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和尚さんの法話 「極楽は実在する」

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八、一切法畢竟空しにて来無く如何が死して生有らんやと。 是の如き等の種々の邪網顛倒の心を断とす。 是の故に仏は種々の因縁もて広く死有り生有りと説き給えり。 
―― 若し諸法は総て空ならば、此の品中に往生を説くべからず。 只諸法中の諸法中の愛著邪険を見顛倒の見を除かんが為の故に畢竟空と説く。 後世を破せんが為に非ず。 汝天眼無きを以ての故に後世を疑い自ら罪悪に陥らんとす。 是の罪悪因縁を遮(さえぎ)らせんが為の故に種々往生を説く。

                     ― 竜樹 ―



「一切法畢竟空しにて来無く如何が死して生有らんやと」
未来も無い、過去も無いということですね。
仏教は空を説くのだから、過去も無いし未来も無いんだと、こういう説き方をするということですね。

「是の如き等の種々の邪網顛倒の心を断とす。」
こういう考えを持っている人を断見というのです。
断見というのは、死んだらあの世は無い、死んだら終いだという考えが断見というのです。

常見というのもあるのですが、これも間違いで、仏教はその中間で、断でもない常でもない、経過しながらいくというのが仏教の教えなんです。

「是の故に仏は種々の因縁もて広く死有り生有りと説き給えり」
断と常を改めるためにお釈迦様はこう説いてあるのだということです。
この龍樹菩薩という方は、菩薩の化身で一切は空だということを説いてあるのですが、この方の空は本当の空を説いてあるのです。その中に極楽往生も説いてあるのです。この文章はそれを言っているのです。
若し、諸法は総てが空ならば往生は説かないというのですね。
この文章の中には極楽往生も説いてあるのです。

「只諸法中の諸法中の愛著邪険を見顛倒の見を除かんが為の故に畢竟空と説く」
愛欲とか邪険とか間違った見解のために空を説いているのだというのです。
後生は無いんだというために空を説いているのではないのだと、後生は有るんだと、空とはそういう意味とは違うんだという意味ですね。

「汝天眼無きを以ての故に後世を疑い自ら罪悪に陥らんとす」
おまえは天眼通を持っていない。だから後生を疑うんだと。
私は天眼通を持っているから後生が見えるけどお前は持っていないから死んでからあの世があるんだということを疑うんだと。
そして間違った法を説いて罪悪に陥らんとする。


九、「死んでから」とか、「生きている中に」とか考える事自体が、人間の根本的妄執妄想に他ならないと云う事に気付かしめる事が、宗教の宗教たる所以であると云う事が云い得るでしょう。 妄我を離れて真我に生きる様になれば生死にも早や生死として不安も無く苦悩も有りません。 それが「即得往生」であり「現生正定聚」の世界、即ち「浄土」と云う境涯であります。
                     ― 真宗僧侶 ―

これは真宗の坊さんが書いたものですが、死んでから極楽へ往生するのではないんだと、生きている間に、ある状態になったときにそれを往生だというのだ。
死んでから極楽へ往生するのと違う、この世の往生だという文章ですよね、これは。

「現生正定聚」の現生というのは生きているときですね。
生定というのは悟りを開くという意味です。
真言宗でも天台宗でも自力聖道門は難行苦行をして悟りを開くのですが、本当に悟ったら、それを正定聚というのです。
その人は死んでも地獄や餓鬼へ落ちることは絶対にないですね。
本当に悟った人だったらね。ですから「現生正定聚」というのは、この世で悟りの世界に入るということですから、これは真宗の人の言葉とするとおかしいのです。

浄土門は死んで極楽へ往生するのであってそれで悟りの位に入るのです。
後生浄土です。
生きているうちに「現生正定聚」というのは浄土門の言う言葉と違いますね。

「現生正定聚」というのは自力聖道門のいう言葉です。
浄土門は死んでから極楽ですよ。この坊さんの文章は間違っていますね。
親鸞上人も間違っているということです。
それをこの坊さんはそのとうりを信じているわけですね。
この世で難行苦行が出来ないから、阿弥陀様にすがって死後に極楽へ救って頂こうというのが浄土門ですからね。
真宗が「現生正定聚」というのはとんでもない話です。
だから親鸞上人は間違っていますね。


十、人間は死んでから仏教は要りません。 宗教は飽く迄も「現生解脱」に有ります。
 「死んでから」では全く手遅れであり遅すぎます。

                     ― 真宗僧侶 ―

これも真宗の坊さんですね。この人も死後の世界を認めていないですね。


十一、念仏は「如来回向」の大行であり、死後浄土へ参る為の呪文や切符などではない。
                     ― 真宗僧侶 ―


これも真宗の坊さんですが、お念仏は死後に極楽へいくためのものではないと、この人は言っているんですね。
極楽は信じられない、しかしながら坊さんは捨てられないという中途半端な人ですね。
極楽往生を信じていないからこういう言葉がでてくるのですね。
これはもうとんでもない間違いですね。
なかには本当の坊さんもいらっしゃるのでしょうけどね。