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和尚さんの法話 「生死の里に生れ来て」

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和尚さんは、弘法大師の書いてあるのを読んで、ああ、そうやなと納得できたそうです。つまり心を如実に知るということです。それが悟りなんです。

禅宗の話ばかりになって申し訳無いですが、昔の禅宗のお坊さんに法燈国師覚心という国師号をもらった坊さんがありますね。
その時代の将軍さんが教えを聞いてたんですね。

ところが将軍さんにもてはやされるのがかなわんので、すぐに知らない間に紀州へ帰ってしまうんです。

昔の禅宗は偉い坊さんやと聞くと、そこへ行って問答を仕掛けるんですね。
昔の剣道もそうですね、そこへ行って試合をしましたね、武士たちが。
それと同じで禅宗の坊さんも法問を仕掛けにいくんです。それでどれくらい偉いんだろうと確かめに行くんですね。

或る二人の旅僧が法燈国師のところへ訪ねていったんです。
それで二人が向かい合って座るときに法燈国師が、「心中の刃を取り去れ」というんですね。
つまり、どれくらい偉いのか議論をかけてやろうと、他流試合をしに来るわけですね。
心の中に刃を持ってるということを見抜いてるんですね。
それでこれはやっぱり偉い坊さんだと悟ったということです。
法燈国師はこの者たちが諭をかけにきたということが、ちゃんと分かったんですね。


達磨さんが居ますが、この達磨というのは法という意味です。
この達磨の上に菩提という名前がついてるんですが、菩提というのは悟りという意味ですね。ですから菩提達磨という名前ですから、法を悟ったという意味なんです。
法燈国師は、覚心ですから心を悟るという意味で、そういうところから付けた名前ではないかと思うのです。

兎に角、悟りというのは禅定に入って無念無想になったときに別の意識が働いてきて、そこにいろんな色相が現れたり心に中に出てくるんです。
これはもう体験が無いと分かりませんが、そういうことが今の坊さんは出来ていない。
出来ていないのに悟りだ悟りだと言うて間違いをやってるなと思うんです。


「三界の狂者は自ら狂わせる事を知らず。四生の迷人は自ら迷える事を知らず。生まれ生まれ生まれ生まれて生の初めに冥く、死に死に死に死んで死の終わりに昏し」
といって、我々は狂人だということを言ってるんですが、ところが狂人だということさえ知らない。
人間は自ら迷うてることを知らん。
弘法大師は悟りを開いてた人ですから当然の言葉ですね、これは。


「三種の法有り、諸の世間に於いて是れ不光沢、是れ不可念、是れ不可称意なり。何をか三と為す。謂く、老と病と死となり。若し世間に老病死無くんば、如来は世に出でて諸の衆生の為に説く所無し。」

人間が年をとったり死んだりということが人間の世界になかったら、仏がわざわざこの世へ出てきて法を説くことは何も無いということです。
ところが、我々が死んで、あの世に地獄があり餓鬼が有り畜生があると、そういうことを人間は知らない。今の坊さんも知りませんね、おそらく。



五、
「蛇、水を呑めば毒となり、牛、水を呑めば乳となる。愚者正法を説けば邪法と成り、智者世法を説けば正法となる。」

同じ水なんだけど、蛇が飲んだら毒となり、牛が飲んだら乳になると。
それと同じように、間違った者がお経を持ってきて自分なりに解釈する。
お経は正法ですから。ところがそれを説く本人が間違うてるから、間違った人間がお経を講演するのは蛇が水を飲むと毒となるのと同じことだということですね。

「智者世法を説けば正法となる」というのは、世法というのは、世間一般の話すような話ですね。

それが悟った人がその話をしても、その話が利に叶ってあって自然と仏法の教えに繋がっていくんですよ。世間話をしたってそれが正法になるんです。
愚者がお経の話をしたって邪法になってしまう。と、こういうお経もあるわけです。


六、
「信有って解なければ無明を増長し、解有りて信無ければ邪見を増長す。」

信仰はあるんだけれども、本当の理解が出来ていない。信仰はあるのに、本当の仏教の道理が分かってないという人もあるわけですね。
無明というのは迷いですね。仏教のことが分かってないのに法を説くと間違ってくる。

「解有りて信無ければ邪見を増長す」というのは、仏教のことはよく分かってるのに信仰が無い。そういう人もあると。
学問はあるけど信仰が無い。そういう人が仏教を説くと、信仰がないから邪見となる。
これは間違いになるというお経もあるんです。
こういうと失礼になるかもしれませんが、今の坊さんはこういう状態ではないかと思うのです。