和尚さんの法話 「地獄は存在する」
地獄は存在するというお話でございますが、今はもうご存知のように、地獄なんていうことは全く信じられなくなってきておりまして、したい放題のことをしておりますね。
これはもう地獄というものを本当に信じていないということですが、地獄というのを本当に信じたら世の中も変わると思うのです。
「地蔵菩薩本願経」というお経があるのですが、その中の一部分ですが、ご紹介します。
一、
「地蔵菩薩、普賢菩薩に告げて言(のたまわ)く、「此の故に衆生、小悪と軽んじて罪無しとする事勿れ、死後に必ず報い有り。繊毫(せんごう)もこれを受く。」
ほんのちょっとでも受けるということです。
――― 我今仏の滅力を受けて地獄の罪報の事を説かん。仁者、暫く此の事を聞き給え」
普賢答えて言く、「我已に久しく三悪道の報いを知る。願わくは仁者、説きて後世末法の一切悪行の衆生をして仁者の説を聞かしめ、仏道に帰せしめん」。
この地蔵本願経というお経は、忉利天という天上界で説かれたんですね。その忉利天という天上界に、お釈迦様のお母様が亡くなって、そこへ往生してるんですね。で、お釈迦様が、或るときにお母さんに説法をせなならんと言うので、神通力で禅定に入って魂で天上界へ登っていくんです。
肉体が上るんじゃないんですよ、この世で座禅を組んで、魂が肉体から抜けて、そして行きたいところへ行くわけです。
それで忉利天へ行って、そこでお説法をしたわけです。
其のときの菩薩が観音菩薩やいろんな仏教を守護する神さんも大勢集まって、そこでいろんなお経を説いたわけです。
其の中のひとつに地蔵本願経があるわけです。
其のときに地蔵菩薩と、普賢菩薩の対話なんですね。
お地蔵さんは、とにかく地獄にまで行って、自分に縁の有るものは地獄に落ちてると、その罪を代わってお地蔵さんが受けてやるというような方なんですよね。
これは本当のことだと思うんですが、或るお坊さんが、眠ってるときに地獄へ行くんですね。
地獄へ行って、閻魔さんに遇うんですが、それは罪があるんじゃないんですが閻魔さんにお遭い出来たんです。
それでせっかく地獄へ来たんですから、いろんな地獄を見せて頂きたいというてお願いするんです。
それで閻魔さんは承知したというて、ここは何の地獄だ、ここは何の地獄だと案内してくれるんです。
そして針の山があるんですね、針がいっぱい生えてる山なんです。
その山を、或る坊さんが上がっていって、また下りてきて、また上がって下りて、上がったり下がったり針の山を上がり下がりしてるんです。
それでその坊さんが、閻魔さんに、あの人は坊さんでありながら、いったいどういう罪でああいう苦しみを受けてるんですかと聞きますと。
閻魔さんが、自分で行って聞いてみなさいというんですね。
それでその山のふもとまで行って、坊さんが下りてきたので、あなたは坊さんでありながらどんな罪でそのような報いを受けてるんですかと聞きました。
いや、何の罪も無いんです。
私の縁のある者に代わって、その罪を私が受けてあげてるんです。と、言うんです。
え、あなたはいったいどなた様でございますか。
私は地蔵菩薩です。と
娑婆に居って私に縁のある者がたまたま地獄へ落ちてきた者が居る。
その者のために私がその罪を代わってやってるんだ。
と、いうことを聞かされるんですね。
この夢を見た坊さんは、たしか京都の坊さんだったと思うんです。
それでお地蔵さんを宣伝するわけです。
お地蔵さんを信仰してたら、たとえ地獄へ落ちても救われるからと言うて、そして皆がお地蔵さんを信仰するようにと言うて、それで京都のあっちにもこっちにもお地蔵さんが多いのは、その坊さんが地獄の話をしたんだろうと思うんです。
それを信じて皆がお地蔵さんを信仰しようと言うて皆が祀った。と、いうのが京都にお地蔵さんが多い理由ではなかろうかと思うんですが。ま、そういうことがあったんです。
この普賢菩薩は、お釈迦様の脇侍が普賢菩薩と文殊菩薩なんですね。阿弥陀様の脇侍が観音菩薩と勢至菩薩というように如来様の両脇に代表の方が居られる菩薩なんですね。
ここではお釈迦様の片脇にいらっしゃる普賢菩薩が、地蔵菩薩に地獄のことを教えて頂きたいと言うて尋ねたわけです。
将来の衆生のために私はこうしてお経として書き残していってそういう衆生のために知らしめたいというわけですね。
「地蔵申して白さく、「仁者、地獄の罪報其の事是の如し。或は地獄有り、罪人の舌を抜きて牛をして耕さしむ。」
罪人の舌を引き抜き。そして土を耕すクワみたいなものがありますね、それを牛に引かせて舌でもって土を耕さんならんような罰を受ける。というのもあるということです。
