ラプラスの瞳 序章ノ一
序文
王宮……。
絢爛豪華な広間に、ピエール=シモン=ラプラスは立っていた。
そして、王に恭しく礼をすると、滑らかな声で話し始めた。
「閣下、わたくしには『神』という仮説は無用なのです。知力にとって不確実なものは何一つ存在しません。過去も未来も、共に両眼に映し出されるものなのです」
不遜に映るまでのその言葉に、王は、顎鬚を撫でた。
「では、知力は、すなわち、人間を突き詰めた究極の存在は、絶対的なものだと? つまり、言い換えれば、人間は絶対的な、崇高なものへと自分を昇華できると言うのか? それは、例えば、私でもなれるのか?」
王の顔には、ありありと期待が篭っていた。何とも浅はかな王ではないか。
ラプラスの顔には、一瞬、蔑むような色が浮かんだが、しかし、それは直後、消える。
「機は未だなのです閣下。遠い未来に、それは起こるでしょう。誕生するでしょう。不確かな存在を追及し、それでも、絶対的な何かを求める人々の探求が、これから起こる数々の検証実験をして、やはり、絶対的な何かを生むことに取り憑かれたときに、そして、世界を支配するのが神ではなく、絶対的な知であるという確証を得たとき、人は、人を超えるでしょう。それこそが……」
そこで、一呼吸を居れ、ラプラスは、笑みを浮かべ、言葉を紡ぐ。
「ルーラー、司るもの」
1
「誰か、誰か、助けてよ……。この子を……、お願いだから……」
少年は、ひたすらに助けを求めた。
灰色の世界を見ながら、灰色の雨をその身に受けながら、灰色の少女を抱きながら……。
「誰か!!」
少年は、叫んだ。
何者も助けてはくれない。少年は気付いていた……。
それでも、叫んだ。
そこで、少年は目を覚ました。
いつもの夢だ。
少年は、自分が知らない内に涙を流していたのに気付いた。
涙を拭い、虚ろな眼を宙にさまよわせ、ぼんやりとした頭で、左右を見渡した。ベッドと、小さな机があるだけだ。それも、全時代的な、卓袱台のようなもの。
物があまり置いていない簡素な部屋でアラームがけたたましく音を立てている。
こんなにものが置かれていないのは、機能性を重視しているわけでも、生活に困って、家具を買い揃えていない訳でもなく。ただ、邪魔だったからだ。もちろん、金欠ではあるし、自分にとって邪魔なものを排斥するというのは、機能性を重視していると言い換える事も出来るだろうが、平井柄叉にとっては、邪魔だから置かないという認識しかない。
少年、平井柄叉は、眠たそうに伸びをすると、手を伸ばした。その瞬間、柄叉が起き上がった場所に、キーボードと、3Dの映像が展開された。映像の中心に、目覚まし時計のようなマークが表示され、『認証コードを発音してください』と表示される。その他には、いくつかのアプリを呼び出すマークが浮かび上がっており、これら全ては映像に触れることで、使用することが出来る。
アプリの中には、勉強に使用するものや、娯楽に使用するものまで、多岐にわたってある。
「アラームを解除」
少年は、めんどくさそうに言った。
その瞬間、けたたましい音は消え、ディスプレイに新たな表示がなされた。
キーボードを叩いた後、柄叉はキーボードから伸びる3D映像に触れた。『ニュース一覧表示』と、表示されたアプリだ。
その瞬間、ディスプレイが更にi新たな表示を出す。
『今日の新着ニュースは十六件です』
柄叉は、その表示の下にある、『閲覧』と言う欄を叩く。すると、ニュースの一覧が表示される。
しばらく閲覧し、めぼしいものが無さそうだと判断すると、
「ニュース表示解除」
そう言うが早いか、ニュースの表示が消えた。
そして、柄叉はキーボードを手に取ると、呟いた。
「携帯端末モードに移行」
その瞬間、キーボードが折りたたまれ、手のひらサイズのコンパクトな黒い端末に変形した。
艶やかなピアノブラックの外装、スイッチの類は一つも無い。3D映像を映し出す、目には見えないほど微細ないくつもの光源が配置されており、あたかも、一つのレンズのように見える。
液晶の画面には、先ほど3D画面に表示されていたアプリの一覧が縮小されて映し出されていた。
オールマイティ・エレクトリック・クライシス、通称、AEC(エック)携帯端末としての機能はもちろん、テレビとしての機能、ゲームとしての機能、その他多岐に渡る機能が、この端末には備わっている。
AECは、今やこの時代の必需品となっている。生活の必需品だ。
そのAECを手に取り、柄叉は時間を見た。七時丁度だ。
柄叉は伸びをすると朝食を取るために歩き出す。
アパートの一軒家、狭いが彼には十分、部屋がトイレとバスルームを除いて一つしかないのを考えてもだ。
