芝生の中の草のように
ぼくは、その庭をながめていた。
松やもみじ、柿の木、梅の木、無花果なども植えられているし、大きな石もある。
つきやまには 石灯篭あり、庭一面に芝生が敷かれている。
小さな日本庭園のような庭…… だった。
ぼくは、亡くなった祖父と祖母の 法要に招かれた。
葬儀の日と一周忌は訪れたものの それを過ぎてからは 父母や叔父叔母など近しい親族だけで行われていたのだ。
だが、取り仕切る叔父叔母も年齢的な不安があるのだろう、これを最後にと ぼくら孫の世代も招かれたのだった。
変わらない家屋は、どこかしこに思い出を感じた。
それもそうだろう、この家屋ができたのは、ぼくが生まれて二歳になろうとしていた年だ。
成人を過ぎた頃から いつも心のどこかで ぼくと同い年だね という意識を持っていたように思う。
叔父の結婚時に 多少の増築はしたものの ぼくの知る部分は、何も変わっていない。
サッシのガラス戸ではない。木枠に素硝子。金物の入っていないその硝子は、雨戸がないと台風などで壊れてしまいそうだ。
木枠の施錠は、捻締錠(ねじしまりじょう)。何もかもが レトロなしろものだ。
映画のセットより 古いものが使ってあるのではないかと思うほどだ。成人式も二度目を過ぎてしまった。
まだ幼いぼくは、二階に上がるのさえ、ひとりは許されず、三歳上の兄か誰かが傍にいた。
部屋の電燈の紐はとうてい引っ張れなかったが、入り口付近の壁にあるスイッチには 爪先立ち、めいっぱい背伸びして伸ばした指先で触れることができた。
泊めてもらう日には、銭湯のようなタイル張りの浴槽の縁に 湯をかき回す棒を渡し、それに掴まるように湯に浸かった。浴槽に注がれる湯水が大理石の口から出るなど、温泉へ行く前に見た気がする。
洋間といわれる部屋の外観は 当時では珍しい鉄筋コンクリートに吹き付けの壁。
その上のスペースは、ベランダになっていて、大きな遊園地の観覧車がよく見えた。
内装は、じゅうたんが張られ、一面の壁には一畳ほどの鏡があった。
いつもはレースのカーテンが掛かっている鏡。叔母が嫁ぐ日、その前で留袖の結婚衣装と支度がされたことに 幼いぼくは感動した。
省エネなど考えもしていないクーラーが備えられ、数年前まで現役で使用されていたようだ。応接セットなど、ぼくの初めては 此処にもたくさんあった。
庭には、ぼくよりも大きな黒い犬がいた。警察犬でみかけるシェパードだ。
少し大きくなった幼いぼくは、勇気を教えてもらった。その犬の餌を置いてくるのだ。
じゃれ飛びつかれれば、倒れてしまうくらいの若い犬。血統書の名前はよく知らないけれど、矢という意味の名前をつけられていたその犬の目をにらみ、待て!と偉そうに見せながら、金網の犬小屋のほんの少し開けた扉から祖母に渡された食料を 器に置いてやるのだった。まだ! よし! 動き出す前に 急いで扉を閉める。
そして、平然と祖母に報告するのだ。大丈夫、おとなしかったよ、と。
ぼくの鼓動が いつまでもおとなしくならなかったことは、ぼくだけの秘密だ。
最期は、安らかに 老衰のためだったらしい。
小学生になる頃には、叔父と早起きをして、庭の樹液にやってきたカブトムシやクワガタを捕まえた。それらがいなくても カミキリムシは、ぼくを裏切らずにいてくれた。
アブラ蝉は、うるさいと思ったけれど、小枝に残した茶褐色の抜け殻を幾つも空箱に集めた。初めて真っ白な濡れた薄翅を広げるのを見たのもこの庭だった。
秋の日には、色づいた柿の実を竿先についた刃物で切り落とすのを手伝った。
熟した無花果は、甘く、ある時は、蟻に先を越されて 蟻入りの無花果を頬張った時の気味悪さは今も忘れない。もちろん味ではなく、その記憶なのだけれど嫌なものだった。
紅梅と白梅とで 受粉させることも知った。上手くできたのかは、実をつけるまでわからない。そんな知識のようなことも 此処で覚えた。
春の緑のもみじの葉に イラガの毛虫が悪さをする。箸で摘み取って駆除する。
樹を傷めないための祖父の優しさだ。
秋の紅葉のもみじは、庭に色を挿し美しかった。落ち葉は、竹ばさみで篭に拾い集める。
篭いっぱいになったら、おやつに変わったのだったろうか。
よじ登るように上った岩のような石も、今なら 踏み台程度のものだ。なのに 従兄弟たちと 鬼ごっこで高鬼をしては、容易に上れないぼくは いつも鬼がまわってきた。
そうだ。この庭を走っていたんだ。
この芝生の上を走り、転がり、転んで ぼくは成長してきたんだ。
祖父や叔父が 伸びた芝を芝刈りバサミで切り、ぼくは竹熊手で集めていた。いつだったか 芝刈りをさせてもらった時、切り過ぎて渋い顔をされた。暫くして、電動のハンド芝刈り機を使うようになった時も ぼくは失敗した。でも、何度か刈るうち、ハサミの扱いは上手くなった気がする。もう刈ることはないのだろうな。
祖父母が亡くなって、その庭の一部は、叔父の趣味の農園に変わった。
緑の風が通るような芝生の庭は、もう無くなってしまった。
受粉のされなくなった梅の木は、毎年、紅と白の花を楽しむだけになってしまった。
まだ、老木となった無花果にも 毎年実をつけるらしいが食べる人も家に住む叔父叔母だけで、あとは 鳥がついばんで行ってくれるだけ。それで良しとしているようだ。
あんなに大きく 広く ぼくを見守り育てた場所が、今とても小さく見える。
残っている芝生の中に 雑草が揺れていた。
以前ならば、園芸用のピンセットで摘まれていただろう。
ぼくは、指を伸ばす。
いや、やめておこう。
種が、できる前に取り去るほうが良いのだろう。だけど、何故かそれを寂しく感じた。
変わりつつある中で、それでも新しく芽を出し、根を張ったこの雑草が愛おしく、ぼくの何かを刺激した。
また、明日から ぼくもあるべき社会に身を置くのだ。
決められた庭の中でも新しいことが生まれることを期待して、新しい根を下ろせるようにと願いながら、ぼくは、庭をながめていた。
― 了 ―
作品名:芝生の中の草のように 作家名:甜茶