「或は地獄有り、罪人の肝(きも)を取りて夜叉之を食う。」
罪人の肝を取って、夜叉が食べる。それでもあの世へ行ったらどんなことをされたって死なないんですね。死なないんだけれども、そういう苦しみは受けんならんのですね。
「或は地獄有り、鉄湯盛りに沸きて罪人の身を煮る。」
熱いお湯を沸かして、そして罪人の身体を煮る、というような罪も受けんならんと。
「或は地獄有り、赤く銅柱を焼きて罪人をして抱かしむ。」
真っ赤に焼けた銅の柱があって、それを罪人に抱かせるという地獄。
「或は地獄有り、諸の火をして燒きて罪人に追い及ばしむ。」
火が追いかけてくるんですね、火がもう逃げても逃げても追いかけてきて身体を焼きにくるという地獄。
この火は鬼が神通力で現してる火なんです。
「或は地獄有り、一向に寒氷なり。」
全く温みが無い。寒い寒い地獄。氷ばっかりの、そういう地獄もある。
「或は地獄有り、限りなく糞尿有り。」
糞尿地獄は、糞がいっぱいあるんです。何処へ行っても糞だらけ。
よくありますわね、いいかげんなことをしてあちこち汚したり、仏様の身体を汚したりというような罪を作った人がそういう地獄へ行くのかもしれません。
「或は地獄有り、鉄狗を駆逐す。」
犬ですね、鉄で出来た犬だというんです。それがあの世だからそういうことが有り得るんですが、その犬が追いかけてくるんですね。
罪人が逃げても逃げても何処までも追いかけてくる。
「仁者、是の如き等の報い、各々獄中に百千種の器有り、」
いろいろの攻め道具ですね。それがいろんな種類があると。
「これ鉄これ銅、これ石、これ火に非(あら)ざることなし。これ等はこれ行業の感ずる所なり。」
いろんな種類の攻め道具があって、罪によってどんな道具になるか分からんが、そういう道具によって地獄で報いを受けるわけです。
行いの罪によって報いを受ける。
「若し広く地獄の罪報の事を説かば劫を経(ふ)とも尽きず。」
何劫という長い間説いたって地獄の有様はきりが無い。そういう地獄というところは怖いところですね。
「我今仏の威神、及び仁者の問いを受けて畧(りゃく)して説く事の如し。 ―――」
お釈迦様の問いと、あなた様の問いを受けて、ほんの一部分を説いたらこうでございます。と、こういうことですね。
― 地蔵菩薩本願経 ―
お経はもっと長いのですが、その中の一部分を引き抜いたものです。
二、
これはもう地獄というものを本当に信じていないということですが、地獄というのを本当に信じたら世の中も変わると思うのです。
「地蔵菩薩本願経」というお経があるのですが、その中の一部分ですが、ご紹介します。
一、
「地蔵菩薩、普賢菩薩に告げて言(のたまわ)く、「此の故に衆生、小悪と軽んじて罪無しとする事勿れ、死後に必ず報い有り。繊毫(せんごう)もこれを受く。」
ほんのちょっとでも受けるということです。
――― 我今仏の滅力を受けて地獄の罪報の事を説かん。仁者、暫く此の事を聞き給え」
普賢答えて言く、「我已に久しく三悪道の報いを知る。願わくは仁者、説きて後世末法の一切悪行の衆生をして仁者の説を聞かしめ、仏道に帰せしめん」。
この地蔵本願経というお経は、忉利天という天上界で説かれたんですね。その忉利天という天上界に、お釈迦様のお母様が亡くなって、そこへ往生してるんですね。で、お釈迦様が、或るときにお母さんに説法をせなならんと言うので、神通力で禅定に入って魂で天上界へ登っていくんです。
肉体が上るんじゃないんですよ、この世で座禅を組んで、魂が肉体から抜けて、そして行きたいところへ行くわけです。
それで忉利天へ行って、そこでお説法をしたわけです。
其のときの菩薩が観音菩薩やいろんな仏教を守護する神さんも大勢集まって、そこでいろんなお経を説いたわけです。
其の中のひとつに地蔵本願経があるわけです。
其のときに地蔵菩薩と、普賢菩薩の対話なんですね。
お地蔵さんは、とにかく地獄にまで行って、自分に縁の有るものは地獄に落ちてると、その罪を代わってお地蔵さんが受けてやるというような方なんですよね。
これは本当のことだと思うんですが、或るお坊さんが、眠ってるときに地獄へ行くんですね。
地獄へ行って、閻魔さんに遇うんですが、それは罪があるんじゃないんですが閻魔さんにお遭い出来たんです。
それでせっかく地獄へ来たんですから、いろんな地獄を見せて頂きたいというてお願いするんです。
それで閻魔さんは承知したというて、ここは何の地獄だ、ここは何の地獄だと案内してくれるんです。
そして針の山があるんですね、針がいっぱい生えてる山なんです。