したがって、台所は無い、そもそも彼には必要ないので、申し訳程度に小型の冷蔵庫があるだけだ。
柄叉は、白い箱に手を伸ばすと、取っ手を掴み、開ける。そして中を覗き込んだ。中には携帯食とサプリメントが入っている。柄叉は、白いビンを取り出すと、ボトルを開け、六粒ほどを手にあけ、口に含む。そして、噛み砕いた。固い触感だけが柄叉の口から電気信号となって脳に到達する。
「まずいな」
分かるわけもないのに、そんな事を言う。
苦い表情をしながら、柄叉はもう一度伸びをすると、洗面所へ向かった。
鏡を見た。
のっぺりとした顔が見える。
少なくとも、柄叉にとっては・・・・。
黒髪、日本人特有の掘りの浅い顔。純潔の日本人である柄叉には当たり前だが、現代日本では、少し珍しい顔つきではある。しかし、柄叉には日本人離れした容姿の要素が一つだけある。
灰色の瞳・・・・。
通常、灰色の瞳は、ロシア、フィンランド系の人間が有する特徴だ。
しかし、純潔の日本人であるはずの柄叉に、その特徴がある。
それを認識して、柄叉は人の良さそうな顔を歪めた。
そんな中、AECが電子音を鳴らす。
柄叉はゆっくりとAECを取り出すと、二、三度操作し、3D画面を開いた。
画面が映し出されると、そこには、見知った顔が映っていた。
クラスメイトの雨切直刃だった。
ぱっちりとした目に、少し長い睫、色素が薄いさらさらとした髪、楚々として、可愛らしい小柄な少女にしか見えない、少年。
しかし、どことなく勝気そうで、そこを見ると、やはり男の子なのだと思う。
『柄叉、準備できた? そろそろ、君の部屋に行こうと思うんだけど。さやも一緒だよ。って、まだ着替えてないの!?』
「ああ、悪い、すぐ着替えるから、部屋の前で待っててくれ」
『オーケー、じゃあ、今日こそは、間に合うようにしてね?』
「善処するさ」
善処は、善処であって、絶対ではないのが味噌である。そんな優柔不断さは、日本人ならではと言えるだろうか?
柄叉は制服に着替えるべく、ベランダへ向かった。
ベランダには日光が差し込んで、いい具合に制服が乾いていた。と、言っても水洗いしたわけではない。洗浄スプレーを撒いて、一晩置いたのだ。
このスプレーの普及によって、日常の洗濯はほとんど行われなくなったが、酷すぎる染みや、皺は消せないので、クリーニング業社は細々とやっていっている。
王宮……。
絢爛豪華な広間に、ピエール=シモン=ラプラスは立っていた。
そして、王に恭しく礼をすると、滑らかな声で話し始めた。
「閣下、わたくしには『神』という仮説は無用なのです。知力にとって不確実なものは何一つ存在しません。過去も未来も、共に両眼に映し出されるものなのです」
不遜に映るまでのその言葉に、王は、顎鬚を撫でた。
「では、知力は、すなわち、人間を突き詰めた究極の存在は、絶対的なものだと? つまり、言い換えれば、人間は絶対的な、崇高なものへと自分を昇華できると言うのか? それは、例えば、私でもなれるのか?」
王の顔には、ありありと期待が篭っていた。何とも浅はかな王ではないか。
ラプラスの顔には、一瞬、蔑むような色が浮かんだが、しかし、それは直後、消える。
「機は未だなのです閣下。遠い未来に、それは起こるでしょう。誕生するでしょう。不確かな存在を追及し、それでも、絶対的な何かを求める人々の探求が、これから起こる数々の検証実験をして、やはり、絶対的な何かを生むことに取り憑かれたときに、そして、世界を支配するのが神ではなく、絶対的な知であるという確証を得たとき、人は、人を超えるでしょう。それこそが……」
そこで、一呼吸を居れ、ラプラスは、笑みを浮かべ、言葉を紡ぐ。
「ルーラー、司るもの」
1
「誰か、誰か、助けてよ……。この子を……、お願いだから……」
少年は、ひたすらに助けを求めた。
灰色の世界を見ながら、灰色の雨をその身に受けながら、灰色の少女を抱きながら……。
「誰か!!」
少年は、叫んだ。
何者も助けてはくれない。少年は気付いていた……。
それでも、叫んだ。
そこで、少年は目を覚ました。
いつもの夢だ。
少年は、自分が知らない内に涙を流していたのに気付いた。
涙を拭い、虚ろな眼を宙にさまよわせ、ぼんやりとした頭で、左右を見渡した。ベッドと、小さな机があるだけだ。それも、全時代的な、卓袱台のようなもの。
物があまり置いていない簡素な部屋でアラームがけたたましく音を立てている。
こんなにものが置かれていないのは、機能性を重視しているわけでも、生活に困って、家具を買い揃えていない訳でもなく。ただ、邪魔だったからだ。もちろん、金欠ではあるし、自分にとって邪魔なものを排斥するというのは、機能性を重視していると言い換える事も出来るだろうが、平井柄叉にとっては、邪魔だから置かないという認識しかない。
