見られるよりも、見ていたほうがいい。

 だから私は、ムツと一緒のときにはいつの間にからかコーヒーだけを頼むようになり、二十代も終わりに近づいてからは、たとえ一人のときでもケーキのような甘いものはあまり食べなくなった。

 「で、式はいつ?」

 「んー、まだそういう細かい日時とかまではきちんと決めていない。とりあえず、そうなった、ってことだけは初めにりっちゃんに伝えなきゃと思って」

 「バッカね。私への報告なんて別に後回しでいいでしょうに」

 咄嗟に咎めるような口調をつくる。
 まるで、姉が弟を叱りつけるような。

 カチャリと音を立て、右手に持った白い陶器のカップを、同じ素材で作られたソーサーの上に置く。思っていたよりも苦く感じたブレンドコーヒーに、カップの脇に置かれていた小瓶から白いミルクを垂らす。

 よくTVで放送されているCMなんかでは、このミルクがコーヒーの液面に美しいマーブル模様を描いたりするのだけれど、私の手元から零れたミルクはそうはいかず、ブラックの層の下へ下へとただ潜っていき、ほんの少しブラウンの余韻を残すだけで、カップの底の方へと沈んでいった。
 
 もし、私がこのスプーンでカップの中をかきまぜなければ、白いミルクは永遠に、苦いコーヒーに蓋をされたまま、深いカップの底でジッとしているのだろうか。そして悠久の時を経て、いつかは忘れ去られて、ブラックとブラウンの地層の奥で、ひとつの白い化石になるのだろうか。
 
 脳裏に浮かんだそんな光景を掻き消すように、私はカップの中のスプーンを揺らした。瞬く間にミルクはコーヒーと混ざり合って、二度と掬えないほどに紛れてしまった。
 
 「タマちゃんもね、まずはりっちゃんに報告しようって言ってくれたから」
 
 「そりゃあ珠美はそういうでしょう。私だってよく知ってる。でもね、珠美はただでさえのんびりしてるんだから、やるならやるでムツがしっかりしなきゃダメ。披露宴の会場も、式の段取りも、男のムツがやらなきゃ決まらないよ」

 「うーん、そういうものなのかなぁ」

 「そういうもんでしょ」

 式場で、色とりどりのウンディングプランのカタログを目の前にして、短い首を小さくかしげながら延々とどれにするかを決めかねている珠美の姿が、私には容易に想像できる。その横で、そんな珠美を穏やかに優しく見守るムツの姿も。
 
 ムツほど身長は大きくないものの、横の幅では勝るとも劣らない体格を持つ珠美をムツに紹介したのは他でもない私だった。会社の後輩である珠美は、美人ではないもの、その愛嬌のあるキャラクターでよく周囲に馴染んでいた。丸々としたシルエットと、のんびりとした性格。よほどのことがない限り嫌われはしないものの、一人の人格というよりは職場のマスコットとして扱われてしまうのが珠美という人間だった。

 お局から新人まで女性だらけの経理課に所属する珠美と、どちらかといえば男性の比率が高い営業企画課に所属する私とでは、あまり濃い付き合いはなかったのだが、それでも互いに相手の名前と社での立場ぐらいは理解していた。逆に言えばその程度の知り合いだったといえる。

 そんな風に、あくまでも職場の同僚以上の存在ではなかった私と珠美だったが、年の終わりの酒の席で、お節介で無神経な部長が発した「なぁ松原主任、タマちゃんにイイ男の一人でも紹介してやんなよ」というセクハラじみた言葉により、私は珠美に彼女のボーイフレンド候補となる男性を紹介しなくてはならない運びとなった。

 ムツを珠美に紹介したのは、珠美の体型や雰囲気からムツを連想させるものがあったというのもあるが、一番大きな理由としては、私自身、他人に紹介できるような男性がムツ以外にいなかったというのがある。

 流行のファッションのように、季節ごとに恋人を乗り換えることで自らに女としての価値を見出していた若い時分ならいざしらず、仕事に没頭していく中で、意識的に必要最低限の範囲にとどめていた私の交友関係にある異性の友人はムツだけだった。

 「ゼミの連中は招待するの?」

 「式に? うん。一応、招待状は出そうかなって思ってる。本田さんや、大宮君の結婚式の時も、招待してもらったし」

 「私は行ってないけどね」

 「たしか、仕事忙しい時期だったんでしょ? 残念だったよね」

 それもあるが、いなかった理由はそれだけじゃない。ただ、学生時代に男と女のとして関係を持った彼が、これから幸せな家庭を築いていく節目の式に、私という人間はふさわしくないと感じたのだ。

 「ムツはさ、大学の頃から、なんかヌケてたよね」

 「えー、なんなの突然。確かに成績はよくなかったけど」

 「そういう事じゃなくてさ」

 学生時代、私と大宮君が男女の関係であったことに気づいていなかったのは、同じゼミの中でもムツだけだった。

 鈍感でウスノロのムツ。きっと、当時のムツ自身の秘めたる思いが、ゼミのメンバーに全員に知られていたことになど、いまだに気づいていないのだろう。

 「それにしても、とうとうムツも結婚か。私の嫁の貰い手候補も、これでいなくなっちゃったかな」