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和尚さんの法話 「後生を認める」

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そしたらその老人が、まことにありがとうございましたと。お陰で私は悟らせてもらいましたので今度は人間に生まれ変わることが出来ますといって、裏山に大きなキツネが死んでます。それは私の死骸ですと。そこでひとつ葬式をして貰いたい。
そういう伝記があるんです。
ところがほとんどの坊さんはこれを信じないですね。これは禅宗ですが今の禅宗の坊さんはあの世を信じる人はいないようです。
自分は悟ってるつもりでいても仏様の目で観たら大間違いと。いうような禅を野孤伝というんですね。
愚者正法を説けば邪法となりという言葉があるんですが、仏法を説いてるはずなんですが、仏法は正法なんですよ、ところが説くべき本人が誤ってるから、仏教を説いてたって邪教になってしまうということです。
だから本当の宗教に出会うということは、仏教からいうと縁無き衆生は度し難しとか、縁ということをやかましく言いますね。
だから縁が無かったらなかなか救われない。
その縁というのは仏教に対してぱあっと縁を結んで、生まれて来るごとに縁を結んで縁が濃くなっていくというようなことで、なかなか一度や二度のことで、だから私たちはこうしてお話しに出会うことができたということは相当仏道に、前世何度も何度も生まれ変わってきて触れてきてるんじゃないかなと思うのです。
兎に角、皆さんあの世があるんだということです。お地蔵様もいらっしゃる、観音様もいらっしゃる、お不動さんもいらっしゃる、tりゃんとあの世にいらっしゃる。そういう方々の何方かを早く捕まえることですよ。私は観音様を、誰がなんと言おうと観音様ですと。お地蔵様ですと、こういうような方を早く決めることです。
分かり易くいえば好きになったらいいんです。観音様が好き、私は観音様が好きですと。観音様のお姿を一緒に抱いて寝てますと、そういうような気持ちになってきたらもう信仰なんですよ。信仰というと難しいように思いますけど分かり易く言えば好きになったらいいんです。
阿弥陀様を信仰してますといえば阿弥陀様を好きになったらいいんです。
では他の仏様は知らん顔すればいいかというとそうではなく他の神仏は敬意を表し、私は阿弥陀様が好きですと。何方に救われたいのかといわれたら、私は阿弥陀様が好きですと。
尊い方々は皆ご苦労をなさってるのだから敬意を表したらいい。だから誘われたら何処へでもお参りに行くのは宜しいのです。
あっちもこっちもお参りして貴方は何方に救われますのかと聞かれて、はてな、となると困るんです。
お一人に決めないと。その方でなければと。その方でなければ誰が何と言おうと私はこのお方だと。ついて行くのはおのお方だとね。この菩薩様、この如来様には敬意は表しますが私はこのお方でなければと。
それは我々人間の付き合いと一緒です。私はこの人となら何処へでも一緒に付き合いますけど他の人はあかんと。こうなってきますと付き合いが悪くなってきますね。ですが自ずからこの人のためならという人がありますね。
分かり易くいうなら、この人とでもあの人とでも誰とでも心中しますよと、こんなバカなことはありませんわね。死のうというような人は一人しかないのと違いますか。
信仰もそうなんです。救われたいというお方を早く決めたほうがいいですね。
そしてその方のお名前を称える。
阿弥陀様だけじゃないんです、お名前を称えるというのは信仰の根本なんです。
阿弥陀様でしたら南無阿弥陀仏。お地蔵様でしたら南無お地蔵様。観音様でしたら南無観音様。南無の下へお名前を付ける。
あの世へ行って救われようと思うならそうしないと救われません。
袖を掴んで離さないとか、来るなと言われてもついて行くというような心境でしょうかね。