友人、恋人、下僕、お好きにどうぞ。
その時、少し離れた場所に高校生くらいの男女の姿が目に入った。
仲よさそうな雰囲気に思わず凜子の顔も笑む。
「どうかしましたか?」
シエルもその視線の先を見つめ、「あぁ」と納得したように微笑んだ。
「良いよね、ああいうの」
自分にもあんな時があった。何も知らない純粋で楽しかった時期が。
たった数年しかたっていないのに、凜子は自分がとても遠いところに来たような気持ちになる。
「…………戻りたい」
無意識に出た言葉に、シエルは少し考えて突然姿を消した。
「シエル?」
凜子はキョトンとして周りをぐるりと見渡した。でも、姿を消されては探しようもない。
「シエル、どこにいるの?」
小声で凜子は数回呼ぶが、周りは静かで何の反応もない。
「何かあったのかな…」
「姫」
突如、声が聞こえ凜子は後ろから手を握られた。その聞き覚えのある声と、初めての大きな手に驚いて振り返る。
「シエル…」
「はい」
にっこりと笑ってシエルは姿を見せた。それも大きくなって。
凜子よりずっと高い位置にあるシエルの髪が太陽に透けて輝いている。青磁色の瞳が優しげに細められて凜子を見下ろしていた。しかも、前のように着物でもスーツでもない、シンプルなシャツとデニム姿。それがシエルのバランスのいい体を引き立たせている。
「な、ななな…なんで…」
凜子は何をどう言って良いか分からない。だた、口をぽかんと開けて目の前の綺麗な顔を見上げることしかできなかった。
これは、目立つ…目立ちすぎる。
「なんで、そんな格好なの?」
「あれ、変ですか?さっき見かけた方の服装を参考にしてみたんですが…」
自分の体を見下ろしながらシエルは不安そうに眉を寄せる。
「そういう問題じゃなくて、なんで大きくなってるのかってこと」
「あぁ、そのことですか。僕も楽しみたいなって思ったんです」
花が咲いたような笑顔でシエルは言う。
「楽しむ?何を…」
「姫と、あんなことしたいんです」
指さす方には先ほどに高校生風の男女の姿。芝生に座って楽しげに会話をしている。
「話がしたいってこと?」
「大きく言えばそうですね。たまには外で話すのも素敵じゃないですか?小さな僕だとそうはいかないですもん」
ね?と首を傾け同意を求めるシエルの表情は色っぽい。
やっぱり、大きいシエルは落ち着かないかも…。
凜子はそわそわしながらもシエルと過ごす初めての外に、ワクワクもしている自分を感じていた。
「…じゃあ、何をする?」
「そうですね、まずは歩きましょうか?広い公園ですし、花もたくさん咲いてるみたいですよ」
シエルは凜子の手をきゅっと握りなおした。凜子の指を自分の長いそれに絡めるようにして。
温かい他人の感触に凜子の心臓は一気に高鳴った。こんな風に誰かに触れることも、触れられることも久しぶりだ。羞恥心が一気に湧き上がり、凜子は歩き出そうとするシエルを引っ張って止めた。
「ちょ、シエル…」
「はい?」
「あ、あの、なんで…こんな手のつなぎ方…」
しどろもどろになっている凜子に、シエルはクスっと笑う。こんな凜子は初めて見た。
「さっき、駅で見かけた男の人と女の人がこうやって手を繋いでました。違うんですか?」
それは、きっとカップルなんだよ…。
「好きな人同士がする方法だよ」
恥ずかしくて凜子は真っ赤になってしまう。でもほどいてしまうにはあまりにも心地いい。少し、絡めた指をほどきギリギリのところでシエルの感覚を確かめる。
「じゃあ問題ありません。僕は姫が大好きですから」
「え…あの、そういう意味の好きじゃなくて…」
「それとも、姫は僕が嫌いですか?」
前にも同じことを聞かれた。それは小さいシエルの姿で。で、今は大きいシエル。
憂いを持った大人の顔は、小さい時よりも破壊力が大きい。
「嫌いじゃ…な、い」
自分の心臓がうるさすぎて、凜子はまともに考えられない。小さな声でうつむきながらそれだけを言うのがやっとだった。
「良かった。じゃあ…」
シエルはそこで言葉を切り、ぐっと決意したような顔をする。不思議に思って凜子が見つめていると、
「行こうか、凜子」
少しぎこちな口調ではあったけど、シエルは初めて、ようやく、凜子と呼んで言葉づかいも違うものになっていた。
「シエル、今…凜子って」
「…頑張って…みた。今日は、ひ…凜子と普通に話したいから」
シエルの顔が真っ赤に染まる。ものすごく頑張ってくれていることが十分すぎるほど伝わってくる。
「今日は、なんにでもなるよ。凜子が、求めるものに」
「なんでも?」
「うん…」
「じゃあ、この手…」
「え?」
「この手をずっとつないでて」
一度ゆるめた手を、今度は凜子から絡め取った。シエルは目を丸くして、その後、少しだけ泣きそうな顔になって笑った。
初めて、自分に弱いところを見せてくれたような気がして、シエルは嬉しかった。
凜子との距離が縮まった、そう思えた。
もう、友達でも、恋人でも、何でもしよう。今日この人が思いきり笑って楽しんでもらえるように。
「うん。じゃあ歩こう」
歩く二人の姿は、ほほえましくてどこからどう見ても恋人のようだった。
6.過去
シエルは見つめていた。一枚のハガキを。
少し前に、凜子の元に届いたそのハガキは、同窓会というものの案内らしい。
凜子はそのハガキを捨てるわけではなく、ただ、パソコンのそばに置いている。
時々それを眺めては、悲しそうな顔をしているのをシエルは見てきた。
一体、このハガキに何を思うところがあるんだろう。
「シエル、何してるの?」
お風呂上りのいい香りに包まれた凜子が部屋に戻ってきた。
ぼんやりとハガキを眺めていたシエルは我に返り、ニコッと笑った。
「あ、お風呂終わったんですね」
でも、凜子は何も言わない。いつもならお茶をしようと誘ってくれるのに。
「それ…気になる?」
静かな凜子の声にシエルは言葉に詰まる。
「気になるよね…捨てもせずにずっと置いてるし」
濡れた髪の毛をタオルで拭きながら凜子はベッドに腰かけた。上気した頬が凜子に艶を与えている。でも、表情はないに近い。
「私が育った所はね、人の少ない田舎なの。誰もが顔見知りなくらい。子供からお年寄りまで、みーんな」
立ち上がり、凜子はハガキを手に取った。届いた日以来触れるそれは、ひどくかさついて感じた。
「友達も変わり映えしない、風景も。そんな場所で私は大きくなったんだよ。普通に。こんなひねくれてなかったし」
「そんな、ひねくれてなんかいませんよ」
「ありがと。…でも周りはそんな風に思ってないよ。田舎のみんなも。でね、私、友達を死なせたの」
あんまりにも軽く凜子はそれを口にしたので、シエルは一瞬何を言われたか理解できなかった。
そんなシエルの様子を、凜子は優しい目で見ている。
「私ね、ずっと好きな子がいたの。同い年の子で、仲もよかったんだ。私とは比べ物にならない位良い子で、周りからも期待されてて……最初は憧れてたって言い方の方が正確かな」
凜子に家の近所に住む男の子は、人見知りな凜子をいつも遊んでくれて、優しかった。
作品名:友人、恋人、下僕、お好きにどうぞ。 作家名:なぎ