和尚さんの法話 「仏法聞き難し」
お釈迦様に逢えなかったけれど、お釈迦様がお説きになった仏教に逢うことが出来たからこれは喜びです。
それは先ほどの 「盲たる亀の浮き木の穴に逢るが如し」 と、それくらいのチャンスしかないのに逢えたんだということです。
「我が朝に仏法の流布せし事も欽明天皇 天が下をしろしめして十三年壬申の年、冬十月一日 始めて仏法渡り拾いし、それより先には如来の教法流布せざりしかば」 それより以前には日本には仏教は無かったということですね。
ですからその人達は仏教を知らないということになるわけです。
「菩提の覚路未だ聴かず」
菩提は悟りですね。 覚路は道ですから悟りの道ですね。
信仰をしていってだんだんと悟りが高まって救われていって、未来は自分も仏に近付いていって仏に成るというのが、仏教の教えですから、みんな仏にしようというのが諸仏の願いです。
自分もまたそれを信じて、聞いているだけではいかんのだ、未来は仏にならないといかんのだという気持ちを持たないといけないんですね。
「此処に吾等 如何なる宿縁にこたえて、如何なる善業によりてか仏法流布の時に生まれて生死解脱の途を聴くことを得たる」
どんな良いことがあったのか、どういう前世の因縁があったのか知らぬが、とにかく現在こうして人間として生まれてきて、しかも仏教に逢うことが出来たんだということです。
前世の功徳によって生まれてきてるんですね。
宿善と言ってこれがないと仏教には逢うことができないのです。
宿善とは前世の良い行いですね。
兎に角、何かわからないけれど、前世で良い行いをしてきてるから今、人間に生まれてるわけです。
悪いことをしなかった、人を殺したりしなかったということですね。
悪い行いをしていたのかも知れないのですが、何れのときにか悟ってきて、その事からだんだん遠ざかってきたのでしょうね。
そうして一応人間として生まれてきて、しかも仏縁に逢うことができたということです。
如何なる宿縁とはどんな縁があったのか、どんな宿善があったのか知らないが、それを得てその結果こうして人間として生まれてきて仏法に逢うことが出来た。
これを書いた法然上人もこのときは凡夫ですから、前世はどうだったのかは見ることが出来ないけれど、お地蔵様や観音様のような仏様は過去にどういうことをしてきたのか、神通力というのがあって、前世を見ることが出来るわけですね。
我々は凡夫ですから前世は見ることが出来ないですが、弘法大師は自分の前世はどういうことがあったと、おっしゃっていることがあるんですね。
そして夢も見ているのですよ。
それは大きな蓮の花があって自分が子供の時にだそうですが、その蓮の花の上で戯れて遊んでいる夢を見たそうです。
そんな夢を弘法様は見るということは前世から仏縁のあった人に違いないですね。
もう一人鎌倉のお寺の人で、無学祖元(むがくそげん)という中国のお坊さんなんですが、時の天皇が中国でね、当時は中国が仏教の先達ですから立派な坊さんを日本へよこして欲しいといって中国へお願いしたんです。
それで中国は無学祖元という人を日本へ送ってきたんですね。
その人が鎌倉のお寺に入って仏光国師という国師号を貰ってます。 この方も立派な方だそうです。
弘法様も自分の死ぬ時間まで言っていますね。 本年三月寅の刻なりと。
死ぬ年の正月に入ってから遺言状を書いているんですね。
時間まで書いて、そのとおりに亡くなったんです。
こういう方は普通の方じゃないですよね。
この無学祖元という方も弟子たちに、わしは本年の秋にわし自身の問題があるんじゃが、おまえ達は判るかと聞くのですが、弟子たちは誰も判らない。
そして秋になって、この方は亡くなるのです。
死ぬまえに弟子たちに、わしは秋に死ぬのが判るかと聞いているのに誰も判らなかったんですね。
この方は鎌倉の円覚寺の開山、無学祖元は北条時宗も指導していたんですね。
本年春夏交わるの候に(春から夏に変わるころに)戦いが起こるが、いずれ治まると、戦いは起こるけど心配は要りませんよ、治まるからと言ったんですね。
ですから早めに言っているんですね、春夏交わるの候ですから早い時期に言ってるわけですね。
そのときに事件が起こるのが判ってたわけです。
で、或るときに時宗は、なんであなたは先の事、先の事がそんなに判るのですかと訪ねるんです。
三年たったら貴方もわかると、こう返事が返るんです。
それから三年たったら時宗が死んだんですね。
死んであの世へ行ったら判ると言っていたんですね。
あの世、霊界へ行ったらこの世とはちょっと違うんですね。
地獄や餓鬼に落ちる人は別ですが、普通の人だったら、信仰も心がけていたという人だったら、死んであの世へ逝ったら、この世の裏表が全部わかるそうです。
芝居の楽屋裏へ行くようにね、分かるというのです。
だから 貴方も三年たったら判りますよと、死んであの世へ逝ったら判ると、いうことを言っていたのですね。
そういう人だったんですね無学祖元という人は。
皆で座禅を組んで座っていますよね、そこに弟子たちの中で一番先輩が居て、他の弟子たちと比べて優れている弟子を第一座といいますが、無学祖元は 「第一座妄想すること無かれ」 と言うのです。
優れた弟子たちは座禅を組みながらいろいろ妄想していたんですね。
それを無学祖元に指摘されたわけですね。
もう一人紀州の有田の田舎寺に隠遁してしまった法灯国師(ほっとうこくし)という人がいまして、時の将軍さんが鎌倉へ置いておこうと思ったのに、知らない間に紀州へ帰ってしまうんですね。
この方も、普通の人じゃないですね。
禅宗は禅問答をしますが、禅問答というのは相手はどれくらいの力量かを試すわけですね。
或る二人の旅の僧が法灯国師を訪ねて来るのです。
二人行ったのですが一人はもう止めると言って、門の前で待ってるから一人で行ってきなさいと言って一人だけ入っていったんです。
それはもう、法灯国師と禅問答をして、やっつけてやろうと思って来てるんですね。
そして法灯国師は 「汝心中の刃を解き去れ」 と言うのです。
お前は私に理論をしに来たのだろうと。
心中の刃、おまえは心の中に刃を持ってきたと言うのです。
わしをやっつけようと思って来てる、それをとれと言ったんですね。
ですからどんな気持ちで来てるかということを、ちゃんと見抜いてるんですね。
この方々のように信仰をしてると、そういう能力が自然と出てくるのです。
ですからお地蔵様とか、観音様やお釈迦様のように仏様になると、どんなことでも判るんです
お釈迦様がお経の中に、過去世において、何処に生まれて、どんな家に住んで、父親はどんな人で 母親はどうだって、何処に住んで、どんな食べ物を食べて、どんな楽しみがあって、どんな苦しみがあったと、いうことを全てわかる。
どんな昔の古い出来事も全部わかると解いたお経もあります。 神通力ですね。
だから修行をしていったらそういう能力が納まってるんだけど、なかなか発揮できない。
煩悩が邪魔をしますから煩悩というのは鏡のような心になってきたら何もかも判るようになるんです、前世のことも未来のことも分かるようになるのです。
作品名:和尚さんの法話 「仏法聞き難し」 作家名:みわ