数式使いの解答~第二章 雪と槍兵~
そのころ村では――。
「おい、急いで避難しろ! このままここにいると危険だぞ!」
「押さず、駆けず、落ち着いて歩くんだ。ヘルメスが奴らの相手をしてくれてる間に、俺たちは避難を終えるぞ!」
ぞろぞろと連れ立って避難する村人たちを背に、ジャベリンペンギンの群れへと向かう姿が一つ。背には長短二本の槍。身に纏うのは濃い紅の鎧。足音高く、決意と覚悟で歩む。名はヘルメス・ヴァン・ヘルムホルツ。"二筋の光(デュアル・ライト)"のあだ名を持つ、名高き猛者だ。
対峙するは数十、いや数百に達さんばかりの雪槍鳥。
獰猛なる野生を相手に、ヘルメスを臆することなく構えた。
左手に長槍を持ち前へ。右の手には短槍を握って後ろへ。体を横に向け大きく開き、軽く腰を落とす。
雪眼鏡を通してなお、その視線には力強き鼓動を感じるほどだ。
両者に、一時の緊張が張り詰める。
静かに、風だけが動きを許されている空間。しかし、その風すら緊張を感じたのか、止む。そして、一陣の突風が抜けた――。
それに乗るかのように、火蓋は切って落とされる。
ジャベリンペンギンが雪に潜ったその瞬間、ヘルメスは短く言葉を囁き、右手の短槍を投擲。
同時、着弾――!
世界最速の槍はその威力を遺憾なく発揮し、周囲を爆散、大気を振るわせた。
だが、ジャベリンペンギンは止まらない。投げ終えた一瞬をつき、容赦なく嘴を突き出す。
バシュッ! と鋭い音ともに、ヘルメスは刹那の間で数メートルも後退。不用意に飛び出したアホウドリを、長槍の一閃にて斬り伏せる。
そのまま槍の雨を突き抜け、短槍を抜き取る。盛大に雪を踏み飛ばし、ブレーキ。ヘルメスが振り向いたと同時、矢と見まごうばかりの嘴が襲い掛かる。
しかし、矢であろうが槍であろうが、それから見れば停止も同然。ヘルメスが言葉を呟くと、長槍の穂先は瞬くように矢を打ち払った。
その回転を殺さず、蹴撃へと変える。どんなに鋭くとも、刃のないところでは切断できない。ちょうどその場所のみを、的確に蹴り抜いていく。
空を歩くかの如くヘルメスの両脚が宙に浮いた。それを見計らってか、対応の効かない頭へと一匹が飛び出す。ヘルメスは長槍を地面に突き刺し、無理やり体を回転させて短槍で貫いた。
だが、ヘルメスの尋常ならざる速度をもってしてもここまで。宙を舞い、態勢を崩しては次がない。もちろんジャベリンペンギンたちがそんな隙を見逃すわけはなく、必殺不可避の凶刃が迫る。
(……もはや、ここまでか……!)
そう諦め、覚悟を決めて目を閉じたそのとき。
「"ミリバル"!」
空気の砲弾が、ヘルメスの周りを突き抜けた。
ドゴンッ! という重低音を響かせ、ジャベリンペンギンの群れが紙屑のように吹き飛ぶ。
突然の轟音に驚き、ヘルメスが目を開けると、雪の向こうに二つの影があった。
一人は黒い髪、黒い瞳の少年。片手に肉厚なブロードソードを握り、身体には黒のフリューテッドアーマーを着ている。
もう一人は短い金髪の少女だ。右と左で瞳の色が違い、左は金、右は鮮やかな緋色。鎧の類は身に着けていない。特徴的なのは上着に縫われたポッケの数で、これ以上は無理なほどに多い。
「なにを……している!?」
顔を隠すかのように着ていたマフラー、フード、雪眼鏡は先ほどの風で飛ばされている。ローレンツとミリアが初めて見るヘルメスの素顔は、困惑と驚愕の表情だった。
ヘルメスの素顔に唖然としつつも、ローレンツは言葉を返した。
「人助けだが?」
「な、そんなことをしている暇があったら避難しろ! 旅人風情が戦士の戦いに口を挟むな!!」
困惑の表情が怒りに染まる。だが、そんなことはお構いなしにローレンツは返答をする。
「旅人程度だろうが風情だろうが関係ない! 人を助けることに理由は必要ないだろう? ……それと、隠してるつもりがあるんなら、マフラーくらいは着けろ」
ハッ、としてヘルメスは自分の顔をさぐる。そこにあったのは、幾たびの戦場を乗り越えた女戦士の顔だ。濃い藍色の髪、それと同じ色の瞳。綺麗や可愛いというより、かっこいいという形容が似合うだろう。だが、間違いなく彼女は女性だった。
「混乱してるところに申し訳ないが、周りに気を配ってくれ」
言いながら、ローレンツは剣の一閃。数匹まとめて、一撃の下に斬り払う。
「詳しい話は落ち着いてから。"パスカル"! ね?」
大気圧を局所的に上げ、何匹か叩き潰す。
ハチャメチャな二人の様子を見て、ヘルメスはクスリと一瞬微笑むと、ハッ、と鼻で笑った。
「お前らだけじゃ見てられねぇな。手伝ってやるよ!」
ぶん! と二本の槍を器用にも大きく振り、始めのときと同じように構える。
剣と槍と数式。三人の前に、狩人として村を襲撃したはずの雪槍鳥たちは、獲物の側へと回っていた。
作品名:数式使いの解答~第二章 雪と槍兵~ 作家名:空言縁