少年、平井柄叉は、眠たそうに伸びをすると、手を伸ばした。その瞬間、柄叉が起き上がった場所に、キーボードと、3Dの映像が展開された。映像の中心に、目覚まし時計のようなマークが表示され、『認証コードを発音してください』と表示される。その他には、いくつかのアプリを呼び出すマークが浮かび上がっており、これら全ては映像に触れることで、使用することが出来る。
アプリの中には、勉強に使用するものや、娯楽に使用するものまで、多岐にわたってある。
「アラームを解除」
少年は、めんどくさそうに言った。
その瞬間、けたたましい音は消え、ディスプレイに新たな表示がなされた。
キーボードを叩いた後、柄叉はキーボードから伸びる3D映像に触れた。『ニュース一覧表示』と、表示されたアプリだ。
その瞬間、ディスプレイが更にi新たな表示を出す。
『今日の新着ニュースは十六件です』
柄叉は、その表示の下にある、『閲覧』と言う欄を叩く。すると、ニュースの一覧が表示される。
しばらく閲覧し、めぼしいものが無さそうだと判断すると、
「ニュース表示解除」
そう言うが早いか、ニュースの表示が消えた。
そして、柄叉はキーボードを手に取ると、呟いた。
「携帯端末モードに移行」
その瞬間、キーボードが折りたたまれ、手のひらサイズのコンパクトな黒い端末に変形した。
艶やかなピアノブラックの外装、スイッチの類は一つも無い。3D映像を映し出す、目には見えないほど微細ないくつもの光源が配置されており、あたかも、一つのレンズのように見える。
液晶の画面には、先ほど3D画面に表示されていたアプリの一覧が縮小されて映し出されていた。
オールマイティ・エレクトリック・クライシス、通称、AEC(エック)携帯端末としての機能はもちろん、テレビとしての機能、ゲームとしての機能、その他多岐に渡る機能が、この端末には備わっている。
AECは、今やこの時代の必需品となっている。生活の必需品だ。
そのAECを手に取り、柄叉は時間を見た。七時丁度だ。
柄叉は伸びをすると朝食を取るために歩き出す。
アパートの一軒家、狭いが彼には十分、部屋がトイレとバスルームを除いて一つしかないのを考えてもだ。
したがって、台所は無い、そもそも彼には必要ないので、申し訳程度に小型の冷蔵庫があるだけだ。
柄叉は、白い箱に手を伸ばすと、取っ手を掴み、開ける。そして中を覗き込んだ。中には携帯食とサプリメントが入っている。柄叉は、白いビンを取り出すと、ボトルを開け、六粒ほどを手にあけ、口に含む。そして、噛み砕いた。固い触感だけが柄叉の口から電気信号となって脳に到達する。
「まずいな」
分かるわけもないのに、そんな事を言う。
苦い表情をしながら、柄叉はもう一度伸びをすると、洗面所へ向かった。
鏡を見た。
のっぺりとした顔が見える。
少なくとも、柄叉にとっては・・・・。
黒髪、日本人特有の掘りの浅い顔。純潔の日本人である柄叉には当たり前だが、現代日本では、少し珍しい顔つきではある。しかし、柄叉には日本人離れした容姿の要素が一つだけある。
灰色の瞳・・・・。
通常、灰色の瞳は、ロシア、フィンランド系の人間が有する特徴だ。
しかし、純潔の日本人であるはずの柄叉に、その特徴がある。
それを認識して、柄叉は人の良さそうな顔を歪めた。
そんな中、AECが電子音を鳴らす。
柄叉はゆっくりとAECを取り出すと、二、三度操作し、3D画面を開いた。
画面が映し出されると、そこには、見知った顔が映っていた。
クラスメイトの雨切直刃だった。
ぱっちりとした目に、少し長い睫、色素が薄いさらさらとした髪、楚々として、可愛らしい小柄な少女にしか見えない、少年。
しかし、どことなく勝気そうで、そこを見ると、やはり男の子なのだと思う。
『柄叉、準備できた? そろそろ、君の部屋に行こうと思うんだけど。さやも一緒だよ。って、まだ着替えてないの!?』
「ああ、悪い、すぐ着替えるから、部屋の前で待っててくれ」
『オーケー、じゃあ、今日こそは、間に合うようにしてね?』
「善処するさ」
善処は、善処であって、絶対ではないのが味噌である。そんな優柔不断さは、日本人ならではと言えるだろうか?
柄叉は制服に着替えるべく、ベランダへ向かった。
ベランダには日光が差し込んで、いい具合に制服が乾いていた。と、言っても水洗いしたわけではない。洗浄スプレーを撒いて、一晩置いたのだ。
このスプレーの普及によって、日常の洗濯はほとんど行われなくなったが、酷すぎる染みや、皺は消せないので、クリーニング業社は細々とやっていっている。
作品名:ラプラスの瞳 序章ノ一 作家名:若槻 幸仁