夢見
「私が君の夢に入れるのは、一番最近の夢だけ。つまり、今朝の夢。今朝の夢をまた書き換えたら、君、また交通事故に遭っちゃうよ？」
戦慄が走った。彼女の言うことが本当ならば、俺は彼女に夢に入られるだけで命を落としてしまうことになるのだ。
「あと、ひとつだけ聞いていいか？」
「答えられることなら何なりと」
「何で、今朝、交通事故に遭った瀕死の俺を助けたんだ？」
その質問に木葉は驚き、言葉を失っていた。
「別にそんなに面識があったわけじゃないのに」
「……良いじゃない。私が人の命を助けるのがそんなにおかしい？」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
いや。普段の木葉から考えるとおかしかった。普段からクラスにも馴染もうとしないし、クラスメイトが瀕死だろうが、彼女なら面倒事に関わりたくないと通り過ぎてしまうはずだ。
木葉はしばらくバツの悪そうに俯いていたが、突然、話し始めた。
「君は似てたの」
「ん。誰に？」
木葉はくすりと笑った。
「昔飼ってた猫によ。私が小さい時に家で飼ってたの。よく一緒に遊んでたんだけどね。結局、その猫は車にはねられて死んじゃったの」
その時は過去の夢に入らなかったのかと声を掛けようとしたが、木葉があまりにも悲しそうな顔で俯いているので、そのまま声を掛けないことにした。しばらく、沈黙が続いたが、日も沈んできたので、二人は下校の途についた。
途中まで、二人は一緒に帰り、別れた。危険な夜道を女の子一人で帰らせるのは少し気が引けたが、誰かに見られでもしたらと思うと、とてもそんなことは出来なかった。
俺はとぼとぼと一人で変える道中、先ほどの木葉の話を思い出していた。まだ、木葉の話を全面的に信用したわけじゃなかった。だが、最後に話した猫の話だけは本当の気がした。その時の木葉の顔は真に迫るものがあったのだ。
猫の話を思い出していく内に、何だか心がざわついてきた。自分が助けられた理由を木葉に聞いた時、猫の話が出てきたのに少しだけがっかりしていたのだ。なぜだか分からないけど、そんなことを考える自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。そして、命の恩人であるはずの木葉をこんな夜道に一人で帰らせたことをひどく後悔した。もう、クラスメイトに見られて、野次られようが何されようが関係ない。
俺は急いで、来た道を戻り、木葉を追いかけた。
馬鹿だ、俺は……。木葉の家なんて知らないのに、どうして追いかけれるんだよ……？
ふとそこで、路地裏で誰かが駆けていくのが目に入った気がした。俺は気になり、路地裏に足を進めた。先程、人影が見えたと思われるところまで来た。その時、足に何かがぶつかった感触があった。そして、足を水溜りで滑らせてしまった。
え……。これは、水溜りなんかじゃない。血……？
そしてそこで、俺は信じられないものを見てしまった。
「こ、木葉……？」
真っ赤な血溜りの中には、あの木葉が倒れていたのだ。俺は何がどうなっているのか分からないまま、とにかく木葉の身体を抱き上げ揺すぶった。
「お、おい！ しっかりしろ。何があったんだ？」
木葉はゆっくりと瞼を開け、微かに喋った。
「……刺されたみたい。……たぶん、例の通り魔かな」
木葉は驚く程、落ち着いていたが、致命傷と思われる傷口からは血が絶え間なく流れ落ちていた。それを見て、俺の方が半狂乱になっていた。
「と、とりあえず、救急車！ 救急車呼ばないと！」
「……もう呼んでるよ。でも、たぶん間に合わない」
木葉は息も絶え絶えになっていたが、淡々と喋っていた。
「何で、そんなに落ち着いてるんだよ！ あ、そうか。そうだった！」
俺は世紀の大発明をしたかのように声を上げた。
「木葉！ 今すぐ、俺の過去の夢に入って、この現状を教えろ。そしたら、お前を助けることが出来る！」
「はぁ……。駄目だよ」
「何でだ！」
「……言ったでしょう？ 君の朝の記憶を書き換えちゃあ、君はまた交通事故に遭ってしまう。そしたら、私はまた君を助けなくちゃいけなくなる……」
「ぐっ……！」
何ていうことだ。今からじゃあ、他の誰かを呼ぶ時間もない。木葉を助けるための俺にこの記憶を植え付ければ、俺が死に、俺が助かるための記憶を植え付ければ、木葉が死ぬというのか。
こんな状況にも関わらず、木葉は思い出し笑いをしているかのように笑っていた。
「ふふ……。こういうことだったのね。私のこの力は夢見って言うんだけどね。夢見にはルールみたいなのがあってね。大きな運命の流れを変えるにはその代償が付くっていうの……。だから、君の命の代償は、私の命だったってわけね……」
「何とか、何とかならないのかよ！」
木葉の顔は、みるみる生気を失っていったが、それでも木葉は話し続けた。
「良いの。これは私のしてしまったことの代償なんだから。でも、良かった。あの時、クーニャの命は救えなかったけど、今度こそ、誰かの命を救えたんだから……」
そう言い終えると、木葉の身体から次第に力が抜けていくのを感じた。俺は木葉の名前を叫ぼうとしたが、その瞬間、俺も次第に意識が遠のいていくのが感じられた。そして、涙を流しながら、必死に木葉の名前を叫んでいた。それだけは覚えていた。
……木葉。
……木葉。木葉！
……うっ。こ、ここは俺の部屋？ そして、ベッドの上。意識がまだはっきりしない。頭が死ぬほど痛いし、身体が石のように重たい。俺は泣いていたのか、顔中、びしょびしょに濡れていた。
そして、次第に記憶を取り戻していった。
木葉。そう、木葉だ！ あれは夢なんかじゃない。現実に起こった出来事なんだ。今日の日付を見た。やっぱりそうだ。次の日になっている。昨日のことは現実にあったんだ。俺は急いで学校に向かった。
教室では、いつものように既に登校していたクラスメイト達が騒いでいた。なぜか皆、俺の顔を見るなりびっくりしていた。周りを見回し、木葉の姿を探したが、何処にも居なかった。誰かに聞くのも恐ろしくて、俺は机に座ったままでいた。俺は茫然自失とし、気力を失っていた。木葉は俺の命を助けるために自らの命を絶ったのだ。その後悔と申し訳なさが俺の心に鋭く突き刺さった。
すると、不意に俺の机の前を、長い黒髪の少女が通った。少女は無愛想に誰とも挨拶をしない。間違いない。こんな女はあいつしかいない……！
「お早う。木葉」
木葉は、俺を一瞥すると、何も言わず、すぐに自分の机に伏せて寝入った。普段なら、こんな態度を取られたことに朝から腹を立てていた所だが、今はそんな事を吹っ飛ばせるほど嬉しさでいっぱいであった。しかし、俺は我に返って、冷静に今の状況を分析した。木葉はいつも以上にしんどそうにしていたが、不思議なことに昨日の重傷などを微塵も感じさせなかった。