その山を、或る坊さんが上がっていって、また下りてきて、また上がって下りて、上がったり下がったり針の山を上がり下がりしてるんです。
それでその坊さんが、閻魔さんに、あの人は坊さんでありながら、いったいどういう罪でああいう苦しみを受けてるんですかと聞きますと。
閻魔さんが、自分で行って聞いてみなさいというんですね。
それでその山のふもとまで行って、坊さんが下りてきたので、あなたは坊さんでありながらどんな罪でそのような報いを受けてるんですかと聞きました。
いや、何の罪も無いんです。
私の縁のある者に代わって、その罪を私が受けてあげてるんです。と、言うんです。
え、あなたはいったいどなた様でございますか。
私は地蔵菩薩です。と
娑婆に居って私に縁のある者がたまたま地獄へ落ちてきた者が居る。
その者のために私がその罪を代わってやってるんだ。
と、いうことを聞かされるんですね。
この夢を見た坊さんは、たしか京都の坊さんだったと思うんです。
それでお地蔵さんを宣伝するわけです。
お地蔵さんを信仰してたら、たとえ地獄へ落ちても救われるからと言うて、そして皆がお地蔵さんを信仰するようにと言うて、それで京都のあっちにもこっちにもお地蔵さんが多いのは、その坊さんが地獄の話をしたんだろうと思うんです。
それを信じて皆がお地蔵さんを信仰しようと言うて皆が祀った。と、いうのが京都にお地蔵さんが多い理由ではなかろうかと思うんですが。ま、そういうことがあったんです。
この普賢菩薩は、お釈迦様の脇侍が普賢菩薩と文殊菩薩なんですね。阿弥陀様の脇侍が観音菩薩と勢至菩薩というように如来様の両脇に代表の方が居られる菩薩なんですね。
ここではお釈迦様の片脇にいらっしゃる普賢菩薩が、地蔵菩薩に地獄のことを教えて頂きたいと言うて尋ねたわけです。
将来の衆生のために私はこうしてお経として書き残していってそういう衆生のために知らしめたいというわけですね。
「地蔵申して白さく、「仁者、地獄の罪報其の事是の如し。或は地獄有り、罪人の舌を抜きて牛をして耕さしむ。」
罪人の舌を引き抜き。そして土を耕すクワみたいなものがありますね、それを牛に引かせて舌でもって土を耕さんならんような罰を受ける。というのもあるということです。
「或は地獄有り、罪人の肝(きも)を取りて夜叉之を食う。」
罪人の肝を取って、夜叉が食べる。それでもあの世へ行ったらどんなことをされたって死なないんですね。死なないんだけれども、そういう苦しみは受けんならんのですね。
「或は地獄有り、鉄湯盛りに沸きて罪人の身を煮る。」
熱いお湯を沸かして、そして罪人の身体を煮る、というような罪も受けんならんと。
「或は地獄有り、赤く銅柱を焼きて罪人をして抱かしむ。」
真っ赤に焼けた銅の柱があって、それを罪人に抱かせるという地獄。
「或は地獄有り、諸の火をして燒きて罪人に追い及ばしむ。」
火が追いかけてくるんですね、火がもう逃げても逃げても追いかけてきて身体を焼きにくるという地獄。
この火は鬼が神通力で現してる火なんです。
「或は地獄有り、一向に寒氷なり。」
全く温みが無い。寒い寒い地獄。氷ばっかりの、そういう地獄もある。
「或は地獄有り、限りなく糞尿有り。」
糞尿地獄は、糞がいっぱいあるんです。何処へ行っても糞だらけ。
よくありますわね、いいかげんなことをしてあちこち汚したり、仏様の身体を汚したりというような罪を作った人がそういう地獄へ行くのかもしれません。
「或は地獄有り、鉄狗を駆逐す。」
犬ですね、鉄で出来た犬だというんです。それがあの世だからそういうことが有り得るんですが、その犬が追いかけてくるんですね。
罪人が逃げても逃げても何処までも追いかけてくる。
「仁者、是の如き等の報い、各々獄中に百千種の器有り、」
いろいろの攻め道具ですね。それがいろんな種類があると。
「これ鉄これ銅、これ石、これ火に非(あら)ざることなし。これ等はこれ行業の感ずる所なり。」
いろんな種類の攻め道具があって、罪によってどんな道具になるか分からんが、そういう道具によって地獄で報いを受けるわけです。
行いの罪によって報いを受ける。
「若し広く地獄の罪報の事を説かば劫を経(ふ)とも尽きず。」
何劫という長い間説いたって地獄の有様はきりが無い。そういう地獄というところは怖いところですね。
「我今仏の威神、及び仁者の問いを受けて畧(りゃく)して説く事の如し。 ―――」
お釈迦様の問いと、あなた様の問いを受けて、ほんの一部分を説いたらこうでございます。と、こういうことですね。
― 地蔵菩薩本願経 ―
お経はもっと長いのですが、その中の一部分を引き抜いたものです。
二、
作品名:和尚さんの法話 「地獄は存在する」 作家名:みわ