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At the time

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At the time of got to know the heart

深い森。狼の群れの低く唸る声が木立に響く。数頭の狼の群れが狙う獲物は、岩に背後を阻まれた一人の少女だった。哀れな獲物は手に持った杖を必死に伸ばし、狼への抵抗を試みるが、焼け石に水である。こんなことなら、宿屋の主人の言葉を聞いておくんだった、と少女は歯を食いしばって後悔していた。
――ガヴァメントの森を通るのかい?あそこはやめた方がいい、狼が殺気だっているし、件のバケモノが彷徨いてるって噂だ。少女は先を急いでいた。故に主人の言葉を半分にガヴァメントの森を通り抜けようとしていたのだ。その挙げ句にこの様である。必死に杖を伸ばし、狼を牽制するが、それも時間あの問題だった。
少女は気付いて居なかったが、その時少女の背後を阻む大岩の上に、寝転がっている影があった。否――――人、ではない。肌を疎らに覆う鎧のような鱗に、固く鋭く醜く曲がった四爪の指。臀部からは蜥蜴のような太く長い尾が突きだし、それも又武骨な鎧鱗に覆われている。更に目を引くのは人の体に蜥蜴の頭をくっ付けたような頭部である。爛々と光る金色の目で世界を睥睨する生き物は、それはそれは恐ろしく醜い化け物だった。何処へ行っても怯えられ、罵られ、名さえ与えられぬまま生き延びた化け物は、其の姿のまま『バケモノ』と呼ばれていた。
バケモノは淀んだ黄色の眼でつまらなそうに岩の下を見下ろし、またごろりと逆に寝返りを打つ。少女の生死などバケモノには水面に一滴を投げかける程度の感情さえ起こさせなかった。
(どうでもいい。俺には知ったことか)
狼のうなり声が迫力を帯びる。地面をこする狼の爪の音と、少女の小さな悲鳴。素知らぬ振りをしていたバケモノははったと気がついて飛び起きた。知らぬうちに、興奮した狼たちはバケモノにさえ牙を向けていたのだ。バケモノは舌打ちをすると、岩の上に乗りあがってこようとした一頭を蹴り飛ばす。哀れな悲鳴を上げ狼は木にたたきつけられる。次いでバケモノは太い尾で群れを一掃した。
「馬鹿犬がッ」
尾を振り抜き様に大喝すると、木立の枝葉がびりびりと震える。
毛を逆立てた狼たちは、漸う近付いてはならぬものに手を出したことに気づいた様であった。泡を食って尻尾を巻いて逃げ出す。情けないと鼻で哂い、バケモノはまた一眠りに岩の上に戻ろうと身を返す。――瞬間。バケモノは大きな黄色の針のように細く切れた瞳孔を見開いた。
(まだ!居たのか)
すっかり忘れ去っていた少女が、岩に凭れて呆然自失の体で座り込んでいたのだ。驚愕と恐怖に染まって見上げる少女の表情に異形は舌打ちして拳を握り締めた。
――化け物が!
――気持ち悪い、死んでしまえばいいのに。
――恐ろしい、悪魔の落胤!
口々に浴びせかけられた礫の様な言葉を思い出せば、さしものばけものとは言え良い気分ではいられない。 近づかぬに限るとバケモノが昼寝を諦め踵を返した時だった。
震えていた少女が動いた。震える声を出す。
「あ、あの」
無視して去ろうとしたバケモノを、もう一度呼び止めた少女に、漸うバケモノが立ち止まる。
「あのっ」
「何だ」
苛立ちの露なバケモノの声音にも怯えることなく、少女は深々と頭を下げた。
「助けてくださって……本当に本当にありがとうございました。貴方は私の命の恩人です!」
少女の薔薇の花片のような唇から紡がれた言葉に、度肝を抜かれたのはバケモノの方だった。
――いま、なんといった?
それは産れて今日までバケモノに向けられたことの無い類いの言葉だった。恐れ蔑み罵りこそすれ人間が人成らざる物に礼を言うなど、バケモノの中では蟻が虎を喰らうような有り得ない事であった。
思わず瞠目して振り向くと、少女は怯えた様子もなく彼に微笑んですらいた。好奇の視線でも嫌悪でもない、柔らかな視線にバケモノの心臓が嫌な音を立てて軋む。しかし、その視線はバケモノではなく、検討違いの方向を見詰めていた。その光の無い目を見て、バケモノは気付く。
「――――貴様、目が、見えないのか」
「……はい」
バケモノは己の続けた言葉の意味が解らなかった。人などともう二度と関わりはしまいと決めていたと言うのに、バケモノの口を付いて出た言葉は親切染みた台詞だった。
「……ならばこの森の出口まで送ってやる。此処は目の見えぬものが抜けられるほど安穏とした森ではない」
バケモノの申し出に、少女は見えぬ目を丸くし感激して何度も頭を下げた。握手を求められた時はバケモノは確りと断りをいれた。触れられては己の異形が知られてしまう。畢竟、バケモノは少女に『人として』扱われる居心地の悪い心地好さをほんの後少し、感じてみたかったのかも知れぬ。だが、彼自身は己の心の動き等理解していなかった。バケモノは少女に杖を拾い渡し、二人は揃って歩きだす。

先導するバケモノが少女に障害物を伝える。決して触れぬよう気を張りながら、バケモノと少女は安全に森を抜けていく。そして少女は、コルト・ピースメイカーと自らを名乗った。小麦色の煌めく長い髪に、森を凝縮したような濃緑の瞳。例え何も写さないとしても美しい。微笑む表情は幼く、まだ十六年も生きていない事をバケモノに思わせた。肩に背負う大きな鞄にはリュートが入っているという。彼女は盲目のジョングルール(旅芸人)であった。少女は旅の連れが余程嬉しいのか、何度も話しかけてきた。その途中少女は、そう云えば、と手を叩いて明るい声を上げた。
「ねえ、すっかり忘れてた。貴方のお名前は?」
「名前?」
バケモノは動揺した。――バケモノ。それは名前ではないことぐらい分かっている。
「俺の名前?」
「ええ、何時までも貴方では失礼ではないですか?」
コルトの無邪気な問いかけにバケモノは困惑して尾を揺らした。名乗れる名など持っていない。如何し様かとさ迷わせた視線の先に古びた道標が目に留まった。既に廃れた村の名前が刻まれている。
「ルガー。ルガー・マーク」
標に書かれた言葉をそのまま読めば、少女は頬を弛めてはにかんだ。
「よろしくお願いします、ルガー」
はにかむ少女の声音に、バケモノ――ルガーは知らず歯を食い縛った。
名とは個を顕す最も単純で最も重要なものという。名を他者に認識された時に初めて個は個として存在する。この瞬間、ルガーはようやく誕生した。
それから、数刻もせぬうちにルガーたちは森の端にたどり着く。通常なら丸一日はかかる旅路をこれほど短縮出来たのは偏に森を知り尽くすルガーの導き故であった。しかし、其の数刻でコルトはすっかりルガーに懐いていた。
「俺が遅れるのはここまでだ。ここからこの道を真直ぐ行けばマグの町に着く。日が落ちる前には着くだろう」
言い置いて、ルガーはコルトに背を向ける。人の往来は無いものの、決して人が通らぬとは言い難い街道に、己の異形を晒そうとは思わない。森の中に帰り行くルガーの背に、コルトは大きく声をかけた。
「ありがとう、ルガー!貴方の親切は絶対に忘れない!」
見えぬだろうに、大きく手を振る少女を最後に視界に納め、ルガーは再び孤独な森の中に戻っていった。一瞬の交わりであった筈の邂逅。
それなのに――――。
作品名:At the time 作家名:万丈壌